第3話『強襲・雲谷』-3
夜。
雲谷から見下ろす青森市街の景色は、輝きに満ちていた。
市内の全域で煌々と灯る街明かりが、冬の大気に屈折して静かに揺れている。
遥か遠方では、青森湾湾岸に沿って輝く光の群れがゆるやかな円弧を描いていた。
晴れ上がった夜空には、控えめな色調でちらちらと瞬く冬の星座が浮かんでいる。
街を囲む風景は昨日までと変わらず、穏やかで美しい輝きを湛えていた。
――その街のどこからでも目に入る、一つの山を除いては。
雲谷キャンプ場に新たに到着した投光車が、ひたすらに強く無味乾燥な光を異生物に向けて放ちはじめる。風で揺れていた草むらが、白一色で塗りつぶされる。
人の目なら直視すらできないほどの圧倒的な光量を浴びてなお、異生物は沈黙を保ち、起き上がる気配すら感じさせない。
雲谷に異生物が降り立ってから、既に6時間以上が経過していた。丘陵上に配置された三台の放水車は、全く動きを見せない異生物になおも狙いを定め、砲口から水を噴くその時を待ち続けていた。
「何だ、反応……?」川島は、櫻井が現場に持ち込んだ防磁端末の画面の中に異変を見つけた。同心円パターンが、青森県の南部に一か所、新たに出現していた。
「それは?」
「分析担当が置いていったものです。市内全域の電磁場強度分布がこれで見られます」
川島は機動隊員の一人の問いかけに、画面内の円状パターンを指さしながら答えた。
「ふむ。この表示が、あの寝てる奴の反応か。で……?」
「ええ。大岳……いや、もっと南、櫛ヶ峯のあたりに新しい反応が」
「電磁波なら、さして珍しくないだろう。陸自捜索隊が落とした電子機器じゃないのか?」
「部隊が展開してたのはゴールドライン・酸ヶ湯から大岳一帯のはずです。位置がおかしい、それに強度も。この規模は――」
言いかけて川島は息を呑んだ。画面上で今まさに展開されているパターンに川島は見覚えがあったのだ。
署で櫻井の見せたパターン。目の前で眠り続けている個体が、山中から移動を始める直前に示した兆候と酷似していた。
――まさか、新しい個体か?
「おい、この発信源……動いてないか?」
「何だって?」
川島はEMCSチャートのモードをリアルタイムビューからログ閲覧へと切り替える。
機動隊員の言葉通り、画面上に表示されている深紅の同心円パターンは、確かに出現から数秒のうちにその進路を北に向けて移動している。背筋が凍った。
「ちょっと待てよ。この進路のまま進み続けたら」
機動隊員の言葉を受けて、川島は発信源の辿っているルートを確認する。発信源は市街方面に一直線に向かってきていた。その直線上、予想される進路を目で追う。
「……ここに、来るのか?」
進路の先には雲谷キャンプ場があった。
川島の呻くような声に反応したかのように、新たな発信源はチャート上の円半径とラインパターン本数を急激に増大させていく。対策室で見たままの光景だった。川島はパターンの変化に何者かの意思のようなものを感じ、悪寒を覚える。
発信源の移動は止まらない。全身が凍り付くような感覚が襲った。
「――新しい、異生物が……ここに来るのか!」
「一号車でモニターを行っていた川島巡査から連絡が。櫛ヶ岳付近で移動電磁場発信源を確認、毎分2キロメートルの速さでこちらに向かっていると」
伝令を受け取った棟方が、遠藤隊長に報告する。
「2キロ?速いな……まさか、異生物か?」
「おそらく間違いないでしょう。封鎖が続いている山中に強磁場発信源があるとすれば」
遠藤隊長は眉間に深い皺を寄せた。
「この状況下で、さらに新たな個体か……」
「接触はおよそ10分後。加えて今動けるのは我々だけ。……不利な状況ですが、何としてもこの雲谷から奴らを下ろすわけにはいきません」
「分かっている」
遠藤は指揮所内の伝令担当に呼びかける。
「放水各車に通達。目標を休眠中の個体から接近中の新規個体に変更。目視・有効射程内に捉え次第、これに向けて高圧放水を開始しろ」
「了解」
「別個体だと?」二号車に随伴していた津島は突然の報告に動揺を隠せなかった。傍らの機動隊員が頷く。
「ここへの到達まであと10分もない。放水の目標は、接近中の個体に切り替える」
「なんてこった……この山は怪物だらけか?」
頭を抱える津島に放水担当の機動隊員が声をかける。
「津島巡査長、何か放水に際して留意する点などは?」
「放水自体には特にないが、向こうが近づく素振りを見せたら全速力で退避してくれ。大岳の小型の個体でも、腕の一振りで車両を地面ごと叩き割るだけの力がある」
「了解した。なら、常に一定距離を保てばいいんだな」
「そうだ。一撃でも食らったら終わりだぞ」
機動隊員は頷くと、放水車に乗り込む。計器が操作されるとともに、放水銃の仰角が上がっていく。
星々の瞬く空へと向けられた砲口を見ながら、津島はひとり呟いた。
「上手くいってくれよ……」
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