断片 とある大泥棒と名探偵の最期

 「おししょー……おししょー……」

 ああ、声が聞こえる。

 自分のたった1人の弟子の声。

 とても不幸でとびきり美しい、かつて不死鳥の名で呼ばれていたあいつの声が。

 聞こえてくるけど、その声は遠かった。

 すぐそこにいるはずなのにうまく聞き取れない。

 何をしても死ねないあいつは自らの死を望んでいる。

 ただそれだけを純粋に願い続けている。

 ――そんなに若いのに死を望むなど馬鹿馬鹿しい。

 ――不死身? もう痛いのは嫌だ? 甘ったれた事を言うなよ小娘。

 そう言って、そんなに死にたいならその理由を話してみろと問うた自分にあいつが話したのは、あまりにも残酷で、あまりにも惨たらしいものだった。

 不幸という言葉では片付けられないほどに。

 死にたいという願いすら、まだ甘いものであると感じられるほどの。

 嘘であってほしいと願った、嘘だろうと問い詰めかけた。

 だが嘘を吐いている様子は微塵もなかった、そのくらいは見て取れた。

 くだらない理由だと吐き捨てて、その考えを改めさせようと思っていた自分は、あいつの話を聞いて呆然とするしかなかった。

 だから自分はあいつの望みを叶えるために協力することにした。

 そうしなければ気が収まらなかった、自分にはそれしかできなかった。

 「うで……みぎうで……」

 その譫言は自分の声、そんな譫言が続いているのは後悔からだった。

 自分の体はもう限界だった。

 老いた体はもう長くは持たない、そんな事はわかっていた。

 わかっていたからこそあいつに自分が教えられる全ての技術を叩き込もうとした。

 だが、それも不完全のうちに終わる。

 この体はもう動かない、きっと意識もじきに消え、心臓も停止する。

 「うで……みぎうでさえ……あれば」

 間に合わなかったと悔やんだ。

 どう頑張ってももう助けてやれないことに絶望した。

 自分がいなくなれば自分の弟子はまた一人きりに戻ってしまう。

 弟子は常識を知らない子供だった。

 いくらか自分が矯正したし、簡単に捕まらぬ様に自分の技術を叩き込んだ。

 名前を変えさせ、自らの正体を悟らせぬ様に耳にタコができるほど言い聞かせた。

 それでもまだ不安だ、不安すぎて目眩がする。

 だってあいつはとんでもない大馬鹿だ、おまけに綺麗で可愛くて何をしても死なない。

 あいつの身を欲しがる輩はいくらでもいるだろう、ただでさえその身体は極上だ、その上に不死身だなんて知られたら、どんな奴に何をされるかわかったものではない。

 それは嫌だった、これ以上あいつには酷い目にあって欲しくなかった、それだけはあんまりだと思った。

 それでもいつかそうなってしまうだろう未来は、そうならない未来よりも簡単に思い描けた。

 この世は地獄だ、きっとあいつはこの先酷いことをされ続けて、それでも死ねずに生きていく。

 ああ、どうして自分はこんなに早く死んでしまうのだろう。

 もう少し自分が若ければ、もう少し身体が自由に動かせたのなら……自分の右腕が切り落とされていなかったのなら。

 そうすれば、すぐにでもこの可愛くて可哀想な弟子の息の根を止めるための道具を盗み出してやれたのに。

 ――ああ、これじゃあ大泥棒失格だ。

 声が聞こえる、自分を呼ぶ声が聞こえる。

 謝ろうと思った。

 1人で残してしまうことに対して、自分が何もできなかったことに対して。

 すまない、と、ただそれだけを口にしようと――


 何かを言おうと口を開いたおししょーは、結局何も言わずに、その動きを止めた。

 「……おししょー?」

 呼びかけても全く反応がない。

 おそるおそる、口元に手を伸ばして。

 「……あ、あぁ」

 おししょーはもう、息をしていなかった。

 「……」

 立ち上がる、場所は知っていた、どんな場所なのかも聞いていた。

 だから。

 「待っててね、おししょー……おししょーの右腕、盗り返してくるから」

 それがおししょーの望みだから、それだけは叶えたいと思ったんだ。

 それが条件だった、だけどそれだけじゃない。

 私自身が何より、そうしたいと思っているんだ。


 もうすぐ自分は死ぬ、そんなことはわかりきっていた。

 最期の時に何を考えようか、そう思って自然頭に浮かんだのはあの紅色の少女の事だった。

 我が最大の宿敵である大泥棒の弟子であった少女。

 大泥棒の最期の願いを叶えるために自分に挑戦してきた、無鉄砲な不死身の少女の事を。

 少女から彼女の最期を聞いた。

 最期まで自分が奪った右腕を求め続けた彼女の最期を知った。

 返してくれと少女は懇願した、間に合わなかったけどせめて一緒に埋めてあげたいのだと、泣きながら。

 だから自分は彼女の右腕を少女に渡した。

 少女が彼女の弟子であることはすぐにわかった。

 身のこなしがまだ未熟だった頃の彼女と同じだったからだ。

 それに嘘を吐いている様子は全くなかった。

 自分は探偵だ、そのくらいは見抜けて当然のことだ。

 それでも渡した後、もちろん自分の目で少女の行動を監視した。

 少女の目を通じて自分が見たのは、随分と老い、痩せ衰えた宿敵の亡骸だった。

 その後、あの少女の事を調べた。

 調べは簡単についた、不死身で赤い髪の少女の情報はあまりにもあっけなく手に入った。

 そしてあまりにも残酷な過去を知った。

 ――ああ、だからお前はあの子に自分の技術を叩き込んだのだな。

 奴は悪人ではあったが、純然とした悪ではなかった。

 人間臭いお人よしの悪党だった。

 その心根はきっと自分のものよりも善良だった。

 だからきっと、あの少女の事を救おうとしていたのだろう。

 だから自分も少しだけその手伝いを。

 我が最大にして最愛の宿敵への餞けとして、ほんの少しだけお節介を。

 やったことは単純で簡単だ。

 少女がかつていたスラムを1つ消し去った、たったそれだけ。

 叩けばいくらでも埃が出た、叩いて出てきた埃をしかるべき場所に告発したら、すぐに対応された。

 あのスラムが、あの見世物小屋がなくなっただけで不死身の少女の目撃者はそれなりに消せただろう。

 それでも全ては不可能だ、そんなことはきっと誰にもできない。

 だから気休め、ほんの少しだけ彼女を虐げようとする可能性のある芽を摘んだだけ。

 自分勝手な自己満足だ、そんなことはわかっている。

 それでも、何もしないままで放置しておきたくなかったのだ。

 ……あの少女は今どうしてるのだろうか、死ねたのだろうか、それともまだ生きているのだろうか?

 そんなことすら調べられなくなった自分はもうすでに、名探偵失格だ。

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泡沫の記憶 朝霧 @asagiri

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