小説

 そもそもどうして私が小説を書いていたか。

 そもそもどうして私が小説を書くのをやめたのか。

 私は、小学生のころから文章を書くのが好きで、世の中の事象を、もろもろの問題をテーマにした文章を書いていた。問題提起が好きだった。私が小学生の頃は、環境問題がものすごくクローズアップされていて、タイムリーだった。だから、環境問題の話ばかり書いていた。

 中学になって、恋愛ものやアクションに興味が出だしたが、書くより読むほうが楽しくなってきて、本ばかり読んでいた。高校になってもそれはおさまらなかった。好きなのは古典である三国志や水滸伝、主に中国文学が好きだった。日本文学はあまり読んでいないが、志賀直哉と高村光太郎だけは好きだった。社会人になって荻原碌山が好きになったのもその影響。水滸伝は、駒田信二さんの120回本がバイブル。北方水滸伝は嫌い。あれはもう水滸伝ではないと思っている。

 短大に行ったら、専攻が日本語日本文学だったため、いろいろな作家のいろいろな作品に触れる機会があった。しかし、まじめにやっていなかったうえ、ちゃんとやっていたのが中国文学と文芸創作だけだったという始末。よく卒業できたなあ。

 社会人になったら、接客業や営業事務を含め、工場勤務や派遣での事務仕事で超多忙になり、文学創作のことなど忘れていた。家業の農業もあったし、祖母が亡くなってからはむしろそちらのほうが忙しくなってきた。今こうしてこんなことを書いているが、体はかなり疲れている。果樹農家に農閑期はないから。

 そのなかでも、読むことはやめなかった。水滸伝と高村光太郎詩集が面白くて仕方がなかった。ただ、書くことに関しては興味が薄れていた。

 しかし、ある日、何を思ったか、パソコンの前でワードを開いて小説を書き始めている自分がいた。おかしなもので、それまでずっと構想していたアイデアがあって、それを文章にし始めたのだ。短大の時に迷走して書いた小説があったが、それは挫折していたので今回は、と思った。そして、一年くらいで書き上げたのが私の処女作「厳冬の惑星」これAmazonで売っているけど売れていない。

 それから、古代ローマを舞台としたスピンオフや、「厳冬の惑星」の続編三部作など、いろいろ書き始めたけれど、形になったのは「残月」だけだった。

 そのうち、小説を書くことが嫌になってきた。コンテストへの応募や賞への参加など、作品をより多くの人に読んでもらうことへの執着が生じたからだ。

 その時期は苦しかった。同時に、私の信仰に変化が表れていた。真言宗一辺倒だったのに、ダンマパダ読み出した。これはひどく重要で、初期仏教に触れることで、自分がどれだけ愚かだったのか知ることができたからだ。

 正直自分は頭でっかちで、堅物で、融通が利かない。そのうえ双極性障害を患うという最悪な状態にあった。

 小説を捨てることによってほとんどの問題は解決したけれど、双極性障害は残っているからタチが悪い。

 そう、私は小説を捨てた。

 小説を捨てることで、ものすごく楽になった。出版のことも映像化のことも考えなくてすむし、そのために読者増やさなきゃとか、無駄なことをしなくなった。

 ここにこうやって書いているのも、自分自身の心の整理をつけるため。

 とにかく、小説書くのが嫌で仕方がなくて、困っている私に他の道を示してくれた友人には感謝している。

 まあ、そのおかげで、自由に小説を書くことを思い出したのだけれど。もし、私の作品を読んで、「こいつ小説もっと書いたほうがいいんじゃね?」とか思う人がいたら、それはそれでうれしい。けれど、私はもう商業ベースで小説は書かないだろう。これから小説を書くとしたら、自由に書きたいと思う。

 自由に書くって、本当に楽しいから。

 評価や評論を気にしないで書くほうが、はるかに楽しいから。

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