夏の章 茶道ガールと華道ガールのサイレント茶会 PART12
12.
「わあ、いいおうちね。お邪魔します」
愛染さんを茶の間に案内しながらも家の中に視線を這わせる。誰かいるだろう、そう思いながら家の中はもぬけの殻で、静まり返っていた。
「ただいまー! あれ? ただいま、ただいまー!」
道場の方へ顔を出しても、母親の姿はなく、親父もいない。じいちゃんもいないのであれば、三人でどこかに飯でも食いに行ってるのかもしれない。
「……全く。居て欲しい時にいないってどういうことだよ……」
「……そうね。私はどちらでもよかったけど……」
「わっ!?」
後ろを振り返ると、なぜか靴下を脱いだ愛染さんが立っていた。どことなくスカートの丈が短くみえ、汗ばんだ彼女の姿が煽情的に見えてしまう。
「愛染さん、まだ座ってていいから。すぐ準備するから」
「ごめんなさい。お手洗いをお借りしたくて……」
「ええと、こっちです……」
自分の家にいながらも慌てふためいてしまう。たった一人の女の子が家にいるだけで心の中がこうも乱されるのは俺がまだ未熟だからだろう。
「……ふう。早く準備して、終わらせて帰って貰お……」
仮に今、親父達が帰って来ても、迷惑にしかならない。この状況を説明する方法が思いつかないからだ。
あれこれ言い訳を考えていると、愛染さんはすぐに出てきて、俺の行動を逐一、監視していく。
「今日は何を教えてくれるんですか? 先生」
愛染さんは萎らしい表情を見せながらも目の奥は輝かせている。きっと純粋に俺の教えに期待しているのだろう。
「んー、まずは基本的な字にしようかなと思う。愛染さん、『永』っていう字を書ける?」
「え? 習字をするんですか?」
「え? 何しにきたの? 愛染さん」
「お勉強……?」
愛染さんは首を傾げながらも俺の顔から目を逸らさない。
「そう、今から始めるのは習字のお勉強ですよ。ともかくここを見て。永という字には全て要所が詰まっているんだ。永字八法といって書き方の基本はまずここで学べる。だから君の字を見せて欲しい」
母親が使っているホワイトマーカーを使って簡単に説明すると、彼女は小さく頷いた。
「わかりました。じゃあ筆と墨を準備するわね」
そういって愛染さんは手際よく準備を進める。細い筆を扱いながら、一瞬にして『永』の字が完成する。
「……どうかしら?」
「全く問題ないね。さすが習っていただけある」
点から始まり、右はらいまで完璧だ。褒め称えていると、彼女は気をよくしたのか俺の手を握ってきた。
「……ありがとうございます、菊池先生。それで次は?」
「ええと、次は……」
……何を書いたらいいかわからくなってしまう。
落ち着け、俺。このまま動揺していたら愛染さんの思うつぼだ。ここで何か問題があったら、昨日の俺に申し訳が立たなくなってしまう。
……心を静めろ。心を静めることに集中しろ。
目を閉じて意識を集中する。ぼんやりと浮かんだ文字は『静寂』だった。
新芽の葉に貯まった水滴が泉一体に波紋を浮かび上がらせるような、静かな空間。今、自分が一番追い求めている漢字だ。
「じゃあ、俺と一緒に書こう。愛染さん」
◆◆◆◆◆◆
「……難しいわね、この『静』という字」
「イメージしたら、簡単だよ。争いが澄み切る。そのイメージで書けば大丈夫だ」
愛染さんと筆を取り一時間、彼女は何枚も同じ『静』という字に集中し、書いては思い悩んでいる。
「……静、静、静。三本流して縦で割る……、そして月は……」
……本当に真面目なんだな。
集中している彼女の横顔を見て思う。額に浮いた汗を流しながらもたった一枚の紙に全神経を注いでいる。情熱に身を任せながらも、冷静に分析しようとする姿に心を打たれていく。
「これで……どうかしら?」
愛染さんはお辞儀をしながら俺に意見を求める。目に飛び込んだきた字を見て心が澄んでいく。
「……ああ、これは紛れもなく『静』だ」
白紙に浮かんだ文字はいっぺんの狂いもなく、不動の状態で鎮座している。どこから攻め入っても隙が無く、これこそ争いをもたない聖域のように感じる。
「いい字ができたね、完璧だよ。……ちょっと休憩しよっか。愛染さん」
「……ええ」
愛染さんは納得がいかないのか、目を伏せたまま固まる。何かいけないことをいっただろうか?
「愛染さん? どうかした?」
「菊池君、一つ、尋ねてもいいかしら?」
「ああ、うん。何?」
「今の言葉は本気でいってる?」
「え? 今の言葉って?」
「完璧ってところよ……これで『静』という字は完成なの?」
「ああ、俺はこれでいいと思ってるけど……」
「菊池君、手を抜いてない? 駄目な所があるのなら、きちんといって欲しいわ」
「駄目な所なんてないよ。きちんとできているじゃないか」
「嘘、だって菊池君の書いた字と私のは全然違うじゃない……」
愛染さんはそういって俺のものと比べて落胆を露わにしていく。彼女の表情がうっすらと消えていき、俺の心まで凍てついていく。
「控えめにいって、私の字は形式的には合っているとは思うわ。でも菊池君のとは違う、ここの払いは強すぎるし、月の形も違う、争いのはねだって……」
「でもそれは愛染さんの字のいい所だ。そんな部分まで強要したら、君の字の良さがなくなってしまう」
「菊池君、それは違うわ。私はあなたに字を教えて貰いに来ているのよ? あなたの色に染めて欲しくてここに来ているの。だから……」
愛染さんは唐突に制服を脱ぎだしていく。中に来ていたTシャツが露わになり、ミントグリーンのブラジャーまで透けている。
「え!? どうしたの、愛染さん。いきなり脱ぎだして!?」
「私は本気なの……。その気持ち、わかって欲しくて……」
「わかってるよ。だからこうして……」
「適当に褒めて終わらせる気?」
愛染さんはそういって、俺の体に近づいていく。彼女の息が俺の顔に辺り、蒸気を催していく。
「きちんと字を教えて下さい、菊池君。……じゃないと、私がここに来た意味がなくなってしまうわ」
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