弾き飛ばす意識
何かとてもいい作品に出会ったとき、みんなが経験するのが、
「こうなりたい」
こういう作品を作りたい、こういう素晴らしい文章や絵を書きたい、写真を撮りたい……
でも、そうはなれないんだよ。
なりたい人の文章に影響されて、その人みたいな文章書いたところで、自分がうまくなったわけじゃないでしょ。あくまでそれは、憧れている人のもの。自分の力で勝負しているわけじゃない。
絵も写真もそうだし、水泳のフォームもそう。結局他人を真似たところで、自分とは違う異物を体が吐き出そうとしておかしくなる。
ただ、絵にしても文にしてもスポーツにしても、最初は誰かの真似から入るものだと思う。ただ、いつまでもそれを続けられるわけじゃない。
いつか、ほころびが見えてくるから。
他人のものを自分のものとして発表したところで、所詮それは他人のもの。いくら流麗な文章を書いても、いくら見応えのあるものを撮っても描いても、いくら早く泳いだり走ったりしても、オリジナルでない限り、自分の実力のうちには入らない。
私はカッコつけの文章が嫌い。
読みにくい漢字を使っていかにもインテリぶったり、体裁だけ整えたつもりで内容がスカスカなやつ。
そういう人に限って、他人の作品をバカにする。
人のふり見て我がふり直せというけど、それ以前に自分が未熟者であることを知らなければ、我がふりも直せない。だいたいそういう人は、自分才能あるしできると思っているし、そのために他人を見下す。
自分だって十分未熟で、他の人の力を借りないとステージに立てないのに。
虎の威を借る狐なのに。
そういう人は、残念ながらスランプにすらならない。
誰かの真似から入った初心者はだいたい、出来上がりつつある自分のフォームと今までのやり方が拮抗してスランプになる。
だけど、彼らはスランプにならない。虎の皮を被り続ける快感に溺れてしまうからだ。
まあ、自分はそうならないように気をつけているけれど。
要は、良作を見たときに
こうなりたい
って憧れないで、
「こういうやり方もあるのか」
って、勉強すること。
同じ作品は作れないからね。
作品を見ていて、それの骨格、骨組み、張り巡らされた糸、肉付のバランス、そういうものが見えてきたら、はじめて料理のレシピは自分流にアレンジできるのだから。
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