リプリー:アーノルド:ワトソン
小学校の体育館よりも、ずっとずっと広いその部屋は、そこら中に白く発光する粒子が漂っていて、そこそこに、満点の星空みたいに明るかった。
天井の中央からは太くて三つの関節を持つ、黒いボディのアームが生えていて、先端には土星みたいな輪っか付きの球体がぶら下がっている。栞ともふもふが部屋に入るのと同時に、その球体が、くるりと二人を振り返った。
〈やあ、やあ、ラクーンラビット。二度目まして〉
それは栞の知らない言語だった。ただ、声が男性のもので、砕けた物言いをしているということは、なんとなく分かった。球体はアームの関節を機械的に開いたり閉じたり捩じったりして、土星部分をもふもふの方へぐぐっと近づける。栞は驚いて、少し仰け反る。遠目に見ても球体は大きく見えていたが、近くで見ると、尚大きかった。球体部分だけで、教室一個分よりも大きそうだ。
〈お隣のそれは……、まて、まてよ、見たことがあるな……、確か……〉
土星部分には黒い丸が一つだけあって、まるでそこを目のように使って、球体は栞を観察する。
〈……いや、いや。まあ、それはいい。ところでアレだ。もしキミがアレなら、名前があるんじゃいのかい? 言葉も喋れるんだろう? ほら、とりあえず知的なお喋りをしよう。……メガネは居るかい?〉
一部の壁が小さくめくれて、メガネを手にした三つ指のアームが現れる。栞は言葉も分からなければ、なぜメガネが取り出されたのかも分からない。仕方なくメガネは受け取ったが、度が強すぎてすぐに外した。
「あの、私、日本語しか喋れないんです」
液体の中でも栞の声は正しく届いたらしく、球体はくねくねと関節を変動させながら、土星部分の瞳を天井の方へ差し向けた。
〈日本語、日本語……。知らない言語だな……〉
《これならどうだい? 日本語かな、これは?》
栞は困った顔をしている。球体が使用言語を変えたことにすら、残念ながら気づいていない。
《ダメか。これは日本語じゃないのか……》
【ならこれは? ――ダメか】
〔どうだろう? ――はあ。キミ、一体どこから来たんだい……?〕
「あー、あー。これはどうかな?」
「あ!」
栞の顔がパッと明るくなる。球体は「おお! おお!」と嬉しそうに嘆声を上げ、くねくねと関節を激しく揺さぶる。もふもふだけがやれやれといった顔をしている。
「さあ、話をしよう! 実はヒトと話すのは随分振りなんだ。皆、地上に降りて行ってしまったからね。皆は元気かい? ああ、そうだ。まずは名前、自己紹介だと思わないか? 僕はこんな見た目をしてるけど、一応、ヒトを自称していてね。初対面のヒトとヒトとが語らい合うなら、まずは名前と趣味と好きなものについて知っておくべきだと思うんだ。違うかい? ともかく僕の名前はリプリー。リプリー:アーノルド:ワトソン。名前は自分でつけたんだ。結構、イカしてると思うんだけどどうかな。それで、キミの名前は?」
機械には息継ぎの概念がないらしい。栞は饒舌に喋り飛ばすリプリーのどの問いに答えるべきかを少し悩んで、結局、「本宮、栞、です」とだけ答えた。リプリーはきゅるきゅると土星部分を回転させて、瞳の部分を栞に突き付けた。
「モトミヤ、シオリ。オーケー、オーケー。良い名前だ。きっと両親に愛されているんだろうね。――え、違う? そうか、まあそういう家庭もこんなご時世じゃ普遍的さ。ところでモトミヤ、シオリ。――え、シオリ? そうか、シオリか。じゃあ、シオリ」
さっきメガネを持ち出してきたものとはまた別のところの壁がはがれて、似たようなアームが飛び出てきた。その三つ指の手には、茶色く汚れた王冠が握られている。
「さあ、今日からキミがこの世界の王様だ! 存分に戦争を楽しもうじゃあないか!」
ぐねぐねと関節を捩じり、狂気めいて乱舞するリプリー。戦争の為に創造された、神の如きAIは、この日再び、自己の存在理由を確立し掛けた。
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