#6:『不味い管理栄養食としょうびん印の琥珀糖』

 高品質のタンパクと脂肪を集めた形成肉にカロリー補助の為の赤茶けたカロリーバー一個、各種ビタミン剤。サプリメントは必要なしと判断されて削除された。飲料はパックの生理食塩水。

 これら諸々が、白いトレーの上に乗せられてべろりと部屋の出入り口から吐き出される。二十年以上付き合ってきた感動のない食卓である。

 いつもは全部まとめて食道に押し込んでしまうが、幸い今日はこれ以上仕事がない。そして明日も休みだ。どうせ飯にしか気が傾けられないならば、いっそ飯だけに注力するのもいいだろう。……さあ、飯だ。

 とは言え、錠剤の形で配られる栄養補給剤はどうしようもない。噛み砕くわけにもいかないので、前菜これは水で流し込んで片付けた。残っている肉とカロリーバー、どちらをメインに据えるかと問われたら、当然肉の方だろう。

 ということで、最初は赤茶色のブロックの方を手に取る。大体俺の掌に収まるくらいの小さなこれは、一本で一食分のカロリーをおおよそ補完できるのだが、一体何で作られているのかは分からない。肉と違って加工されすぎているし、これを開発した技研の連中は、別大陸に情報を握られることを嫌ってほとんど秘匿している。

 そしてこれの味ときたら……


「……砂だ」


 良く言えばれき。もっと言うと泥。

 つまるところ、味がない。どうやったらカロリーの塊をこうもマズく出来るのか全く分からないのだが、恐るべき無味無臭加減である。だからこそ普段は肉と一緒に一気に食ってしまうのだが、うん、今日は我慢。

 ぼりぼりした食感のバーを半分だけ噛み砕き、がりごりと奥歯ですり潰す。……噛んでも噛んでも永遠に味らしい味がない。むしろ、唾液と混ざってどんどん泥になっている。口の中が地獄だ。

 さっきも言ったが、これはカロリーの塊。そしてカロリーは、糖やタンパク質は美味いのだ。だからカロリーブロックは美味くなくてはならない。と言うのに、そんなものをこんなにも味気ないものに出来る技研の連中が分からない。そして、こんな泥みたいなもので二十五年も――あのネズミの件以来市民階級の味うまいものを覚え始めたが――生きてきた自分も一体全体何なんだ。

 ああ、いかんいかん。すっかり手が止まってしまった。もうこれがこう言うものだと言うのは諦めるしかない。ならばこれに味を付ければいいわけで、明確に味があると分かっているのは生理食塩水くらいのもの。ならばとパックを引っ掴んでストローを突き刺し、一口含んで泥と混ぜこぜにしてやると……

 口の中の水分を簒奪して誕生した泥が更なる水分を含んで粘土と化し、そこに僅かな塩気もプラス。少なすぎたのかともう一口含めば、味は変わらないのに粘土の体積だけが増える。


「余計不味い」


 結論。粘土。

 駄目だこれは。真面目に旨味を感じようと努力すればするほど裏目に出てしまう。つくづく自分はこれを消費するのに随分効率的な方法を取っていたのだと、しみじみ思い知る次第だ。

 段々飲み込むタイミングを逸しはじめた粘土を強引に喉奥まで落とし込み、せり上がってこようとするのは胸を叩いて黙らせる。残り半分はいつもと同じように食うとして、ならばメインの肉も半分だけ食うとしよう。

 四角いシート状に成型された肉を、概ね半分ほどで引き千切る。何と言うかその、千切る感触が気持ち悪い。何だこのやけに粘っこい感じは。ネズミはそんなこと無かったのに。くそったれ、天然生肉が恋しい。

 悪態をつきながら半分にした肉から、恐る恐る一口分噛み切――


「ゔ……!」


 れなかった。

 なんだ、何なんだこれは。途轍もなく生臭い。ネズミの時は血の臭いがしたが、比べ物にならないほど臭い。何というか、一週間ほど風呂に入り損ねたゴミ処理みたいな臭いだ。つまるところ生ゴミ臭い。何故食い物から廃棄物の臭いがするんだ? 技研の連中は馬鹿じゃないのか? ついでに俺は本当に、どうやって二十五年間もこれで生きながらえて来たと言うのだ。

 これは一口も単体では食えない。諦めて残り半分と一緒に、残しておいたカロリーバーを巻いて口の中に押し込んだ。何故かこいつら、無味無臭のカロリーバーと一緒に食うと味と臭いがマシになるのだ。それでも食感は相変わらず砂か粘土かと言わんばかりだし、生ゴミ臭いのも変わらないのだが、一応味を感じ取れるレベルにはなる。

 ……何というか、こう、『必須栄養素ー』って感じだ。それ以上でもないしそれ以下でもない。雑味なき栄養素の塊。糖やタンパク質は上手いハズなのに、それをどうやったらここまで味わう価値のないものに出来るのか。二度目になるが、俺は本気で分からないし本気で技研の連中の頭を疑いたい。

 結局いつものように食塩水で無理やり喉の奥に流し込み、拒否反応を示す胃を管理局から届いた制吐剤で黙らせた。


「ぅ……ゔっ」


 残ったトレイとパックゴミをまとめてドアの向こうに突き返すのと、廊下の方から誰かの呻き声が聞こえたのは、ほぼ同時のことだった。


「何だ?」


 サイレンネズミ襲来の時を除けば、労働階級の住処すみかは案外安全な場所だ。生産性を下げないようにと喧嘩っ早い連中は隔離されており、俺のいる此処は比較的穏やか……と言うか、他人に無関心な連中が揃っている。裏を返せば、こんな所で刃傷沙汰やそれに類する暴力行為などはそうそう起こらない。

 ――となれば、病気か事故か。

 そこまで考えて、俺の脳裏にふと過ぎったのは、さっき俺に琥珀糖と砂糖の小包を渡してきた懲罰官の、酷く青ざめた顔……


「まさか」


 無いと思いたいがそうは問屋が卸さない。管理局に問い合わせ扉を開けてもらう。見回す。

 いた。

 廊下の半ばほどにある俺の部屋から、右手に向かって突き当たり。下階へ続く階段に頭から転げ落ちたような格好で、黒服の男が突っ伏していた。

 走り寄る。とりあえず廊下まで引っ張り上げ、仰向けに寝かせて顔を検めてみれば、やはり例の懲罰官だ。顔面蒼白を通り越して真っ白になっているのが何とも異様だが、口元から服の胸部にべっとりと付着した血痕が、肌の色の情報など全て吹き飛ばした。


「おい、おい。大丈夫か?」

「…………」


 意識はなし。重症らしい。

 吐血した挙句気絶するほどの重病を抱えているなら治療所に入っていると思うが、何でこいつは通常業務をしていた、或いはしようとしていたのか。疑問は残るものの今は解決に時間を割いていられない。脇の下から腕を入れて抱え上げ、羽交い締めにするみたいな格好で廊下を引きずる。結構大きい音がしてしまうが、ドアの向こうの連中はあくまでも無関心。呼び止められることもなく部屋に辿り着き、懲罰官をベッドに寝かせられた。

 もう一度管理局に繋ぎ、奴等経由で柏へ連絡を取ってみる。


“もしもし?”


 良し、繋がった。

 手短に現状を伝えると、すぐに医務官を向かわせるとの返事が来た。


「俺は何かした方がいいのか?」

“意識は無いんだろう? なら横向きに寝かせて。血で窒息するかもしれないし”

「もうやってる。他には」

“保温。布団があれば掛けておいて”

「了解。それじゃあ」


 電話を切り、早速指示通りに布団を掛けておいた。呼吸はとりあえず安定しているように見える。血の量は多そうに見えたのだが、命に別状はないのだろうか。まあ俺も大して医療技術があるわけでもなし、此処は大人しく医務官の到着を待つとしよう。

 と、意気込んだはいいものの、さして待つこともなく医務官と看護官が部屋にやってきた。恐らくは事の始末の責任者としてだろう、柏も横に控えており、頭を下げた俺にいつもの胡散臭い微笑みを返してくる。その間にも医務官の男は懲罰官の脈拍と呼吸数を測り、聴診器で以て心臓の音を聞き、俺の布団ごと担架で運んで行ってしまった。……おい、布団返せ。

 抗弁の暇も与えず出ていった医務官達。部屋には布団一枚を失って何処か寒々しくなった空気と、一部始終を面白そうに眺める柏だけが残る。


「柏、何で此処に残ってる」

「ここ最近技研の同僚が五月蠅くて、気分が優れなくってね。君の要請にかこつけて抜け出してきたはいいけど、まだちょっと本調子に戻ってない。少し休んだら帰るさ」


 随分と弱気な発言だ。今までそんなことおくびにも出さなかったくせに。此処には俺しか居ないから気でも緩んでるんだろうか? 今此処で俺が柏に襲い掛かったら、こいつは一体どうする気なのだろうか。

 何にせよ、全ては無駄な想像だろう。俺の市民階級への異動が柏の計らいである以上、柏にどれだけ恨みや不満が溜まっていたとしても、俺は大人しく彼を野放しにしていることしか出来ない。ついでに言うと、柏には何をするか分からない怖さを抱きはするが、今の所上司として不満を持ったことはあまりない。いや、蛍光色の大便の提出を求められたときは顔に投げつけてやろうかと思ったが。

 ともあれ、空いた椅子を勧めて柏を座らせる。ゆっくりと座面に腰掛けた彼は、そのまま背凭れに体重を預けて目を閉じた。結構本格的に休む気らしい。


「横になっても構わんぞ。布団はないが」

「あ、そう? なら一時間だけ」


 返事も時間も自重しない辺りが柏らしい。まあ変に遠慮されても気まずいが。

 見るものもなしに眺める俺を置いてベッドに横たわった柏は、数秒も経たない内から寝息を立てはじめる。……安置された死体に見えるのが物凄く嫌だ。早く布団返ってこないだろうか。

 無理やり意識と視線を柏から引き剥がし、書き物机に向かう。大して置くものもない小さなデスクだが、今日ばかりは琥珀糖と白砂糖入りの瓶という素晴らしい荷物が置いてあるのだ。これは堪らない。

 早く食後のデザートと洒落込みたい。妙なものを背後に控えているのは癪だが、人助けをしたのだから少しくらいつまんでも良いだろう。よろしい。脳内決議は全会一致の賛成だ。

 青緑色の包み紙に包まれた琥珀糖の一つを、そっと手に取る。琥珀――何やら樹液が固まると出来る宝石だと聞いたことがある――と言うから硬いのかと思ったが、指で力を加えると存外簡単に潰れた。石のような硬度を誇るわけではないらしい。ならばどの辺りが琥珀なのだろうか?

 期待大半、不安少々。開け口、と書かれた所から包み紙を取って見れば、中から顔を出したのは――


 青い、蝋?

 ガラスの破片?


「く、食い物……なのか?」


 青一色ではなく、よく見れば青から緑色に向かってグラデーションを描く、不規則な十二面体。表面にはまばらに金色の粉のようなものが掛かっており、陽を浴びて光っている。鑑賞品として大層人気の出そうな色形だろうが、どう見ても食い物の色と形ではないと思うのは俺だけなのだろうか?

 いや分からん。決めつけてかかるのは良くない。チョコレートとて最初は訳の分からない焦茶色のブロックだった。俺が食っている形成肉とて、見た目は美味そうな肉だが食ってみれば生ゴミである。色形は必ずしも食味の良さと相関しないと言うのは既に経験しているのだ。そして何より、これはその看板を掲げて商売をしている市民階級からの贈答品。それが果たして不味いものであろうか。

 否。断じて否だ。

 思考が電流のように脳内を駆け巡る。そして、その結果吐き出された根拠のない確信と共に、俺は掌に転がる青い塊を口の中に放り込んだ。


「おぉ……!」


 何という新食感。見た目は石だか蝋だかのようだったのに、噛み締めると細かな砂の粒が入っているかのようなシャリ感が歯に伝わり、むっちりとした歯応えを残して噛み切れた。

 そして、口の中で崩れた宝石の粒が舌に触れた途端、ねっとりとした甘さが脳内を直撃する。チョコレートの時のような苦味を帯びたものとも、砂糖入りの紅茶を飲んだときの爽やかな甘さとも違う。本当に砂糖の塊を食んでいるような、強く鮮烈な甘味だ。

 かと思えば、鼻をつんと通り抜ける冷感と、感じたこともない不可思議な苦味と香りが後から追いかけてくる。一体なんだこれは。そもそもの味のテンプレートが少なすぎて、何に例えれば良いやらまるで分からない。強いて言えば喫茶店ラプレで馳走になった昼食の、肉の間に挟まっていた野菜の感じに似ている気がするが、こんな清涼感を覚えるようなものではなかった。

 そして最終的に、とりあえず美味いしか感想が出てこない。俺の語彙力の無さが悲しくなってくる。


 ――やはり早急に市民階級へ異動して、美味いものへの見識を広める必要がある。

 内心の決意も新たに、もきゅもきゅ口の中で音を立てる甘味を、俺はじっくりと噛み締めた。

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