依頼③

「―――あの、久山さんの家はどこにあるんですか」


会話に詰まった俺が真っ先に思いついた質問だった。事務所からまだいくらも離れない場所でそう訊くと、久山は駅の方を指した。


薮井やぶい駅の近くです」


ということは、ここから最寄りの稷山駅の2つ先、俺の通う莇原あざみばら方面の反対方向だ。距離はそこまで離れていない。俺は念のため久山に確認する。


「今更なんですけど、ストーカーは、ここへはついてきてないんですよね?」

「多分。何度か確認しましたが、気になる人はいませんでした。気配も感じませんでしたし」


俺には経験がないのでわからないが、やっぱりつけられると違和感を覚えるものなんだろう。気味が悪いが、久山が平然としているということは、少なくとも今は安心してよさそうだ。


「じゃあ、俺たちは離れて後をついて行きますね」

「わかりました」


久山が前を歩き始めた。2、30メートル離れてから。俺と霜月はなるべく不自然に見えないように歩き出した。用心してかなり距離を取ったが、久山の大きな帽子のお陰で見失うことはなさそうだ。一応俺も辺りを警戒する。


「変な人間はいないよな?」


霜月に尋ねると、俺に声をかけられてあからさまに動揺した。そしてこくりと頷く。これじゃ会話が成立しそうもない。しかし並んで歩いてるのに全く会話をしないというのは、客観的に見たら不自然じゃないか?

なにか無難な話題を振ろうとして、何が無難だろうと頭をひねり、ようやく霜月と共通の話題に思い当たる。


「霜月さんは、いつから事務所で働いてるの」


霜月は露骨に、なぜ話しかけてくるという視線を向けたが、渋々答える。


「…3年前」

「それって、何歳の時?」

「…13」

「ってことは、俺高1だけど、同い年?」


首肯。

話しかけないでくれという無言の圧力を感じるが、1度始めた会話が途切れたら、沈黙が一層気詰まりになるじゃないか。それに、何かとミステリアスな霜月のプロフィールに興味があるのも確かだ。


「ずっと右代宮さんとこでバイトしてるんだ」

「…うん」

「破天荒だけど、結構いい人だよな」

「…うん」

「3年も続けてるってことは、家は近所なの?」

「…まあ」

「へえ。俺はあざみ高校なんだけど、霜月さんは?」


やや間があって、霜月が呟く。


「高校行ってない」


俺は想定外の返事を打ち返し損ね、会話のラリーは完全に沈黙した。

悪いこと聞いたかな? いや何が悪いことなんだろう? 霜月の表情を盗み伺うが、特段悲しんでるとか怒ってるとかいう訳ではなさそうだ。いやそもそも表情に乏しいだけで、内心では深く傷つけてしまったかもしれない。俺は自分の不用意な発言に臍をかんだ。


俺が一人で気落ちしていると、不意に袖を引かれた。


「入ってったよ」


顔を上げると、霜月が小さく前方を指さしている。気が付けば駅に着いていて、すでに久山は改札の向こうにいた。俺は慌ててICカードを出して改札にかざす。霜月も同じくカードで通った。

ホームへ降りると、ちょうど電車が滑り込んできた。俺たちは久山を見失わないように、距離はとりつつ同じ車両に乗り込んだ。


平日の昼下がりだったが、夏休みのため学生の姿も多い。薮井方面は上りのため座席も埋まっている。俺と霜月は久山とは反対側のドア付近に立っていた。乗車中、時々俺たちの方、というか霜月に乗客の視線がちらちら向けられた。季節感のないコートが人目を引くのだろう。夏真っ盛りで車内も薄着の人が多いのため、霜月の服装は悪目立ちする。ストーカーに気づかれないように久山を護衛するという目的からしてもあまり適当でない。しかし当の本人は、奇異の目を向けられてもどこ吹く風だった。


だが俺には、それ以上に奇妙なものが見えていた。


額から生えている角。人込みの中ではその異様な顔立ちが一層際立って見えた。


あの日、角を生やした人物を2人も見かけたせいで、右代宮の言う【鬼病】に罹った人間がいやしないか俺はいつも気になっていた。とくに、人の多いところなら他の罹患者がいるかもしれないと何度も辺りを見回した。しかし今のところ、というか今までも、霜月や女子生徒以外に角を生やした人間を見かけることはなかった。


右代宮は神霊現象だとかいっていたが、一体どれくらいの人間が罹っているのだろう。罹患者には共通点があるんだろうか。それとも、発症は全くのランダムで、予測がつかないものなのだろうか。もしかすると明日にでも、俺の頭にも生えてくるんじゃないだろうか。


霜月との会話がないため、俺は自然と考えごとに没頭していた。そうしている間に、すぐに目的地の薮井駅に着いた。車内放送で我に返ると、俺は久山の姿を確認する。久山は俺たちの方には目もくれず、すたすた電車を降りていった。


改札は西口と東口に分かれている。久山の後を追って東口から出ようとしたのだが、急に霜月が俺の前を横切って直角に向きを変えた。


「え、ちょっとどうしたの」


何かと思えば、霜月は真っすぐ精算機に向かっていった。手持ちが足りないらしい。いや、別にそれ自体は構わないが、事前に一声かけるとかしてもらわないと、びっくりするだろ。久山を見失わないかとやきもきして改札の方を見ると、久山はとっくに改札を出ていた。いや、俺たちが後を追うのは了解しているのだから、ついて来ていないのに気づけば待っていてくれるとは思うが。


などと考えていたのだが、霜月の精算が一向に終わらない。何を手間取っているんだと見ると、霜月は精算機の前で硬直していた。そして、二つ折りの財布を漁った後、コートのありとあらゆるポケットをまさぐっってから、精算機と俺とを何度も見比べ、声にならない助けを求めていた。


「…おっちょこちょいか!」


俺は財布から手早く千円札を取り出して投入口に差し込んだ。すぐにカードがチャージされる。戻ってきたカードを、まごつきながら霜月が手に取る。

ただでさえ小柄な霜月は、一層縮こまってうつむいた。


「ご、ごめん、なさい」

「いいって。それより早く出ないと」


思いの外気落ちしている霜月と連れ立って改札をでた。


東口を出た所はバスターミナルになっていた。久山は俺たちの方、駅構内が見えるような場所で待っていてくれた。俺たちに気づくと、踵を返して歩き始める。

俺は気を取り直して辺りの様子を注意深く伺った。ここは久山の住所の近くだ。どこでストーカーが見張っているかわからない。そう思うと突然緊張してきた。霜月も周囲を観察している。


久山の様子だが、遠目では怖がっているのかどうか、その内心を伺うことはできない。歩く姿勢はさっきまでと何も変わらないように見える。


莇原駅や稷山駅と比べると商業施設の多い賑やかな通りを抜けると、マンションやアパートの立ち並ぶ居住区へ通じていた。久山が真っすぐ向かったのは、5階建てで外装が茶色の、比較的新しいマンションだった。おそらく久山の住まいだろう。


マンションの前までついていった方がいいんだろうかと考えていると、入り口の前で久山がこちらを振り返った。そして、大きな帽子を落ちないように支えながらぺこりと頭を下げた。反射で俺も会釈する。どうやらここまででいいということらしい。

久山はマンションの中に入っていった。


俺と霜月は見るともなしに、久山が帰宅するのを見届けていた。そのマンションは北側に廊下があって、俺たちの位置から各部屋の扉が見えるようになっていた。部屋と部屋の距離から見るに、2K以上の賃貸のようだ。久山は縦に5つ横に4つほど並んだ扉のうち、3階の左端から2番目の部屋の前に立った。


久山を無事送り届けたことで、俺たちの警護という仕事はひと段落着いた。が、問題になっているストーカーの姿を確認することはできなかった。俺は今一度、自分たちを取り囲んでいる住宅街に目を走らせた。時折通りかかる人は住民だろう、久山のマンションや俺たちに注意を払うような人物はどこにも見当たらなかった。


「ま、依頼人が無事に帰れたからいいか」


俺は霜月に声をかけるともなくかけた。霜月は反応しない。やっぱり愛想がないというか、人付き合いの苦手な奴だなあと思って霜月を見ると、霜月は、今しがた久山が消えた扉の前をじっと見ていた。つられて、俺もその方向に目を向ける。


するとすぐに、閉まったはずの扉が開いた。もしかして、久山は俺たちに何か用事でも思い出したのだろうか。

そう思ってマンションの3階を見上げていたら、俺はたちまち困惑した。


部屋から出てきたのは、男だった。離れているので歳も顔立ちも分からないが、背格好から男ということは断定できる。シャツにジーンズという服装で、右手に紙袋を提げている。


「誰だ、あれ?」


思わず声を上げる。男は鍵をかけると廊下を横切り、階段を下りてきた。


俺が呆然と突っ立っていると、左腕をつつかれたのでびくっと腕をひっこめる。霜月が物陰を指さしている。隠れようということらしい。


よく状況がわかっていない俺の袖を霜月が引っ張り、俺たちは道の反対側のアパートの陰に入る。男は俺たちに気づいた様子はなく、遠ざかっていった。


「あれ誰?」


霜月は首を振った。まあ当然だろう。


「まさか、彼氏とかか?」

「…かもしれない」


俺は頭を傾げた。だとしたら、今日一人で事務所まで来たのはなぜだろう。本当にストーカーに悩んでいるのなら、男性について来てもらった方がいいに決まってる。というか、もし彼氏なら、従業員の俺が言うのもおかしいがあんな胡散臭い個人事務所に依頼などさせずに、警察に相談することを勧めそうなもんだ。


もしかしたら、彼氏は久山のストーカー被害を思い込みか何かだと思って真面目に取り合ってくれないとか? いや、そもそも彼氏と決まったわけでもない。兄弟という可能性もある。そもそも久山は、身近な人間にはストーカーのことを話していない、知られたくないのかもしれない。


どうにも腑に落ちないが、わざわざ久山の部屋まで行って確かめるのも気が進まない。


「…あの、こういう時ってどうすればいいの?」


俺は判断に迷って、一応バイトの先輩にあたる霜月に訊いてみた。


「家までは送ったし、帰っていいと思う」


そういうもんなのか。まあここに留まったところで何かわかるわけでもないしな。


「じゃあ帰るか」


俺は一応久山の住所を確認してから、霜月とともにもと来た道を引き返した。

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ばけものガール トドロキ @todoroki

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