#7:『孤児院仕込みのホワイトシチュー』

「質問をしても構わないか?」

「許可しよう。何だね」

「配置換えとはどう言うことだ」

「地区担当のR-223047が死んだ。トラックごと住宅地に突っ込んだらしい」


 休日明け早々薄暗いニュースである。

 R-223047。例の角砂糖をエンジンに混ぜ込み、懲罰官から酷い目に遭わされていた西大陸出身の男だ。積荷ごと心中してしまうとは、何とも無残な最期と言うべきか、荷物運びもまともに出来ない無責任な奴だと言うべきか。

 ともあれ、これで俺は晴れて、運搬業務の中では最も過酷な場所と目される地区――第三級市民階級区画、通称貧民窟スラムへ回される羽目になった。

 そんなスラム担当の労働階級に付く懲罰官こそが、今俺の目の前にいる神経質そうな顔立ちの細い男。数いる懲罰官をまとめ上げる長であり、例の男に散々体罰を振るった問題の奴だ。屁理屈をこね回してまで懲罰を押し付けてくるほどサディスティックな輩ではないが、一々規則や不文律に細かすぎてこっちから何かしたくなってしまう。そういった意味で、円満に付き合うのは極めて困難な相手だった。今のところ問題なく接触出来ているが、それは俺が神経を使っているからのことである。前の懲罰官の緩さが恋しい。

 しかめそうになる顔を取り繕いながら、男から渡された配送の順序表に目を通す。初日だからか単にそういう日なだけか、配送する荷物の量はそう多くない。道順も然程難しいと言うわけではなく、迷子になって終業に遅れると言うことは無さそうだ。

 この程度の仕事で何度も懲罰を喰らうとは、彼がよほど鈍くさかったのか、はたまたスラムの者達が相当危険であるのか。


「質問をしても構わないか?」

「許可しよう。何だね」

「前任の奴はかなり懲罰を受けていたようだが、その理由は? 俺まで同じ罰は喰らいたくない、対策が出来るならさせて欲しいんだが」

「スラム地区の居住者によって積み荷を強奪される案件があった。運送車には暴徒鎮圧用の武装を搭載していることは知っての通りだろう? だがそれを使わず、運送車ごと明け渡して一人無傷で帰還してきたのがR-223047そいつだ」

「なるほど、それなら何とか出来そうだ」


 臆病な男だったらしい。俺は同じ轍を踏まないよう気を付けるしかないか。

 懲罰官の答えに納得の色を示し、追加の質問が無いことを伝えてトラックへ乗り込む。配達順のメモをダッシュボードのメモ立てに立てかけ、労働階級章でエンジンを始動。ミラーと計器類をチェックし、異常や異変が無いことを確かめてから、懲罰官へ簡易な敬礼を返しておいた。礼が返ってきたのを横目に、トラックを走らせる。

 行き先はスラムの一番地。第二級市民区画と隣り合う、抗争と険悪の土地だ。



「死にたくなけりゃトラック置いてけ」

「失明したくなければ銃を下ろせ」


 待ち構えられていたのか喧嘩っ早いのか。運送車を降りた途端スラムの住人に絡まれてしまったので、俺も負けじと信号銃を構えた。

 労働階級は何処までも弱い立場で、仮令命が懸かった正当防衛でも、上位階級の命を奪う行為は禁じられている。故に、俺が使える武装も殺傷力は全くない。込められている弾は着弾の瞬間爆散するほど脆く、万が一顔に命中しても、封入された薬液が掛かって死ぬほどクシャミと鼻水と涙が出るだけだ。治験でやらされたからよく知っている。

 勿論スラムの人間に、あの鼻水地獄の辛さは知る由もない。俺の持つ銃が殺傷力を持たぬと見抜き、俺の脅しを鼻で笑いながら、銃の引き金に指を掛けた。


「そんなちんけな銃でオレらがビビるとでも思ってんのかよ。マジ殺」

「なら喰らえ」


 先手必勝。俺の鼻っ柱に銃口を向ける蓬髪の青年に向けて、俺は迷いなく引き金を引いて弾の中身を散布する。ぱしゅっ、と銃声にしては軽い音が一つ、色もなく音もなく、臭いすらも一見しないまま薬品が揮発し――半開きにしておいたドアから車内へ退避するのと同時に、スラム街へ五人ほどの人間の悲鳴がこだました。

 後遺症はないが、付着すると落ちるまでひたすらに粘膜を刺激する薬品。そんなものが目やら鼻やら口やらに付着してしまった哀れな被害者達は、色々な液体を顔中から垂れ流しながらばたばたと道に転がっていく。この薬自体は揮発性が高い上に紫外線ですぐに分解されるので、まあ五分もすれば治るが、その五分が死ぬほど辛い。立って銃を構えることも出来ない内に、さっさと仕事を終わらせてしまおう。

 南無三。聞きかじった仏教の掛け声を残し、俺はそそくさとトラックを走らせる。



「あら、今日からまた違う人?」

「前任の者が事故に遭ってしまったと言うことで交代しました。出来ることならば長くお付き合い出来たら良いと思っています」

「そうね、無事に仕事をしてもらえたら嬉しいわね。今日はありがとう」


 配送先は、見る限り古い孤児院のようだった。

 びっしりと蔦で覆われた壁につぎはぎだらけの屋根、看板は傾いて文字は錆びつき、窓も割れっぱなしで板切れが打ち付けてある。手入れをしている暇や資金が無いのか、玄関先に広がっている庭は荒れ放題もいいところだ。言い方は悪いが、俺達が住んでいる宿舎の方がまだ清潔かもしれない。

 そんなところでも、荷物を受け取った女達はにこやかだった。俺が抱えても重い食料品入りの箱を皆で手分けして倉庫に運び、帳簿をつけ、そして終わった者から順次俺の肩を叩いて労をねぎらってくる。恰幅のよい胴と力強い腕から繰り出される張り手は中々に痛かったが、文句は言わずににこにこしておいた。

 順繰りに俺の右や左の肩を痛めつけた婦人達はそのまま孤児院の経営に戻っていき、俺もまた仕事に戻る。

 いや、戻ろうとして、


「このクソ野郎ァッ!!」

「っぐふ……!」


 土手っ腹に思い切り角材を叩き込まれた。

 ちくしょう、目を潰したと思って油断していた。咄嗟に跳んで衝撃を殺したが、それでも痛いものは痛い。枯れかけた芝生の上に転がり、ぶん殴られた箇所を押さえてうずくまれば、角材を振りかぶる影が射す。

 風を切り今度は頭への振り下ろし。頭もそうだが腕も傷付いたら不味い。腕で庇う代わりに深く頭を下げ、同時に体軸をずらして肩で受ける。受け損ねて側頭を掠った。打ち付けられた釘が頭皮を裂く。


「ぐぅっ……! このっ!」

「おわっ」


 非常に痛いが、歯を食い縛って堪え棒を掴んだ。まさか抵抗を食らうとは思っていなかったのか、露骨な動揺を見せた隙に棒を奪い取り、自身の手元へ引き寄せる。

 腹の痛みを我慢しつつ、棒を突きつけ返して視線を上へ。逆光で分かりづらいが、俺の視界に映った蓬髪の青年は確かに、先程出会って催涙弾をお見舞いした筈のチンピラだった。取り巻きの連中はまだ立ち直っていないのか、それともこいつの気が逸って置いていかれたのか。考えても答えは出ないが、ともあれこの状況、中々のピンチではなかろうか。

 ダメージが脚に来たのか、力が抜けて立ち上がれそうにない。が、そんなことを悟られては一巻の終わりだ。内心に吹き荒れる嵐をひた隠し、チンピラの血走った――もとい、催涙弾で充血した目を、自分に出せる目一杯の険を込めて睨みつけた。


「仕返しに来たつもりか?」

「そーだよ。労働階級ごときが市民階級様に傷入れやがって、どう落とし前付けるつもりだ? あ?」

「俺は貴方達に積荷を渡せと迫られた故に、自己防衛及び職務遂行の為、労働階級規律の中で許可された権利を行使したまでだ。何なら、車内録画装置ドライブレコーダーの記録と使用した護身銃の仕様書を裁判所に提出しても構わないが」


 感情論に押し切られては向こうの思う壺だ。労働階級研修で散々習わされた内容を叩きつけ、言葉に詰まったところで渾身の力を脚に入れ、棒を杖代わりに何とか立ち上がった。

 これで目線的にもイーブン。ますますチンピラが立つ瀬を無くしたところで、トドメは奴の横から割り込んでくる。


「ケ〜ン〜ぼ〜う〜?」

「ェヒッ……!?」


 そうだ。

 先程からこの様子を見ていた、孤児院の女だ。


「か、母ちゃん……いやっこれはそのっ」

「あぁあーたって奴は毎度毎度毎度毎度! 食べ物は孤児院の予算で買ってるって私ゃ口を酸っぱくして言ってるでしょうがぁっ!」

「待っ、だってこいつは労働階級……」

「つぅうういさっき荷物を届けに来たお兄さんだよこのあんぽんたれェ! 今日という今日は許さないよお母ちゃんはっ!」


 わっしとばかり青年、もといケン坊とやらの頭をひっ掴み、女は家屋の中に彼を引きずっていく。部外者相手にはいくらでも増長する彼とても、母親代わりの彼女には勝てないらしい。力強い働く賢母の腕になす術もなく、ずるずると引っ張られていったケン坊を見送り、俺はさっさと仕事に戻ろうと踵を返して――

 そこで、強がりが途切れた。


「ぅ……っつ、……」


 脚の力が一気に抜け、踏み固められた地面に崩れ落ちる。裂けた側頭から血が溢れ、ぼたぼたと滴って芝生を染めていく様がやけに生々しい。

 これは、不味い。命には別状ないが、少々、仕事が遅れそうだ。


「れ、連絡……」


 トラックのドアに手を伸ばしたところで、俺の意識は一旦、ふつりと途切れた。



 染み付いた木の天井、おんぼろの裸電球。

 微かに匂うのは合成洗剤と消毒薬と、少しのカビか。

 流血のショックかはたまた腹に食らった打撲傷が思いのほか酷かったのか、ともかく孤児院の庭先で昏倒した俺は、どうやらそのまま孤児院の内部に運び込まれたようだ。頭と腹にそれぞれ包帯が巻かれた感触があり、いつものボディソープの臭いを掻き消すほどの薬臭さが俺の全身から漂っている。正直快いとは言いがたいが、花臭いのも嫌だった俺には丁度いい。

 腹はまだダメージが抜けていないのか、力を入れると鈍く痛む。しかし我慢して体を起こし、ガラスの代わりにはめ込まれた木戸を少し開けて外を見れば、傾いた陽で橙色に染まった孤児院の出入り口の脇、割れたレンガの道の上に運送用トラックが横付けされているのが見えた。ハッとして服を漁ってみたが、労働階級章はちゃんと胸ポケットに入っている。積荷を弄られたような気配もないから、まあ大丈夫だろうか。……意識を失っている間にトラックが盗まれたとしても、やはり俺は懲罰を受けるんだろうか。そうだったら理不尽だが。

 ともあれ、連絡を入れねば。寝台から降りて床に揃えられた靴を突っかけ、部屋を辞する。

 孤児院と言う割に人気はなく、階段を降りて外に出るまで誰とも会わなかった。下手に絡まれるよりは気が楽だが、子どもの声すら聞こえない静けさは不気味だ。外にでも出ているのだろうか。

 何か薄ら寒いものを覚えながら古く重いドアを開け、トラックまで歩み寄る。周囲を警戒しつつ労働階級章でドアを開け、乗り込んで閉扉へいひ。車に固定してある連絡機から管理局に繋ぎ、管理局の連中伝いに、俺は担当の懲罰官へ連絡を入れた。


“此方T-65。T-389562、貴様今何をしている”

「第三級市民区画内で住人に襲撃され、配送先の孤児院で休ませてもらっていた。頭を殴られて意識が無かったんだ、積荷は盗られていないから懲罰は勘弁してくれ」

“懲罰の如何は話を聞いてからだ。襲撃されたのは愁傷だが、迎撃用の武装はあったはずだろう”

「両手一杯に抱えた荷物を渡し終えた直後に殴りかかられたんじゃ、いくら何でも手の打ちようがないだろう。とにかく、すぐに仕事を終わらせて帰還する。ただでさえ傷が痛むんだ、これ以上そちらの懲罰で傷を増やされたくない」

“……了解した。現在の配送状況と交通状況を鑑み、二十時まで帰還猶予を与えよう”


 気に入らなさそうな声色だったが、とりあえず譲歩してくれたようだ。あの神経質な男にしてはかなり猶予を持たせた条件である。どのような風の吹き回しかは分からないが、今はありがたく譲歩を呑むとしよう。了解、と言いかけた俺を、しかし懲罰官は冷然と遮る。

 何事かと思えばお小言だった。


“流石に時間通り帰還することくらいは出来るだろうな? これ以上無断で遅くなるようならば懲罰房行きだ。少なくとも連絡は入れろ”

「分かっている。勿論だ」

“宜しい”


 そして、今度こそ連絡は途切れた。

 あまりもたもたしている暇はない。すぐに車のエンジンを掛け、トラックを発進させようとゆっくりアクセルを踏み……


「お兄さーん! 待っとくれー!」

「は、はいっ!?」


 ドンドンとけたたましく扉の叩かれる音に、俺は思わず肩をビクつかせてしまった。

 慌ててブレーキを踏みつけ停車し、窓を開けて覗き込めば、先程ケン坊を引きずっていった件の女が立っている。その真っ直ぐに伸ばされた手には、風呂敷包みの保温ジャーが一つ。ご丁寧にもステンレスのスプーンまでついたそれを、彼女は目一杯背伸びしながら俺に渡そうとしているようだ。

 どうやらジャーに入れなければならないような形状の飯のようで、半ば反射的に受け取ってしまったが。すぐに労働階級の規則を思い出し、風呂敷を解いて中身を確認する。商品代以上の金品を労働階級が管理することは許されない。何かの間違いで小銭一つ入っていても懲罰の対象になりかねないが――そういうこともなさそうだ。

 単純にただの飯を渡してきたようで、ジャーの蓋を開けてみると、何やら肉と野菜が白濁した液体に沈んでいるのが見えた。……美味そうな香りがしてきたのでとりあえず蓋は閉めておこう。此処で食ったら遅刻する。


「ええ、ありがとうございます。何故これを?」

「ケン坊が乱暴したせめてものお詫びさ。食って精付けて、また配達頼むよ」


 にっかりと力強く一笑し、女は俺の肩を叩く代わりにトラックのドアを叩いてきた。ばん、と中々痛烈な音が響き渡る。壊れはしないだろうが、労働階級の備品を叩くのはやめてほしい。

 内心辟易しつつも表には出さず、そろそろ仕事に戻るんだが、と言う旨のことを迂遠に伝えると、女はハッとしたように目を見開いて、そそくさとトラックの傍から離れた。内輪差にも巻き込まれない位置まで退避したことを確認して、俺もパワーウィンドウを上げ、車を発進させる。

 ドアミラーに映る孤児院の女の姿は、曲がり角を右折するとすぐに見えなくなった。



 結局、俺が元のねぐらに帰り着いたのは二十時一分のことだった。


「分かっているな?」

「……嗚呼」

「第四級の懲罰を与える。完了報告が終わり次第懲罰房行きだ」

「棟は?」

「第一懲罰房へ」


 何の感慨もなさそうに言い捨て、懲罰官の男は仰々しく腕時計を眺めながら、やおらトラックに背を預ける。俺を逃す気も叙情酌量する気もないらしい。口の端から漏れそうになる溜息を隠し隠し、管理局の方へ帰還の連絡を入れようとトラックに乗り込みかけた俺は、ふと思い立って地面に下りた。

 怪訝そうに見てくる懲罰官に質問の許可を得てから、孤児院の女から貰った風呂敷包みを見せつつ問いかける。


「こんな状況で言うことじゃないんだが、ずっとトラックに乗りっぱなしで飯を食ってないんだ。今済ませて構わないか?」

「それとその包みの関連性は?」

「配送先で別れ際に貰った。金はびた一文受け取っていない。完全にただの貰い物だ」

「…………」


 男の、酷薄そうな砂色の目が剃刀のように薄く細められる。これはやはり、駄目だろうか。折角保温ジャーに入ってるんだから、暖かい内に食いたかったんだが。

 諦め半分に回答を待つ内、男は回答を決めたらしい。不意に目元を緩め、面白そうに口の端を歪めると、何事もなかったかのように再びトラックへ寄りかかった。

 許可された、と言うことでいいんだろうか。いまいち自信がない。立ちすくむ俺に、懲罰官はひらひらと手を振りながら答えてくる。


「運送職のたまの楽しみを奪う規則はない。早くしたまえ、あまり遅いと懲罰の等級を上げねばならなくなる」

「本当に構わないのか?」

「貧民窟へ配送を完了させた事実と一分間の遅刻、我々にとっての利と不利益の均衡を鑑みるならば、私はお前の要望を聞く義務があると言えよう。それとも何だね? 懲罰が終わってから冷めた飯を食いたいかね? それでも構わんが」

「いや食う」


 冷めた飯はごめんだ。慌ててトラックの運転席に戻り、連絡端末ではなく風呂敷包みの方に改めて手を伸ばす。ジャーの蓋をそっと開けると、別れ際にもちらと見たあの白濁液が、食欲をそそりにそそる良い香りを漂わせながら現れた。

 液の中に浮き沈みしているのは、石のようにゴロゴロとした肉と野菜の数々。労働階級の餌のように、原型が分からないほど破砕され加工された謎食品ではない。いや肉も野菜も具体的に何かは分からないが、少なくとも原材料の色と形を保っている。それがまた美味そうなのだ。

 溢れ出る唾液を飲み込みながら、スプーンで液体と野菜を掬い取る。途端に濃厚な香りがより強く立ち昇ってきた。嗚呼、もう辛抱堪らない。

 一息に口の中へ入れると、味蕾の上で肉汁の味が弾けた。あの喫茶店ラプレで食べたものに比べるとぐにぐにしているというか、若干柔らかい。味も美味さが直球ではなく、何処か野性味と言うか、癖のある味だ。しかしそれもまた良い。何肉かは知らんがとりあえず美味い……ああくそ、語彙力! こんな感想文にもならない単語の羅列、治験の時に提出したら懲罰房行きになるところだ。

 低く唸りそうになる声ごと肉をじっくりと噛み締め、二口目。ごろりとした黄色い塊は、野生の実物を見たことはないがイモとかその類だろうか。確か揚げ菓子ポテチの原材料とか聞いたことがある。口に入れてみると、なるほど確かに。イモ特有――特有と自信を持って言えるほど何種類も食ったわけではないのだが、今まで食べた経験的には特有――の甘さがある。砂糖の鮮烈で強烈な甘さとは違う、何というか、その場しのぎの食料ではなく滋養になりそうな味だ。

 何度も噛み締めて味を堪能する内、痛み止めが切れてきたのか頭の傷が疼きだした。伴って、何やら段々みじめな気分になってくる。


「スラムの連中ですらこんな美味いもの食ってるってのに、俺たちときたら……」


 そもそも、噛めば噛むほど不味い飯とは一体何なんだ。生ゴミの臭いがする飯を食わされ、馬車馬の如く働かされる俺達は、果たして最低限の人権を保証されていると言って大丈夫なのか?

 ――やはり否。断じて否。俺達だって三食美味い飯にありつく資格くらいあって然るべきだろう。まさしく今の俺のように。食欲を満たすことだって基本的人権の一つだ。

 だが、やはり、俺に出来ることは、さっさと金を貯めて市民階級に上がることくらいだ。


 なら俺は絶対、あんな不味い飯を食わされるこの労働階級から、のし上がってみせる。


「……懲罰官、貴方も食うか? 美味いぞ」

「折角の誘惑だが、私は他人が手を付けたものを口に入れられる性質たちではない」

「つ、つれないな……」


 固い決意とすげない拒絶を連れて、飯の時間は静かに過ぎてゆく。

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ディストピアでも飯がしたい 月白鳥 @geppakutyou

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