第10話

「さて」


 珍しい新規客の後片付けも終えて、落ち着いた店内でマスターが口を開く。


「睦。話ってのはなんだ」


 私は服を整えて、居住まいを正し、お店の真ん中でまっすぐに立つ。

 マスターに向き合った。


「心配かけてごめんなさい」


 頭を下げて。


「勝手なことをしてごめんなさい」


 そう続けた。

 顔は見えないけれど、マスターはカウンターでじっとしている。


「私はまだ土地勘もないし、この世界のことは店の中しか知らない。もし出て行きたいなら……マスターに、そしてシェナさんに声をかけなければいけませんでした」


 とても当然で、なのに怠っていたこと。

 無断でいなくなれば、心配するのは当然だ。

 私は子どもだった。言わなくてもわかってくれるなんて甘えを押しつけていた。

 本当に外を見てみたいなら、どんな考えで外を見たいのか、どれほど本気なのか、伝えなくちゃいけなかった。

 そして、どうしてマスターは止めるのかも、逃げずに聞かなきゃいけなかった。

 マスターは静かに声を落とす。


「わかった。顔上げろ。もういい」


 背筋を伸ばす。

 シェナさんは居心地悪そうにカウンター席でまごついていて、マスターは姿勢を変えずに立っている。青い瞳が静かに私を見据えている。


「それだけか」


 もちろん、それだけじゃない。


「無断で休んでごめんなさい。迷惑かけてごめんなさい」


 これもまた、言葉が続く。


「でも私、ここで働きたいんです。また働かせてください」

「迷惑かけたのにか」

「はい」

「もう迷惑かけないと約束できるか」


 場違いに笑ってしまいそうになった。お辞儀で隠す。

 これはひっかけだ。マスターらしい罠だった。


「いいえ。また迷惑かけます。たぶん、たくさん。それでも働きたいんです」


 失敗しない仕事なんて不可能だ。マスターだってシロップを切らしてしまうことがあるのに。

 マスターがにやりと笑ったのが見える。


「いやだ」

「おいっ」

「と、言ったら?」


 偏屈め、とシェナさんが頭を抱えている。

 でもわかっている。こんな偏屈と働きたいのが、私なんだから。


「これを出します」


 カフェの冷蔵庫に入れておいたムースを、カウンターに出す。


「食べてみて」


 じろりと私を見たマスターは、ムースにフォークを刺して食べた。

 シェナさんも横からすくう。


「……うまいな」

「ほう、これはいいな! 向こうの世界のお店か?」


 シェナさんの明るいリアクションが嬉しい。ぶっきらぼうなマスターの照れ隠しもかわいいけれど。


「私が作りました。レシピ通りにやっただけなんですけど」

「え……睦が!?」


 シェナさんがケーキと私を二度見して驚く。そんなに?

 マスターをまっすぐ見て、自分の考えを提案する。


「さっぱりした甘さで、コーヒーに合うと思うんです。苦みも和らぎます」


 この世界の人は獣系で、強い香りが苦手だ。

 でもその反面、ジュースみたいに甘いものに目がない。だから、コーヒーの苦みをフルーツケーキの甘さで和らげればきっと飲みやすいと思うのだ。


「……そうだな。俺もそう考えた」


 マスターはつぶやくように言う。ちょっとホッとした。


「私はこれを作れます。給仕しかできない以前とは違います。だから――」

「ダメだ」


 遮られた。

 マスターは私を見て、片目を閉じた。


「他人のレシピで店に出せるか。こっち向けに手直しする。……それでもいいか」


 偏屈め、とシェナさんが笑っている。

 私も同じ気持ちだ。

 せいいっぱい、元気よくマスターに応える。


「はい! よろしくお願いします!」


 -§-


「あの馬鹿、変な態度取りやがって。断るつもりなんてなかったくせに」


 マスターが席を外したのをいいことに、シェナさんが嬉しそうにボロクソ言う。


「いいんですよ、マスターはあれくらいで」


 シェナさんは覗き込むように私を見た。


「まだ、アレが好きなのか?」

「……はい。なんか、告白できる感じじゃなくなっちゃいましたけど」


 愛想笑い。自分はまだまだだと懺悔した舌の根が乾くまでは、隣に立ちたいなんて口が裂けても言えそうにない。


「あーもう!」


 シェナさんに肩を抱かれてしまった。


「まったく、睦は本当にかわいいな!」

「ありがとうございます……でも、シェナさんのほうがかわいいですよ」

「私はダメさ。弟にしか見えない。かわいい睦をあの馬鹿が困らせるんじゃないかと冷や冷やしちまう」

「ちょっとくらい困らせてくれる方がかわいいですよ」


 でかい子猫みたいなものだ。なにせ、カフェにしか頭にない人だもん。

 シェナさんがパッと体を離した。まじまじと私の顔を見て、頭のてっぺんからつま先まで視線を上下させる。


「え、な、なんですか?」

「……なんか、大人になったな」


 オーバーなシェナさんが面白くて笑ってしまう。


「そんなことないですよ」


 それにシェナさんはやっぱり恋敵だ。シェナさんには弟にしか見えなくても、マスターがどう思うかは別なんだから。

 まだまだ、隣に立ちたい人の背中は遠い。

 でも積み上げていけば、きっと。


「おい睦。ムース、今から作れるか」


 戻ってくるなり、マスターがそんなことを言う。

 私は笑って、彼に応じる。


「はいすぐに! それと、お帰りなさい!」


 -§-


「ねえ、ともちゃん」

「うん? なあに、むっちゃん」

「そろそろ、ともちゃんの話を聞かせてほしいな」


 透明な笑顔に、少しだけ困ったような色が差した。

 でも。


「……そうだね。ちょっと、愚痴を聞いてもらおうかな」


 カップのスプーンが小さく鳴る。

 コーヒーの香りと、あまいクリーム。

 しあわせの味。

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猫カフェのコーヒーとしあわせの味 留戸信弘 @ruto_txt

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