夏が始まる

中身は思った通り、少し刺激的な内容だった。官能小説という部類ではないが、一人の娼婦の人生が描かれていた。


もちろん娼婦の物語なのでそういうものもそこそこ含まれてはいたものの、根本的には純愛ものらしく、娼婦と貧乏な青年の駆け落ちの本であった。




「俺らも駆け落ちしちゃおっか」




肩が飛び跳ねる。



汗が吹き出す。ゆっくりと横を見ると




「なんてね」




ふわふわ頭がニヤついていた。




「ひっ……あっその」


「君みたいな女の子でもこういうのやっぱ興味あんの?」


喉がつまり、頭のてっぺんから足の先まで慌てふためく。


「この本借りるの2度目なんだ。よかったでしょ?結構行為が密に描写されてて」


コクンと頷いた気がする。自分でも分かって無い。気が気じゃない。


「最近、この学校の男子の間で話題になってさ、まぁ広めたの俺なんだけど」


「かなりエロいって噂になってね、そんなにエロかったか気になってもう1回借りようとしたんだ。」


「それで先生は?もう8時なんだけど……」




とたん、私は走り出していた。



ごめんなさいか何かを口走った気がするが

もう何も考えられない。

そのまま逃げるように走り去った。


いつも自転車の鍵は胸ポケットに入れていて、幸か不幸か気づけば家にいた。


そして気づく、図書室にすべて忘れてきたことに。


なんてことだとお風呂に入らながら思う。魚達が浴槽の中を揺らめいていた。


「どうしよう…携帯もお財布も今日する課題も忘れてきた…」


心が萎み、恥ずかしくて涙がポロポロ落ちる。


羞恥心で人は泣けるものなのだろうか。いや、羞恥心というより、彼に関わった事への後悔だろう。


好奇心が勝り、読んでしまった。

読んでしまったことはまだいいが、そういうものを読んでしまう人に思われてしまった。


しかも、名前も知らない人に!!!!!


慌てて変な行動をしてしまった自分にも腹が立つ。あぁなんで涙がでるのか…。



「違う、私が考えるべきことは…」


明日の朝だ。

早朝に学校に行き、図書室で荷物を取る。

そのまま課題を済ませ教室に行き、何事も無かったように過ごせばいい。


「よし、そうしよう」


シャワーで泡を流す。


魚達がシャワーの穴1つ1つからスルスルと流れ落ちそのまま私の体を伝い、排水口へ落ちていく。


魚が怖いからと言ってお風呂に入らないわけには行かない、この魚達を対処できるようにしないと人として最低限の事ができなかった。


この半透明の魚達は大体は大きめの金魚からメダカぐらいのサイズで形も様々だ。


魚達は水の中と水の周りの少しの空間をふわりふわりと浮遊したり泳いだりしている。


雨の日には水など関係なく宙を漂っている。


その光景を皆に見せたらきっと感動モノだが私にとっては気持ち悪いだけだ。


そして、彼らの対処法は…


入浴剤を浴槽の中に入れる。とたん、魚が消えた。


この魚達は透明な水の中にしかいないのだ。


プールの中にはいるので、人工物が混ざった水という訳では無いらしい。


透明な水の中に、彼らは生息している。



とはいえど、トラウマには変わりない。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




朝早くに自転車を漕ぎ出す。


夕日とは違う爽やかな空気に訳もなくウキウキする。しかし早朝にこうしている理由を考えると一気に落胆する。


まだ事務員さんしか来ていない。


「すいません、図書室に用があって…」


「朝から勉強でもするのかい?」


「いえ、忘れ物を、」


「そうかい、確か鍵は空いてるよ」


「そうでしたか、ありがとうございます。」


失礼します、と図書室に向かう。なぜ空いているのかなんて考えなかった。早くカバンを取らないと………。


ガラリ…と扉を横に開いた。


するとそこには


「おはよ、来ると思ってたんだ。」


彼がいた。


「おっ…はようございます」


反射的に挨拶を返す。そして体が固まる。


これ取りに来たんでしょ?とカバンを渡される、ありがとうございますとカタカタ答える。


「ね?川上真琴さん」


汗が飛び出す。なんで知ってるの?


「生徒証、先輩なんだね」


彼の手にはカバンにあるはずの生徒証がある。



「それでちゃんと本を預かってくれたお礼なんだけど…」


「”俺の夏休み”を君にあげるよ」


たかが1日本を預かっただけでひと夏を人に上げるとは随分阿呆だ。


いや、この場合はむしろ私が阿呆なのか…?


「でもね、お礼っていって何なんだけどやっぱりひと夏は多いと思うのね?」


だからさ…ひと肌脱いでくれない?

と私に近寄り胸のスカーフを触る。


些か現実でこれをやる彼の気がしれないが、もちろん首を降る。

首を振った私に彼は小刻みに笑いながら


「ひと肌脱ぐ……俺の絵のモデルになってくんない?」


そう言いながら自販機で買ったのであろう水を飲む。その中で泳いでいた魚が、彼の中に吸い込まれた。


夏の青空に図書室には光が指して、クーラーは朝早くだからもちろん効いてなくて。


肌が湿るくらいの汗を掻きながら、何故か湧き立つ心を抑える。



また私は好奇心に浮かされた。



そうして私の高校最後の夏が始まった。

ふよりと、魚が泳いでいた。

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魚を照らして 飛多ユウ @KINAKOdaikiti80

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