第3話「四腕人型土製偶像(部分)」

 めずらしく定時に仕事を終えた日のロッカーで、佐伯さえきうららはキリカ・フォンタネージを夕食に誘った。


「現代の若い日本人は、仕事以外の場所で同僚と会いたがらないと聞いていましたが」


 文化人めいたキリカの堅苦しい言葉遣いに、麗は人を食った笑いを返す。


「そういうのは、所長とかから逃げる方便。今時の若者でも二枚舌ぐらい使うんだから。フォンタネージさんこそ、大丈夫だった?」

「大丈夫でなかったらそう言います」

「素直でよろしい。何かリクエストある?」

「では寿司を」


 奢らすつもりか、と邪推したが、ふと気づいて麗は内心で苦笑する。

 エルフは森の民だ、海の幸を生で食べることには縁がなかったはず。キリカにとって、新鮮な魚料理は未知の体験に違いない。そういうことなら、異文化を存分に味わってもらおう。

 でも、実際、手持ちは心許ない。眉をひそめる麗に、キリカは告げた。


「回る方でいいですよ」



 回らない方の寿司を堪能した後、隠れ家的なカフェでお茶をして、ふたりは夜の底を漂うように歩いていた。


 街を東西に貫く通から北にしばらく入ったあたりは、和の匂いを色濃く残す町屋と、異世界風のモダンな建築とが交互に立ち並んでいる。風雨に晒されて黒ずんだ風合いの格子戸のとなりに、バロック調の装飾が施された洋風の門構え。堅持された伝統と進取の気風を併せ持つ、この街に相応しい景色だ、と麗は思う。

 むしろキリカのほうが、この街路に面食らっているらしかった。


「このつぎはぎ細工のような景色、どうしても慣れません……こんな風景を許しているなんて」

「そう? これはこれで、美学を感じない?」

「分かりかねます」

「フォンタネージさんさ、頭はいいし、魔法もうまいけど、すこし固いよね。異文化の産物を自分の価値観に寄せて解釈するのは文化人類学の負の遺産よ」

「単なる剽窃ではありませんか」

「模倣も表現のうち、パクりから文化は始まるのよ」

「さっきのお茶にお酒でも入っていたのですか?」


 キリカに不審げに見つめられ、麗は我に返る。かつん、と路地のアスファルトを叩くヒールの音が、夜更けの街並みの彼方まで響き渡る。

 繁華街から離れたこのあたりは、観光客のいない時間帯にはおそろしく静かだ。街灯もほとんど見あたらない。電化より前に異世界の魔術が流入した日本では、電力網の発展がとぼしく、都心部でも住宅地の夜はほとんど暗闇に近い。


「灯り、いりますか?」


 キリカが小さく呪文を唱えると、彼女の手の中から光の球が生じた。ほんのりだいだい色の、暖かみのある灯りが、ゆらゆらと麗の前にゆらめく。


 町屋の塀が黒く浮かび上がって、いっそう影の実在を強調するかのようだった。影の奥には、いっそう深い夜。

 真夏の蒸し暑さの中、ふっと、背筋が冷える。

 恐いよりも、なつかしい感覚だった。


 気持ち、顔を上げて、細い通を東に向けて歩き出す。


「私、この近くの生まれでね。このへんの街は庭みたいなもので、良く走り回ってたもんよ」


 急な思い出話に、キリカがすこし困惑したような空気を感じる。それこそ、親しくもない上司の世間話を聞かされる部下の構図だ。

 悪いな、と思いつつも、麗の言葉はとまらない。


「それで、一度、異世界に迷い込んだことがあるの」

「えっ」

「不確定ゲート、知らない?」

「いや、それは知っていますが、ええと」


 異世界との接続が確立されて以来、『ゲート』は国家と国連によって管理されている。時空を制御する6類魔術の管理資格は麗も取得しているが、異世界との勝手な接続は違法だし、そんな大規模な魔術を個人で用いるのは不可能だ。


 それでも、まれに、異世界との予期せぬつながりが発生してしまうことがある。たいていは不安定で小規模なゲートだが、子どもがうっかり入り込んでしまう事故はめずらしくない。

 その不確定ゲートを通じて、麗は、異世界を訪れた。まだ小学生のころだ。


「右も左もわかんないまま、それが異世界だってことも気づかないでさ。それでうろうろしてたとこを……あ、ここだよここ」


 麗は道端の祠の奥に佇むお地蔵様を指さす。その近くには『ゲート注意!』の看板。異世界との接続事故があった現場には、交通事故の多発地点のように注意書きがされることになっている。

 ただ、単に事故現場として取り扱うのはもったいない、と、学芸員としての麗は思う。どちらかといえば、遺跡のように保護されるべきだ。


 お供えされた水仙を、麗はなつかしく見つめる。


「道を歩いてたら、ふわって、なんだか空気が変わったな、って思ってさ。子供の時って、敏感じゃない? 気配がわかるっていうか、人の心が読めるっていうか、そういう感じ」

「覚えていません」

「そっか、あなたの子供時代って何百年とか昔だもんね」


 やけにおもしろくて、笑いが抑えられない。ほんとうに、お酒でも入っていたのかも。


「ともかくそれで、ふわっと異世界に入っちゃって、迷ってたんだけど。結局、ちょうどそこで会ったエルフさんに保護してもらったんだよ。大人っぽくて、クールで、すてきな人だったなぁ……」

「はあ」


 うっとりした麗の声に、気のないキリカの返事。


「そのときに、森で拾った土器、博物館に寄贈したのよね。あるでしょ、四腕人の土器の腕。個人から寄付した、ってなってるけど、あれ私なの」

「ええ」

「私が拾ったのは、ほんとに欠片だけだったんだけど。エルフさんの村で保存されてた土器と、ぴったりくっついたんだよね。なんかやけに喜んでくれて、ついでに持って帰れ、って勧められてさ。あれ、持って帰っちゃってよかったのかなあ?」

「旅人には記念の品を持たすものと決まっていますから」

「それ、エルフの風習?」


 振り返って訊ねると、キリカは手の上で灯りをもてあそびながら、肩をすくめる。


「私の村ではそうでした」

「ふうん。それで私、異世界のものとか興味を持って、6年生の時には進路希望も”異世界博物館の職員”って書いて。おかげでこうして、第一志望の地元の博物館に就職できたわけ」


 麗の中では、ほのぼのした思い出であり、自分の将来を定めた重大なエピソードだ。周りの大人は、子供が行方不明になったり、異世界の土器を無断で持ち帰ったり、といったあれこれで大変だったらしいが、麗自身はその騒動をちっとも覚えていない。

 きれいな記憶を反芻するように、ほっ、とため息をつき、空を見上げる。星がきれい。それを見ていると、異世界の星の並びが日本とまったく違っていたのを思い出す。月もふたつあった。


「だから、あのときのエルフさんは恩人みたいなものでさ。いつか会ったら、お礼を……」


 しゃがみこんで空を見上げる麗の視界に、キリカの顔が飛び込んでくる。彼女は、いつも通りの、いや、もっと不愉快そうな仏頂面で、ちいさくなった麗の頭をのぞきこんでいた。金髪が、スーツの肩からたれ落ちて、魔術の灯りのそばできらきらした光をちりばめる。


 切れ長の目は、怒っているようでもあり、クールなようでもあり。

 こうして見上げていると、その面差しは、成熟した女性らしく見えて。


 麗の頭の中で、記憶がばちっと音を立てた。

 修復魔術で石器の断片を補修するときと、同じ音だ。


「あなただったの!?」


 声が裏返る。しゃがんだままの姿勢でのけぞる。思わず、そのまま後ろに転んでしまいそうになった。キリカが、肩に手を添えて麗を支える。

 顔が近づくと、キリカの整った面差しが、なおさら圧を伴って麗に迫って来るみたいだった。

 透明な瞳が、麗を映している。

 古い記憶と、今この瞬間の驚きが入り交じって、混乱してしまう。


「どうして言ってくれなかったのよー」


 本人を前に、あこがれ満載の言葉をぺらぺらしゃべってしまった。恥ずかしくて顔から火が出そうだ。

 キリカは、麗を支える手を離さないまま、目をそらす。


「私も、ついさっき気づいたところなんですよ。あなたがこちらの世界に来た、といったとき」

「あー……お互い間抜けだなあ……」

「佐伯先輩の方が先に気づくべきですよ。私の容貌、当時と全然変わっていないでしょう?」

「子供の目で大人を見るのと、同僚として見るのとじゃ違うし。それに服も違うじゃん、あのころ何かヒラヒラの薄着だったでしょう?」

「そうですけど、当時のあなたと今のあなたほどは違いません。人間がこんなにあっという間に面変わりするなんて……」


 ふふ、と、ふたり、一緒に笑った。静かな路地に、そのかすかな笑いが響いていく。

 深くて怖い夜闇が、それだけで、身近なものに思われてくる。


 立ち上がって、麗は、キリカと向き合う。


「……あらためて言うのも変な感じだけど。ありがとう。あなたのおかげで私はここにいる」

「それはこっちの台詞なんですよ」

「え?」


 キリカは照れたように目をそらして、ぽつりと、エルフ語でつぶやく。


「R▲Fx□P」

「それ、何だっけ?」

「言葉くらい覚えてください。異文化コミュニケーションの基本でしょう」

「つれないなあ」


 言い合いながら、ふたりしてクスクス笑う。

 並んで歩き出すと、キリカの足音と、麗の足音が夜の中をそろってこだまする。ふたりの前には、魔法の灯りがふわふわと浮いて、黒塗りの板塀と白亜の玄関が交互に立ち並ぶ夜道を照らす。地下鉄の駅舎はまだ先だ。


「すこし遠回りしていこうか、フォンタネージさん?」

「いいですね……キリカでいいですよ、麗さん」


 対等に交わす目線が、心地よい。

 ふたりの帰り道は、もうすこし、長くなりそうだった。


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四腕人しわんじん型土製偶像(部分)」


 異世界においても、ある種の人型の土器が数多く生産された。その代表的な種別のひとつが、四腕人型土製偶像であり、この所蔵品はその偶像の腕部分である。異世界渡来事故より生還した児童が、エルフの森から持ち帰った。四腕人像特有の肩部のなめらかな形状に、土器時代盛期における高い製造技術を見ることが出来る。

 四腕人の実在については諸説あり、未だ定説を見ない。異世界においては発掘調査を行う学術的な態勢が整っておらず、真偽入り交じる文献や、エルフ族などの長命種による聞き語りなどをもとに推測するしかないのが現状である。『エルドン有翼人ゆうよくじん』事件以降の、長期にわたる古代異世界生態学研究の停滞から脱すべき時期にある、との提言は各方面から為されているが、その動きは鈍いと言わざるを得ない。

 研究の現状からして、四腕人像の使用目的についても憶測以上のものは得られていない。発掘地点がきわめて限定的であること、集中して発掘される地点があることから、特定の民族による祭祀のための偶像との説が根強いが、古代の信仰形態との関わりが見いだされているとは言い難い。現存しない異様な形態の人類の像、という特異性がもたらすロマンチシズムが、調査研究への強いバイアスとなってる側面は否定できず、より客観的かつ包括的な研究が望まれる。

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府立異世界博物館 扇智史 @ohgi_

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