塔の中枢-地上

 栞は仲ば押し付けられるような形で、強引に王冠を手渡された。栞は困惑の表情を浮かべつつ、リプリーの黒い瞳と真っ直ぐ見つめ合う。


「戦争?」


 リプリーの瞳に、栞の姿が反射して映っている。小学校の制服姿の、ちんちくりんで小さな自分。そういえば、学校の図書室で眠ってしまって、それでこんな夢を見ているんだった。栞はふと思い出す。リプリーの土星部分がきゅるきゅると回る。


「そうさ! シオリも下で見ただろう? 巨大な兵器の数々を! ――え、見てない? そうか、霧か。――え、槍? ああ、それは蜘蛛型タランチュラの脚の先かもしれない。いや、危ないな。シオリが踏みつぶされたりしなくてよかった。アレは一応、僕が動かしていてね。危うくヒト殺しになるところだった。ヒト殺しは餓死するまで監禁されてしまうから。ああ、でも、僕は餓死しないんだ。しかも、この部屋から出られないし。つまり、僕はヒト殺しをしてもいいのかな。――あ、ダメ? うん、うん。だよねだよね。あれ、ちょっと話題がおかしいな。僕たちは何の話をしていたんだっけ?」


 リプリーの視線が栞の手元に集中する。


「そう。そうだ! シオリは今日からこの世界の王様キング――いや、女王様クイーンか? シオリは女の子だよね? うん、うん、だよね。だから、つまり――。そう。シオリが世界で一番偉いんだ。僕はシオリの一番のパートナーになれるよ。僕には数億通りの戦術基礎プログラムが登録されているからね。さあ、シオリ。まずはどこの国を滅ぼそうか?」


 リプリーの瞳が天井を見上げる。すると天井に巨大な電子地図が展開した。栞には見覚えのない形の世界地図だった。


「まずは隣国だね。後ろ盾のない国から落としていこう。例えばここの――、あれ、攻略済みだ。そういえば、もう占領済みだったかな? ごめんねシオリ。もうずっと前のことだからよく覚えてないんだ。こっちはどうかな。うん、こっちも攻略済み。じゃあ、これも? これもか。これも、これも、これも、これも――」


 地図の陸地が、一色の色に塗りつぶされていく。最後の方まで残されていた広大な土地を持つ幾つかの大国も塗りつぶされて、世界が一色の色に染まった。


「…………」


 口があるのかは知らないが、リプリーは閉口した。フリーズしたとも言えるかもしれない。けれど、すぐに元気を取り戻した。


「まあ、人生は長いし、落胆の日もあるさ。ねえ、シオリ。僕らで新しい国を創らないかい? それで、僕ら以外の超列強国すべてと戦争をしよう。僕が居れば、きっと面白い勝負になると思うんだ! さあ、まずは王国の名前を決めよう。もちろん決定権はシオリにある。事務作業は僕に任せて。それも僕の得意分野なんだ。そうしたら宣戦布告だね。僕らには下の工廠とここいらの塔があればなんとかなるさ。兵器もまだまだ現役だからね。さあ、どこの国を攻めよう。ねえ、シオリ、どう思う? まずはシオリの意見が聞きたいな。シオリは世界――いや、僕らの王国のクイーンだからね! さあ、命令して!」


 きゅるきゅるきゅるきゅる。土星部分が加減なく回転し続ける。瞳は栞に切迫して、栞は少し恐怖を感じた。もふもふが栞の手に尻尾を絡めてくれて、ホッとする。栞はゆっくりと思案を巡らせ、そして意思を口にする。


「あの、ごめんなさい」

「?」


 ピタリ。リプリーの挙動が固まる。アームも関節も静止して、瞳がじっと栞を見ている。


「私には、できません。……これは、お返しします」


 差し出された王冠を、リプリーは暫く見つめ続けた。


「はぁ……。……そうか。……そうか。キミもか……。でも、まあ……、はぁ……。まあ、アレだよ。仕方ないのかな……。シオリはまだ子供だし、女の子だし、戦争には興味ないのかな……」


 壁から伸びてきたアームが栞の手から王冠を攫った。リプリーは落胆した様子で、土星部分を項垂れる。


「まあ、でも、王様は無理でも、友達ならどうかな。僕、戦争と同じくらいヒトが好きなんだ。あと、お喋りも。お喋りが好きすぎて、リプリーに何度も注意されたよ。あれ、リプリーは僕だっけ。まあいいや。――ああ、ねえシオリ。僕らは友達だから、僕は一つ、親切をするよ」


 もふもふの鳴き声が響いた。栞の表情が驚愕に染まるのと同時に、その背後まで迫っていた巨大な機械の手が、栞の胴を絡めとる。


「下まで、送るよ」


 能天気なリプリーの声。

 グンッ。と栞の身体がアームに引かれて液中を駆ける。もふもふが機械の手を解こうと尽力するが、また別のアームに捕まえられて、栞と引き剥がされる。


「邪魔だ! ラクーンラビット!!」


 部屋の隅に放られたもふもふを置いて、アームごと、栞は壁の穴に呑みこまれた。




 栞は頑強なアームに引きずられるような形で、粒子の流れるパイプの中を縦横無尽に駆け巡った。栞は抵抗を試みたものの、拘束は固く、万力のようでビクともしない。パイプは幾つも分岐して、その度に粒子の数は減り、段々と辺りが暗くなる。そして栞は息苦しさを覚え始めた。呼吸をすればするほどに、どんどん胸の辺りが苦しくなって、更に呼吸を何度も繰り返す。遂には水中で溺れているかのような感覚に捕らわれて、栞は激しく辺りを掻いた。そして――。


 周囲の水音が、風の音に変わった。




 栞はアームの拘束から解放され、自由になった。自由になって、落下していた。


 群青色と白色と黒色の塔がぐるぐると栞の周囲を回って、栞は風に打たれながら落ちていく。栞を放り出したハッチがゆっくりと閉じていくのが、視界の端に映った気がした。


 蒼穹を突く黒の巨塔。栞がその頂点を望めたのは、ほんの僅かな時間だった。それらはすぐに白に呑まれて、栞は雲の中を落ちていった。




 下へ落ちていくほどに、白い雲に陰りが出だした。乾いた制服はまた水気を含んで、けれどそれどころでなく、栞は落下速度を速めていく。


 やがて雲を抜けた。栞は雨粒よりも早く落ちて、落ちながら雨に降られるという貴重な体験をした。上にのさばる雲と下に蔓延る霧。その中間は雨で陰って、でも、遠くまで見渡せる。


 当て所なく、霧を分けて彷徨う人型兵器の上半身。遥か遠くに小さく見える、二、三の、雲を貫く黒い塔。眠るように沈黙する、蜘蛛のような十足の機械。それらを窺えたのも束の間、栞の身体は霧に呑まれた。


 塔の構造を思えば、栞が行き着くのは山のように重ねられた工廠群の天井なのだが、栞は真っ白な霧の中で全身を凍らせながらその時を待った。

 思いの外、それは早くやってきた。


 栞は最上層付近の工廠の天井に衝突し、そこに大穴を開けた。その際に栞の身体と命がどのような末路を辿ったかは、想像に難くない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る