日々感覚

瑠璃・深月

夢見る人へ

 私は、夢見ちゃっている人が苦手。

 なんでかって言われてもよくわからない。苦手なものは苦手。そこでこれから、どうして夢見ちゃっている人が苦手なのか分析してみようと思う。

 まず、私は、夢の中で生きてはいない。みんなそうだと思うけど、夢の中で生きられる人間なんていない。みんなどこかで現実と向き合わなければならない状況で生きている。

 だってそうでしょう。おなかがすいたらご飯を食べなきゃいけない。ゲームの世界みたいに、食べ物がなくてもどうにかなるってことはないんだわ。

 お風呂に入らないと体は不潔なままだし、トイレには必ず行かなきゃならない。学生なら勉強があるし、社会人なら仕事がある。例外なく私にもやらなきゃいけない仕事がある。うち農家だからね。

 みんなそんな現実の中で生きているんだよ。

 だから、気持ち悪くなることが時々ある。現実のこの状態をよく知らない、もしくは、見えていない人間が多いこと多いこと。

 夢見ちゃっている人ってさ、自分の中で作り上げた世界を基準に現実を見るんだよ。だから、世界がものすごく狭いし、現実に存在するモノへの知識が希薄。

 人間だれしも、見ようと思ったものしか見えないし、聞こうと思ったものしか聞こえない。それは、夢見ちゃっていない人も同じ。自分の価値観、自分のフィルターを通してしかものを見られないし、感じられない。

 それは、仏教でとある偉い人が言ったことなんだけど、その自分フィルターを外して物事を見ると、どえらく世界が変わる。

 そこには、真実がある。物事の本質が見える。

 自分フィルターを外すトレーニングは、夢見ちゃっている人にとってはきついものだと思う。自分が持っている世界を捨てなければいけないから。

 何もかもを捨てて、真っ新になって、余計なものは持たないでいかなきゃならない。でないと本質は突けない。

 余計なものを持っている、余計なものを抱えているから苦しくなる。例えば、自分の作ったファンタジー異世界の中で妄想している人がいるとする。その妄想の中ではその人は神様だよね。自由自在に物事を進めることができる、まさに夢のような世界。その世界に浸ってしまっているんだよ。いろんな設定作って、いろんな話考えて。まあそれが、生活や思考に支障をきたさない程度のものならば何の問題もないんだけど、そうでない人たくさんいる。

 そんな人が、何を捨てられる? 捨てるのが怖くて真実を見ることを拒むんだよ。

 私には、それが気持ち悪くてしょうがない。

 物語書くでしょ。その物語に登場人物乗っけるでしょ。

 そこまではいいの。

 問題は、その登場人物に恋をしちゃうパターン。これ、とあるSNSで見つけて吐き気がした。

 あまりに自分にとって都合のいい人物なものだから、つい恋しちゃうんだけど、それじゃあ物語は破綻するよね、自然と。

 その人物をひいきして、つい登場回数を増やしたり、恋人を作らなかったり。最悪なのは活躍させすぎて物語にもならなくなってしまうパターン。

 登場人物に恋するとか、本当感覚がずれていると感じるんだよ、私みたいな人間には。だから、これ読んでいる大多数の人は、自分は違うと思うだろうし、他人事だと思うんじゃないかな。もしくは、お前のほうがズレているんだよと感じるかもしれない。だけどこれだけは言いたい。

 作品に私情を持ち込むな!!

 今回は以上です。

 

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