白美疾走事件〜後編
「あの……先生……聞き込みは……」
外に出ると、先生はスマホを片手に、そそくさと歩き出した。静かな住宅地で、家と家の間にこそ距離は無いものの、庭が広いからか、五軒通り過ぎるのにも結構歩く。先生がその五軒目も素通りして道を曲がったところで、僕は尋ねた。
「ん。ああ、まずは近隣の確認から、と言ったところか」
「聞き込みをしたほうが早いんじゃないですか?」
その言葉に、何故か先生はじっとりとした目で僕を睨んだ。
「もしも近隣住人が見つけているなら、マイクロチップで飼い主が特定出来る」
「……マイクロチップ?」
聞き返すと、今度は唖然とされてしまった。そうなんです、僕は無知なんです。
「三年前、イングランドでもペットへのマイクロチップの埋め込みと登録が法律で義務化された。誰が見つけても誰のペットか解るようになっているんだ。そしてノルウェージャンフォレストキャットは目立つ。これだけの住宅地で誰にも見つからずに姿を消すという事は考えられない」
なるほど、と納得する。事務所暮らしみたいな生活を送っている僕だ。ペットを飼おうと思った事は当然無くて、全然知らなかった。
「やっぱり誘拐なんでしょうか」
と聞いては見るものの、僕自身、おかしな発言だなと自覚はあった。
「ペットを? なぜ」
聞かれ、答えにつまる。
──イングランドにおいて、ペットの販売には免許が必要だ。違法取引は足が着きやすい。でも、イングランドでペットを飼う人の多くは買わない。施設から貰う人が九割を占めている。
誘拐してまでペット販売なんて、する価値が無いのだ。
「ワトソン君、この件、あまり深く考えるな。二日ほどほっつき歩いたら、引き上げよう」
「え、なんでですか?」
「資料に拠ると居なくなったのは五日前だそうだ。二日後で一週間。まぁ、キリが良いだろう」
「きり?」
なんのキリだろうか。そもそも、目立つ猫が誰にも見つからず五日も外で過ごしていられるだろうか。生活はどうしてるのか。まさかとは思うけれど。
「死んでるだろうから諦めろ、なんて、言うつもりじゃないですよね。バートリーさんは顔見知りみたいでしたし、義理立てのために依頼受けたフリをしただけで」
「死んではいないんじゃないか。義理立てのために受けたのだとしたら全力で遂行する。でなければ義理立てにならんからな」
当たり前のように返されたけれど、納得出来ない。どういうことなのだろうか。
「でも、なら生きてるってことですよね。五日もご飯を食べないで生きていられるんですか?」
「無理だろうな。しかし、食べ物はキャットフードのみとは限らない」
「あー、確かに。そういえば、何を食べるんでしょうか」
なんとなく、スマホを取り出して検索してみる。
「なんでも食べれたはずだ。ノルウェージャンフォレストキャットは猫の中でも頑丈なほうで逞しい」
「へー。一応、ネギとイカとかの一部魚介類がダメらしいですね」
「ネギは知っていたが、魚介もダメなのか? 猫は好きそうな印象があるが」
「ダメらしいですよ。なんか、ビタミンB群が分解されちゃって、立っていられなくなったりするとか書いてあります」
「……深刻だな」
「深刻ですね」
といっても、食べなければ良いだけの話だ。
「この辺りに海はありませんし、ネギを育ててる農家もありません。大丈夫なのでプギャ」
なんの気無しに言いながらスマホをポケットに仕舞ったところで、いつの間にか立ち止まっていた先生にぶつかった。僕は鼻先を抑えながら文句を垂れる。
「先生、いきなり立ち止まらないで下さい。僕は反射神経鈍いんですから。……先生?」
顔を見ると、さっきまでのんびりしていたはずの先生の面持ちは、いつの間にか青ざめていた。思案を巡らせて、目を見開いて、動揺を見せている。
挙げ句の果てには、握り拳で自分の眉間を小突いてみせた。何かを後悔しているような仕草だ。
「ばかものが……」
小さく呟く先生。少しの間考え込んだかと思うと、唐突に踵を返した。
「え、先生、どうしたんですか」
「戻るぞ、ワトソン君」
「でも、まだ事件の事、何も解ってないですよ!?」
急ぎ足の先生を追いかけるけれど、中々追いつけない。先生は小走りしていた。
しかし、先生は言う。
「──事件など初めから起きていない。この件には最初から、謎なんてものは存在していなかった」
「え、何を言ってるんですか!?」
依頼はあった。僕らはそれを承諾した。誘拐事件か疾走事件のどちらかのはずで、行方不明という謎が確かにあるはずだ。
けれど先生は、バートリーさんの家の前で立ち止まり、呼び鈴を押して呟いた。
「……これでは、義理立ても何もあったもんじゃないな」
「……?」
理解出来ずに立ち尽くす。
ゆっくりと開く扉。出てきたのは娘のメイちゃんだった。
先生はすぐさまメイちゃんの肩に手を置く。メイちゃんはビクッと浮き足立って、しかしすぐに首を傾げた。
「ど、どうしたんですか、シャーロック先生……?」
弱々しく問うメイちゃん。先生は玄関を見て、ジェリーさんが来ていないことを確認してから、こう告げた。
「君の部屋に案内してくれないか」
メイちゃんは目を見開く。僕も多分同じような表情をしてしまったことだろう。
「先生、いきなりなにを」
「いいか、よく聞け」
口を開いた僕の言葉を遮って、先生は、多分僕とメイちゃんの二人に、もしくは誰にともなく言った。
「このままでは、
「「え」」
僕とメイちゃんが声を揃えた。
いや、だってさっき、先生は「生きてる」と言ったはずだ。なのにどうして。
「……先生、まさか」
「そのまさかだ、ワトソン君」
先生はメイちゃんと視線の高さを合わせるために屈んで、事の真相を突き付けた。
「メイ・バートリー。君が、白美誘拐の張本人だね?」
「…………」
少しの沈黙があった。メイちゃんは、否定も肯定もしない。だから、先生は続けた。
「ジェリーさんの仕事が増えたから飼い猫を手放す、と言い出し行動に移していたということは、バートリーご夫妻は、猫だけではなく、君の相手もあまり出来ないほど忙しかったはずだ。白美と遊んであげていたのは君だけと言っていたからな。ペットに心を開いていた君は、白美を他人の手に渡したくなくて、離れたくなくて、隠した。違うか?」
メイちゃんはやはり答えなかった。答えられない、というより、怖くて口が開かない、という感じだったけれど。
「答えてくれ、メイ。私は、君が白美を一人でも育てる事が証明出来るならと、この件には深く関わらないつもりでいた。しかし、残念ながら君は、君自身の判断で、白美を一人では育てられないと証明してしまったんだ」
「なんで……ど、どうして」
弱々しく問うメイちゃん。その問い方はもはや、犯人は自分だと認めたも同然だ。
先生は告げる。
「オニオンスープやシーフードグラタンを白美に食べさせたな」
「あ!」
思わず声が出てしまった。
そうか。キャットフードが減っては、メイちゃん一人で白美を育てられる事を母親のジェリーさんに証明出来ない。だからメイちゃんは、自分のご飯を、自分の部屋へ持っていき、それを分け与えていた。
そしてジェリーさんは言っていた。
『好物のオニオンスープとシーフードグラタンも、食べきれず部屋に運んでいた』と。
オニオンは──ネギ類は、猫の血を破壊する。中毒症状を起こし、酷ければ命を落とす。
「急がなければ、白美が死ぬぞ」
その言葉にか。それとも自分のしたことに、か。メイちゃんは、声を出さず、大粒の涙を落としていた。
「……すっきりしませんね」
事務所へ帰り、僕は真っ先にそう言った。「そうだな」と答えながらソファーに深く腰掛けた先生は、どこかムッとしている。
あの後、先生の読み通り白美ちゃんはメイちゃんの部屋のクローゼットに隠されていて、丸まっていた。眠っているようにも見えたが、すぐさま動物病院へ搬送され、それがビタミンB群不足による痙攣のせいで立てなくなっていたせいだと判明。酷い貧血も起こしていて、少しの間、入院することとなった。
酷い中毒症状だったけれど、ノルウェージャンフォレストキャットは成猫になるまで遅く、五年ほど掛かるらしい。そして白美ちゃんはまだ二歳だったという。子供も子供。種的には赤ん坊と言っても過言では無い。故に、食べ物への耐性がまだ未熟だったせいでもあるようだ。
とにかく、退院したら、白美ちゃんはすぐ、ジェリーさんの親戚宅へと預けられるらしい。
「なんというか、可哀想ですよね」
不貞腐れている様子の先生の気分転換にと、差し障りの無い言い方をしたつもりだったが、思い通りにならなかったからか、先生は不機嫌そうに歯を向く。
「可哀想なものか。自業自得だ」
「キツくないですか。そこまで言わなくても良いのに」
「馬鹿を言うな。能力の無いものが何かをしようとするからこうなる。悪戯に命を弄んだ子供には、丁度良い罰だろう」
やっぱり、先生はとてもご立腹のようだ。
「先生、大人になりましょうよ。子供のやったことなんですから」
常識も何も知らない子供が、言葉の通り間違いを犯した。それだけの事であって、別に動物虐待とか、動物愛護法に触れたとか、そういうわけでは無い。ジェリーさんからは、謝罪も兼ねて報酬は弾むと言われている。
だが、不機嫌な口調のまま、先生は吐き捨てた。
「──子供のやった事ならな」
「……え、いや、子供のやったことでしょう。メイちゃんは全然、子供ですよ?」
あの女の子が、大人にでも見えたのだろうか、先生には。
というのは、どうやら見当違いだったらしい。先生は憎々しげに「八つ当たりしてやる」と呟きながら、おもむろにスマホを取り出した。
「……先生?」
「もしもし、ダニエルか」
「先生!?」
え、なに、どうしたのこの人。事件が絡んでないのにダニエル巡査に連絡するなんて、どういう風の吹き回し!?
というのも、見当違いだったらしい。
「バートリーご夫妻のノルウェージャンフォレストキャット購入ルートを調べろ。お前達が最近探している、動物愛護法に違反する犯罪組織が捕まえられるかもしれん。しかも、かなりの大物が」
「……………………はい?」
先生は、それだけ言って電話を切ってしまって。
「ちょ、え、今の、どういうことですか!?」
慌てて聞くと、「あくまで可能性の問題だが」と前置きして、先生は答える。
「イングランドでは、生後まもない動物の販売は禁止されている。白美は二歳。白美がバートリー家に来たのは二年前。つまりこの売買は法律違反だ。ジェリーは『夫が中国から取り寄せた』と言っていた。国を渡った販売ルートなんて、小さな組織では持てない。──今回の白美疾走が事件なんじゃなくて、白美があの家に居たということが事件であって、大きな犯罪組織の存在を示唆している」
ぶっ飛んでいるようで、呆気に取られてしまったけど、少し考えれば確かにそうだ。
大切なペット──家族との別れを拒んだ少女の行いは、それこそ悪戯みたいな些細なものだったけれど、動物一匹の売買という、言ってしまえば下らない事に、大きな何かが絡んでいた可能性がある。というのは、なんだろう、嫌な言い方だけれど、ペットを想う気持ちの価値観が、よく解らなくなってきてしまう。
なんとも後味の悪い事の顛末だっただけに、数日後、動物愛護法違反で十人のペットブリーダーが逮捕されたというニュースほ、この件には無関係だろうと信じてやまない僕だった。
自称シャーロック・ホームズの推論 根谷つかさ @tukasa26
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