5:見送りのキス、おかえりのハグ
食事会からの話の進みは、驚くほどに早かった。
結婚というものは、もうちょっと時間がかかるものだと思っていたけれど、一目惚れとお見合いの合わせ技みたいな経緯を辿った私達の恋路に、障害物は無いようなものだった。そりゃあ簡単に進むわけだよ。
そして今、私と彼は、ホテルの小さなパーティーホールに集まった、両家のごく近い血縁者の間を――駆け抜けている。
ええ、そうです。挙式では静かだったバネが、披露宴でたわんできてしまいました。
私はこの展開を予見してのスカート丈が短いドレス、彼はいつもの旅姿に燕尾服の上だけ羽織った姿だ。
「新郎新婦の入場です。列席者の中を駆け抜ける二人の姿は、世渡家が絡んだ式典のお約束と言っても過言ではないでしょう」
司会をしている彼の叔父さんが言う。やっぱりお約束なのか。
あと何秒ぐらいありそう? そう尋ねる時間も惜しい。
「新婦家の皆様には慌ただしくて申し訳ありませんが、時間が迫っているので迅速に略式で参ります」
こういう事になるから、列席者の招待も最小限なのだろう。
「皆様、お手元のグラスをお持ちください」
私達には叔父さんからリンゴジュースの瓶が渡された。
「良行、女は星の数より多いが、こんな事になっても楽しそうに笑ってくれる嫁さんなんて、他にはいないぞ。泣かすなよ」
彼は「はい」と力強く頷いて、叔父さんと拳をぶつけあった。
「今日香さん、彼の良さは育てた私が保証します。どうぞ、この先支えてやってください」
私も胸を張って「はい」と答える。
「それでは、新郎新婦の前途を祝して、乾杯!」
ぐいっと飲み干し、私は彼と抱き合ってキスをした。
「それじゃあ、行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい! そのトランクの向こうで、待ってるから! 気を付けてね!」
にかっと笑って、彼は消えた。
普通なら大混乱になるのだろうけど、式典中に主役が消えるぐらいは日常茶飯事の世渡家は、完全に対応慣れしていた。おかげで私は、突然消えた新郎に絶句している祖父母のフォローに回る事ができた。
いつかは私も、こうして花嫁を助ける日が来るのだろう。
私が世渡今日香になってから、半年とちょっとが過ぎた。大分日が長くなって、四月の夕暮れはゆっくりと暖かくなりつつある。
私は買い物からの帰り道、自転車を走らせている。カゴの中には、春の揚げ物フェスで特売されていた揚げ物の詰め合わせが入っている。この揚げ物軍団は半分以上が彼のためのものだ。
なんでも、彼が今いる異世界、『
ここ最近のバネの様子から見て、そろそろ彼は帰ってくると思う。今夜までに帰ってきたら、おかえり揚げ物祭、帰らなかったら五目揚げ物弁当を送る予定である。
こうして自転車を走らせていると、去年九月を思い出す。
あの時の私は、彼と結婚するとは想像もしなかっただろう……いや、吉方翡翠ごしに彼を見た時、キラキラの中に予感のようなものは感じていたかも?
予感といえば、彼と暮らす内に、私にも一種の超能力のようなものが目覚めたかもしれない。私は、寿司の犠牲を忘れて無警戒に自転車を走らせているわけではないのだ。
家の手前で、私は自転車を止めた。
「ここだ」
両腕を構える。あくびや、しゃっくりが出る直前に感じるような、なんとも言えない感覚が強まる。少しズレている……右に一歩。少し左を向く。
そして――
「ただいま!」
「おかえり!」
私と彼は一歩の修正も必要なく、完璧に抱き合った。
「すごいじゃないか。今完璧だったよ」
「やるもんでしょ」
この精度に持ってくるまでに九回の失敗があった。
「今夜はリクエストにお応えして、揚げ物祭だよ。エビフライ、イカフライ、ハムカツ、そしてもちろん! あなたの好きな、うずらの卵もあります!」
「良いね! 夕飯が待ち遠しいな」
「六本買ってあるから、おやつにもどうぞ」
「え、良いの?」
「良いの良いの。たっぷり味わって。それから、朱の大地の事を聞かせてよ」
「もちろん。食事はひどかったけど、面白いネタは色々あるんだ。お土産もね」
「お土産もあるの!? わぁ、楽しみ!」
私達は手を取り合って、玄関を開けた。私も夕飯が待ち遠しい。
完
世渡さんの旦那さん 稲生葵 @Inou-Aoi
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