エピローグ-図書室にて

 小学校に、五時のチャイムが鳴り響く。委員会やクラブ活動も三十分前に終了し、校舎に残る生徒は少ない。昼の喧騒が嘘のような小学校の一角で、今、眠りから覚めた生徒が居る。


「――あんた、なに寝てんの?」


 目を瞬く栞の視界に、呆れ顔の少女の顔が。


「知佳ちゃん」

「なんや」

「帰ったんじゃなかったの?」

「おどかそ思うて待っとったんや」


 言って、知佳が立ち上がる。知佳の膝の上に乗せられていた栞の後頭部が、がっと床に落ちてぶつかる。


「ほら、立ち」


 知佳の手を取り、栞も立ち上がる。


「いつまで経っても来ぉへんし、しゃあなしに見に戻ったら、あんた、寝とるし、起きんし。なんかの病気か?」

「そうかも」

「嬉しそうに言いなや」

「何か、凄い夢見た」

「その割には、うなされとったけど」

「良い意味でも、悪い意味でも」

「あっそ」


 興奮冷めやらぬといった様子の栞を往なしつつ、自身のランドセルからタオルを取り出す知佳。


「てか、なんであんた、濡れてんの」


 わしゃわしゃとタオル越しに栞の髪を掻きまわしつつ、呆れ顔の知佳。栞は前髪を伝って落ちる水滴に漸く自覚を持って、閉口する。


「……寝汗?」

「こんな汗かいたら、干からびて死んでしまうわ!」

「じゃあヨダレ」

「ウチの善意のタオルになんてこと言うんや」

「じゃあおね」

「口閉じ」

「…………」


 図書室の極端に薄暗い方の通路で、栞は知佳の為すがままになる。とは言っても、それは数分程度の出来事で、栞の頭髪の水分をあらかた拭き取ってしまった知佳は、「腕疲れた」とだけ呟き、タオルを栞に預けたまま通路をとことこと歩き出す。


「帰ろ、栞」

「……うん」


 栞は辺りを見渡した。いつの間にか手から離れてしまっていた『狸兎の冒険』は、すぐ近くの床の上に放り出されていた。栞は一瞬思案して、結局それを、本棚の本の合間に埋めた。


 ここに来れば、いつでも読めるし……。


 本の背表紙を見つめながら、栞はそんな言い訳めいたことを思う。持って帰るのはなんだか怖いなあという感情が心の隅にあったことを、きっと栞は否定できない。


「栞ー?」


 通路の先で、知佳が呼んでいる。栞は寸でのところまで『狸兎の冒険』に目を奪われつつ、知佳の元へと歩き出す。


「本、借りんのやな」

「うん」

「ま、そらそうか」

「?」

「そもそも、もう五時やから借りれんしな」

「うん」


 他愛のないやりとりを繰り返し、二人は図書室を後にする。今日の非日常的冒険譚を、栞は永遠に忘れない。


「ねえ、知佳ちゃん」

「ん?」

「なんだかんだ、楽しかったよね」

「……なんや、急に」


 それに、たぶん、知佳も。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

本宮栞の紙上世界 白神護 @shirakami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ