みにくいアヒルの子が、みにくいまま幸せになろうとする話

無記名

黒いアヒルと死にたがりの犬

ある所に、1羽のアヒルが産まれました。


彼は、他のアヒルに仲間外れにされ、とても寂しい思いをしました。


何故なら彼は、群れの中で唯一、毛並みが黒かったからです。


『黒いアヒルなんて、俺達とは違うから、お前は仲間じゃない!』


そう言われた黒いアヒルは、悲しくなってしまい、群れを出て、一人寂しく旅に出ました。


しばらくの間、旅を続けていると、彼は世界の広さに驚きました。


美しい花々、夕日に輝く湖、優しく降り注ぐ雨、小鳥たちのさえずり……


彼は、『群れのテリトリーの外には、こんなにも素晴らしいものがたくさんあったんだ!』と驚き、また興奮しました。


彼が今まで知っていた世界なんて、ほんのちっぽけなものだったのです


そして、こんなにも面白い世界についてもっともっと知りたい、旅してまわりたいと思うようになりました。


アヒルが世界の広大さに気付いてから、季節が一巡りしました。


ある日のことです。


彼は、片耳がちぎれた1匹の犬に出会いました。


その犬は、ひとり寂しそうに、湖の水面みなもを眺めています。


『こんにちは、犬さん。どうしてひとりでたたずんでいるんだい?』


『こんにちは、アヒルさん。僕はね、歯がとても長くて、醜いんだ。不吉の象徴だと言われて、同じ群れの仲間からいじめられて、耳を噛みちぎられたんだよ……僕は耐えられなくって、群れを飛び出したんだ』


『なんて酷いことを!痛かったでしょう・・・?』


アヒルは、自分の黒い羽を犬の傷にあてがい、優しく、さするように撫でました。


『アヒルさん、ありがとう・・・』


『実は僕も、この黒い身体で群れから仲間外れにされてしまってね。仕方なく、ひとりで旅をしていたところなんだ。良かったら、一緒に行かない?』


アヒルは、ずっとひとりで旅をしていたので、友だちが、欲しくて欲しくてたまらなかったのです。


しかし、片耳を失くした犬は、首を横に振りました。


『ありがたい申し出だけど、僕はもう、この湖に飛び込んで、全部、終わりにしようと思うんだ』


『なんだって!?どうして、どうしてそんなこと・・・!?』


『だって、片耳を失った僕にはもう、生きる価値なんて無いから』


うつむいた犬の表情は、これ以上ないほどに、うつろで、からっぽでした。


『そんな、そんな悲しいことを言っちゃダメだよ、犬くん!』


『そう言ったって・・・僕はこんなに醜い上に、音の距離感さえわからないんだよ?』


『それでも、自ら死ぬなんてこと、してはいけないんだよ!』


犬は、だんだんと腹が立ってきました。


なんだコイツは?

今しがた会ったばかりで、何も知らないクセに。

知ったような口をきくんじゃない。

正論を振りかざす偽善者め。

もう嫌なんだよ。

過去に襲われ、未来に怯え、肩を縮こませながら現在いまを生きるのは。

放っておいてくれ!


そのように、犬はむきだしの言葉かんじょうを叩きつけようとしましたが、


『君は、そこにある美しい花の名前を知ってる?その花言葉は?』


アヒルは唐突にそう言って、朝露に濡れて輝く、紫陽花あじさいを指し示しました。


『・・・は?知らないよ。そんなのどうだっていいだろ』


犬は、吐き捨てるように答えました。


次にアヒルは、蒼く澄み切った、美しい空を指し示しました。


『空気は透明なのに、空が蒼いことについて、考えたことはない?』


犬はこめかみに青筋を立てて怒鳴りました。


『だから、それがなんだって言うんだよッ!!関係ないだろッ!?』


意味不明なことばかり言うアヒルに、犬は嫌悪と不安と不審と不信を材料にして出来た、まるで鋭い槍のような、恐ろしいまでの怒気をぶつけました。


しかし、当のアヒルはどうかというと、全く意に介してはいませんでした。


実はこの時、アヒルは犬に怒鳴られたことも、「友達が欲しい」というさっきまでの浮ついた気持ちも、等しくどうでもよくなっていたのです。


『この世界は、君の知らないことで溢れてるんだ。本当に、ほんっとうに、面白いことで溢れているんだよ!』


両の羽をめいっぱい広げて、アヒルは主張します。


『だから、自殺なんて、死ぬほど勿体ないこと、しちゃいけないよ!』


楽しくないから、面白くないから、生きるのをやめるのではない。


『僕は、君と一緒に旅がしたい。君に、生きていて欲しいよ』


生きるからこそ、楽しくて、面白い「何か」に、出会えるのだと。


そしてその「何か」は、生きる理由にるのだ、と。


『・・・・・・』


犬は、静かに驚きました。


ついさっき初めて会ったばかりなのに、どうやら、目の前のこの黒いアヒルは、自分に、「生きていて欲しい」ようなのです。


それも、心の底から。


コイツ、アホか?


正直、犬はそう思いました。


『・・・僕たち、初めて会ったばかりだよね。どうしてそんな事を言ってくれるんだい?』


怒りは、疑いと、ほんの少しの期待に、変わっていました。


『それは、君と僕が、「同じ」だからかなぁ』


『同じ?』


犬は首を傾げます。


『あ、いや、「同じ経験をした」からだね』


『同じ経験?』


『仲間外れにされて悲しかった、っていう経験』


犬はすこし不服そうに言いました。


『・・・そうだね、そこは同じかもしれない』


『あ、今気付いたんだけど、もしかしたら、僕たちの他にも、そういう仲間外れにされているひとたちがいるかもしれないね』


自分のペースを崩さないアヒルに、犬はだんだんと巻き込まれていきます。


『・・・きっと、いるだろうね。いじめは、どんなところでも起きているから』


『じゃあさ、僕達で彼らを探して、一緒に暮らそうよ!』


『え・・・』


『そうしたらさ、辛い経験をした者同士だから、仲良く出来るんじゃないかなぁ・・・!』


目をキラキラ輝かせて、アヒルは犬に迫ります。


『そう・・・かもしれないね・・・・・・』


犬は、その輝きが、怖くてたまりませんでした。


『ねぇねぇ犬くん、そういう、「未来の友だち」を、一緒に探しに行かないかい?』


『・・・そうだね、それは面白そうだ』


『だろう!?だったら一緒にーーー』


『でも僕は行かない』


ーーーいや、行けない。


『・・・・・・』


アヒルは、なんで犬がこんなにも頑なに拒むのか、理解できませんでした。


『・・・どうしてだい?』


『・・・怖いんだよ。期待したら、裏切られるかもしれない。希望なんか持ったら、奪われるかもしれない』


今まで何度も何度も、犬は希望をとうとしました。たもとうとしました。

何度も何度も、あがいたのです。もがいたのです。


しかし、そのどれもが、より深く、より大きい苦痛を与えるための、引き金にしかならなかったのでした。


だから犬は怖がったのです。


アヒルが持ってきてしまった、眩しくて、それでいてすこし懐かしい、希望ひかりを。


『そっか・・・。キミは、僕よりも長く、とてもとても長く、苦しんできたんだね』


アヒルは、先ほど犬に『死んではいけない』と正論を突きつけてしまったことを後悔しました。

それはあまりに安直で、愚かなことのように、今のアヒルには思えました。


目を閉じて、アヒルは一生懸命に言葉を紡ぎます。


『僕は、キミの過去を変えることは出来ないし、「僕を信じて」とか「もう一回頑張ってみようよ」なんて薄っぺらい言葉も使えないし、もう、使わない』


いや、使えない。


そう、アヒルは思いました。


『・・・』


犬は項垂うなだれたまま、アヒルの言葉を聞いています。


『キミの暗く澱んだ過去は、いつまでもキミを苦しめるのかもしれない。これから先の未来、今まで以上につらく苦しいことが襲ってくるのかもしれない』


犬はうつむいて、苦しそうに目を細めました。


ふと顔を上げて、アヒルを見ると、アヒルもまた、苦しげにまぶたを引き結んでいました。


『でも僕はこう思う』


そう言うと、アヒルは目を開けて、満開の笑顔でこう言いました。


『「そんなの関係ない。キミと旅がしたい」って』


そこから、アヒルは矢継やつばやにこう言いました。


『ありありと思い浮かぶんだ』

『キミと一緒に、雄大な滝に圧倒されたり』『森の中で迷って死にかけたり』

『キリンの背に乗っていつもと違う視点を楽しんだり』

『毒キノコ食べてまた死にかけたり』

『本当に綺麗な夕焼けを一緒に眺めたり・・・』

『キミの苦しさは、僕にはどうにも出来ない』

『でも、キミと一緒に、思いっきり、バカみたいにはしゃいで、生きることなら・・・』

『ねえ、死ぬのなんていつでも出来るよ』

『だったら、旅の途中でアホみたいに大口開けて、笑いながら死んでいこうよ』


『・・・・・・』


うなだれていた犬は。


『・・・・・・ぷっ、あははは!』


なんだかおかしくって、噴き出してしまいました。


『毒キノコってなんだよ、毒キノコってっ・・・・。情けなさ過ぎるだろっ・・・。なにが悲しくて二回も君みたいなやつと一緒に死にそうな目に合わなきゃいけないんだよっ・・・! 』


そんな犬の様子を、アヒルはニコニコしながら眺めます。


『ふふ、面白そうでしょ?』


『・・・ああ、負けたよ。死ぬのなんかいつでも出来る。今は、目の前のヘンテコなまっくろくろすけと一緒にバカをやってみたいねっ!』


犬は、これまで感じたことのない、不思議な気持ちになりました。


『誰がまっくろくろすけだよっ!置いてくぞ!』


『まぁ待ちなって!まずは君の背に乗って、この湖の向こう側に行く予定なんだから!』


「もしかしたら、今度こそ」という期待と、「いや、今回もどうせ同じだ」という諦めが心の中でぶつかって、混ざり合って。


『初耳だよ!ていうかそれじゃ僕ばかりが疲れるじゃないか!ダメダメ、キミは隣で犬かきでもしてな!』


もうひとつの気持ちが生まれたのです。


『えぇー』


醜い歯も、片っぽだけの耳も、過去も、未来も、どうでもいい。


『さあ、出発だ!』


今はただ、この真っ黒なアヒルと、


一緒に、生きてみたい、と。

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