白美失踪事件〜前編

 著者:探偵助手・ワトソン


 教訓というものは、実はなんにでも見出す事が出来る。勿論、誰かにとって大きな出来事は、大きな教訓になりやすいと思うけど、でも、大きな教訓が必ず、わかり易く大きな出来事にるとは限らない。


 凶悪事件が、解き明かしてみれば下らない動機だったなんて事は珍しくないように、小さな事件が、だからって小さな動機とは限らないのかもしれない。




 ⿴⿻⿸──⿴⿻⿸──⿴⿻⿸





『ワトソン君、今回はペットの捜索だって?』


 携帯電話の向こうから、ダニエル巡査がそう聞いてきた。


「よくご存知ですね。ストーカーですか?」


『違うよ、シャーロックから聞いたんだ。それでね、シャーロックには言っても無駄だろうから、ワトソン君に伝えておきたい事があるんだよ』


「はぁ……なんでしょう」


『最近ね、動物愛護法に違反する人間が増えているんだ。もしかしたら、失踪ではなく誘拐かもしれない』


「だとしたら……大変ですね」


『そうだ、誘拐だとしたら犯罪組織が関わっている可能性もある。そうなったら、無茶だけはしないようにね』


「ご安心ください、ダニエル巡査。先生は真面目に働くのが嫌いな人なので、そこまでのお節介はしないと思います」


『え、ちょ、ワトソンく──』


 電話を切った。先生が「入るぞ」というような視線を僕に送っていたからだ。


「お越しくださいまして、まことにありがとうございます」


 呼び鈴に応えてドアを開け、うやうやしく腰を曲げて挨拶をしてきたのは、キツめのパーマと、それほんとに部屋着かと疑いたくなるほどに、色々と派手なオバサンだった。


「……ます」


 オバサンの横でぴょこんと不安げに頭を下げたのは、本当に小さな少女だ。


「いえ、こちらこそ、シャーロック探偵事務所をご利用頂けて幸いです」


 やたら良い笑顔で応える先生。なんだろうか、とても大人の事情がありそうな笑顔が先生にはよく似合う。


「それでは、お茶をお出ししますので、こちらへ」


「……らへ」


 玄関に居た僕らを、過剰に丁寧な応接でリビングへと招くオバサン。貴族でもあるまいに、とドン引きしそうになったけれど、その行動を隣の幼女も真似していて、とても可愛いと思いました。


 その二人の後に着いていきながら、僕は部屋を見渡す。外観こそ、赤いレンガに白い枠といつ、随分と古風なtheイングランドの家だったけど、中はまさしく現代だった。


 特徴を述べるなら、真新しい家ということ。物があまり無いということ。くらいか。物が無さすぎて、特徴と言える特徴が少ないのだ。


 案内されたソファーに腰を下ろす先生。あなたも、と促されたため、僕も座ると、そのソファーの柔らかさに驚いた。事務所の椅子とは違い過ぎる……先生はよく落ち着いていられるな、と、先生のほうを見る。


「えっと……今は貴女がシャーロック?」


 オバサンが言うと、先生は「はい」と頷いた。


「私がシャーロックで間違いありません……」


「そう、随分若返ったのね」


 悪戯げに笑いながら、オバサンは僕と先生の前にカップを置く。


「ご冗談を。代替わりですよ」


「あら、失礼。ではこちらが……可愛いらしいワトソン君ね」


「そうでしょう。見た目だけは自慢のワトソンです」


「先生、変な紹介はやめてください」


 こちらを見て満足げに微笑むオバサン。訳知り顔だけど、もしかしたら、僕よりもシャーロック探偵事務所の事を知ってるのかもしれない。なにせ、シャーロック探偵事務所は今のシャーロック・ノア・フィンチが立てた事務所では無く、引き継いだ事務所なのだ。


 僕はこの事務所に来て二年目で、今のシャーロック・ノア・フィンチからの世代しか知らないため、事務所についてあまり知らない。


「先代にはお世話になったわ。……この子も、一度見て欲しかったのだけれど……」


「今度、師匠の墓へ参る時は、報告しておきましょう」


「ええ、お願いするわ」


 僕にはよく解らないけど、昔をいつくしむ空気がふと変わる。きっかけは、オバサンが幼女の頭を撫でた事だ。


「依頼の話をしても?」


「はい。よろしくお願いします──ジェリー・バートリーさん」


 顔馴染みみたいな空気が出ていたから確認しずらかったのだけど、ようやく依頼人の名前が出る。


 そうして、依頼の話が切り出された。


「見つけて欲しいのは、ペットの白美はくめいちゃんよ」


「はくめい? 変わった名前ですね」


 聞き覚えの無い響きに僕が思わず口を挟むと、ジェリーさんは僕を見て微笑む。


「そうでしょう? 旦那が仕事の都合で中国へ行く間際にね、この子、メイが寂しくないようにって買った、ノルウェージャンフォレストキャットなのだけれど……」


「え、ノルウェー……なんですか?」


「ノルウェージャンフォレストキャット。この子よ」


 ジェリーさんが写真を見せてくれた。全身の毛が凄く長い、真っ白な仔猫だ。二歳くらいだろうか。目の前の幼女に抱っこされて辛そうな体勢でも、嫌な顔一つせず抱かれている。


「綺麗な猫ですね」


「そうでしょう? だから、白美はくめいと名付けたの」


「えっと……中国語ですか?」


「そうよ。旦那が中国へ行くからって中国語を習っていたから、覚えたての言葉を使いたかったみたいで。白くて美しいって意味らしいのと、娘の名前がメイで、中国語だとメイは美しいって意味らしいから、その名前に」


 とジェリーさんは笑う。本当に微笑ましい名前だ。


「そのハクメイちゃんが行方不明になった、と」


 先生が依頼の確認をすると、ジェリーさんは頷いた。


「いなくなるような心当たりはありますか?」


 先生の確認に、ジェリーさんは首を横に振る。


「あの子が嫌がるような世話の仕方はしてませんでしたし、お腹が弱くて変なものを食べるとすぐ病気しちゃう子だったので、良いキャットフードを与えていました」


 ふとキッチンのほうに目をやると、確かに、高級そうなペットフードの袋がある。


「散らかってるみたいで恥ずかしいのだけれど」


 僕が見ている事に気付いたらしいジェリーさんが言う。


「あなたのご飯はここよって置いておけば、ひょこんと戻って来るんじゃないかって、ああしてるの」


「成程。猫の生態としては、正しい判断だ。しかし──」


 と、先生が関心したかと思いきや、


「失敗しているみたいですね」


 と、冷静なままそう言った。


 ジェリーさんは幼女の頭を……娘さんの名前はメイだったか。メイちゃんの頭を撫でながら、話を続けた。


「とても大人しい子で、大人しいメイと相性が良くて、とても、脱走する子だとは……」


 それを聞いて、だからか、と、僕はこの家へ来た時の殺風景さに覚えた違和感の招待に気付いた。脱走防止用のバリケードも、逆に動物用の出入口も、この家には見当たらないのだ。


「信じて放任……というより、放置、ですね」


 思わず口から出た言葉だった。何かが引っ掛かった。声にしたつもりは無くて、急に皆が黙って僕を見ていたから、初めて、ああ口が滑ったと気付く。


「失礼。ワトソンは感情的なので、まぁ、気にしないで下さい」


 先生にフォローされて、恥ずかしさと申し訳なさのあまり俯く。


「旦那は仕事で、海外に行く事が多くて、私もファッションデザイナーを細々と続けていて、餌とかは私が管理していたけれど、遊んであげるのはメイだけ。……確かに、放置だったかもしれないわ」


 ジェリーさんはふくよかに笑う。笑って、メイちゃんの頭を、また撫でる。メイちゃんは唇で字でも書いているかのようにもごもごと動かして、恥ずかしそうに俯いていた。


「飼い始めて2年……ノルウェージャンフォレストキャットは成長が遅いからまだ一日三回はご飯が必要なのだけれど……どこで何をしてるのか……この子のほうも、最近ご飯を食べれなくなってて……」


「娘さんも?」


「ええ、この子の大好きなシーフードグラタンもオニオンスープも、全部残しちゃって……。食べきれないから部屋で食べるって、子供部屋に持っていくのだけれど、結局残して戻ってきちゃうの」


「可哀想ですね」


 僕は幼女メイちゃんを見る。彼女は俯いていた。そりゃ悲しいだろう。二年も一緒、と言うと、僕がシャーロック探偵事務所に来た頃と同じくらいになる。それなりに長い月日だ。


 その時を一緒に過ごした相手がいきなり居なくなる悲しさは、僕には理解出来ない。


「放置されるのが嫌で逃げた、とかですかね」


 なんの気なしに呟くと、幼女が咄嗟に顔を上げ、首を横に振る。しかしその隣で、ジェリーさんが頷いた。


「メイも今年から小学校が始まって、旦那は相変わらずのお仕事。私も実は、あるブランドとの長期契約が決まったから、これから忙しくなるわ。……だから、ちゃんと面倒を見れる知人に譲ろうと思ってたの。そしたら、まるでそれを嫌がるみたいに突然……」


「ハクメイは姿を消した……と」


「ええ、そうよ」


 先生は思案顔なようで、唖然としているようで、なんとも言えない面持ちをしていた。


「ちなみに、ハクメイはどちらで購入されたのですか?」


「え、先生、なんですかその質問。先生も猫を飼うんですか?」


「ワトソン君、少し黙れ。ジェリーさん、ハクメイはどちらで?」


「旦那が中国語を習っていた中国人の知り合い経由で、結構遠くからこっちへ来て貰ったと、旦那が言っていたわ」


「遠く、とは。イングランド内ですか、イギリス内ですか」


「国内では無かったはずよ。旦那に聞けば詳しく解ると思うけれど……聞いたほうが良いかしら?」


「いえ……いや、後日お伺いするかもしれません」


「では、その時のために聞いておくわね」


 そのやりとりに、僕は首を傾げる。


「先生、その質問、どういう意図が?」


「ん?……ああ」


 先生は何かを言いかけて、ちらりとメイちゃんのほうを見て、何かを視認してから、また僕のほうを見る。


「猫というのは、習慣を重んじる。マーキングさえ成功していれば、販売元のブリーダーの場所へ戻っているという可能性も考えたのだが、国外となればそれは無いだろう。どちらにせよ曖昧な線だから、気にするな」


「ああ、成程」


「ともかく、今のところここで聞くべき事は終わった。さて、ワトソン君、聞き込みと行こうか」


 そう言って立ち上がる先生。


「はい!」


 僕も先生に続いて立ち上がりながら、胸の中でざわついて、幼子のようにわめきたてる違和感を黙らせる方法を探していた。


 なんだろう。


 何かが、おかしい。


 そんな気がしていた。

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