夏の章 茶道ガールのサイレント茶会 PART13



 13.



「ちょ、ちょちょっと、待ってくれ。愛染さん、俺はそんなこと望んでない」



 Tシャツに手を掛ける愛染さんを止めながらいう。



「俺は本気で取り組んでる。それだけは間違いない、だから待ってくれ」


「本当に?」



 愛染さんは疑うような視線を持って俺を観察する。主従関係が反転して何だか俺の方が詰問にあっているようだ。


「ああ。適当になんてしない。ちゃんと教えるから、まずそのTシャツをちゃんと着て。じゃないとしっかり教えることなんて、できない」


 脱ぎかかったTシャツを戻して愛染さんを見つめる。彼女の情熱に気圧されながらも、改めて字を確認していく。


「基本的な形はできているよ。問題ないと思う。でも一点だけ言わせて貰うと、この字は無個性だ」


「無個性?」


「お手本すぎる、ってこと」


 再び白紙を取り出し、『静』という字を書き記す。青の部分を強調し、争いを抑え目にすると、愛染さんは目を丸くした。


「俺の書き方だったら、左の青の部分を強くするかな。争いっていう字は何かマイナスなイメージがあるだろう? だから静という字では青の方がイメージが強いと思う。ごめん、これで意味わかる?」


「なんとなくだけど……わかるわ」


 愛染さんは再び見比べて言葉を述べていく。


「確かに菊池君の字は楷書ではないけど、菊池君の字って感じがする。青の部分でも月の部分は滑らかで、神秘的な感じね」


「これが正しいのかどうかはわからない。けど、俺を含めて書道家を目指す人は何かを表現したくて字を書いてるんだと思う。だからこそ、書の道が今まであったんじゃないかな」


 漢字一つとっても意味や解釈は人によって変わる。だからこそ字は自由で想像の余地を残すものでなければならない。それは形式的なものの中でも変わらない。


「ごめんね、愛染さん。こんなこと、いきなりいわれても意味わからないよね。やっぱり俺が字を教えるなんて早いよ」


「いいえ、そんなことないわ」


 首を振る愛染さんに言葉を続けていく。


「……俺んちはさ、二人とも書で飯を食ってきているから、ごちゃまぜなんだよ。母さんは何度でも同じ字を書きなさいっていうし、返って親父は同じ字を二度と書くなという。それは二人とも違う職業だから仕方ないんだろうけどさ……」


 書道は自由の旅だ。歴史の旅でもあり、未来への旅にもなれる。人の思いを残すことができるからこそ、人の道が続く限り、無限に広がっていく。


答えなんて、そもそもないのだ。


「だからこそ俺は自分の字を書きたい。俺にしかできないものを探したい」


「そうね。私はあなたの字を見てそれを感じた。あの『花』という字を見た時、私は自由になれた気がしたの」


 愛染さんは熱い思いを口にしていく。


「本当に美しかったわ。本物の花よりも、墨の花の方が綺麗だって思えた。だからこそ、負けられないって思った」


「本業だから?」


「ええ。それもあるけど、私が追い求めた世界がそっちだったら悔しいじゃない」


 意味がわからずに答えを待っていると、彼女は空咳をして答えた。


「生け花を知った時、この世界が私の道だと思ったの。小さかったから、お父様が愛していたから、家業だから、そんな思いで始めた訳ではないの。最初に花を扱うことが美しいことだと思えたから、それを証明したいのよ」


「ああ、なるほど」


 愛染さんの言葉の真意を求める。きっと彼女は今でも新たな道を探しているのだろう。自分にとって大切なものが何か探りながら生きている。


 だからこそ、何に対しても夢中で真剣でいられるのだ。


「元斎先生に書を教えて貰った時だってそう。書の素晴らしさだってその時に知ったわ。でも、私にとってはやっぱり華道こそが本心だと思えたの」


「なるほど……愛染さんにとってはで今の生け花を選び続けているって訳だ」


「そうなの。私は今、一番、自分がしたいことをやらなきゃ気が済まないの」


 愛染さんは双眸の瞳を輝かせながらいう。


「今、思いついたことを全てやらなきゃ、どんな世界でも一番になんてなれない。そのためには何だってやる覚悟があるわ」


 熱い思いで心を打ち明けていく愛染さんに心が浮き立っていく。同じ仲間を手に入れたようで力が漲っていく。


「凄いな、愛染さん。俺はそんなこと……全く考えてなかった……」


「そんなことないわ。菊池君だって、自分のできること、やってるでしょ?」


「まあ、一応ね。今できることをするのが、俺のポリシーだから」


「……そう。で、花鈴さんとはどうだったの?」


「え?」



 何の話かわからずに彼女の顔を見ると、熱を帯びた視線が俺の体に直撃する。



「いったんでしょ? 夜のする所」


「ええ! そりゃもう、いきましたよ!? ええ、いきましたとも!!」


 頷くと、愛染さんはなぜか拗ねたように眉間に皺を寄せながら俺の方へ近づいてくる。


「で、どうだったの?」


「な、ななな何が?」


「花鈴さんで満足できたの?」


 愛染さんが目をぐっと大きく開けて俺を見つめ続ける。


「え、なんでそこまでいわないといけないの!?」


「気になるから……だめ?」


 愛染さんの吐息が掛かる。こんな近くに寄られて俺は何と答えればいいのだろう。


「どうだったのかしら……もし、相性が悪かったなら……」


「も、もももちろん大満足ですよ!」


 彼女の言葉を割りながら、続けていく。


「最高でしたよ! ええ、それはもう! これ以上ないくらいに!!」


「そう……残念ね」


 愛染さんはそういいながら道場の外を見やる。心なしか苛立っているようだ。


「な、何が!?」


「んーん、何でもない。気にしないで。あら、それより……あそこに何か落ちてるみたい」


 愛染さんの視線の先には、先日花鈴にプレゼントしたばかりの簪が落ちていた。


 


 





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恋愛長編 『書道ボーイと華道ガールの恋愛トライアングル』 くさなぎ そうし @kusanagi104

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