15 竜と翼と (終)

 銀色の粒が、空へと落ちた。


 大きな大きな、真っ黒な艦から。


 きらきらと陽光を浴びて、輝きながら。


 「あれは…?」


 私は目を凝らす。老いさらばえた目を凝らす。


 銀の粒は、暫く自由落下を続け。


 その途中で尾っぽから、自らも強い輝きを放った。


 「アンリさん!双眼鏡を貸しとくれ!」


 私は叫んだ。突然大声を浴びせられ、アンリさんが慌てた。


 「はい⁉これ、ですか」


 「そうだよ、速くしておくれ!」


 肩越しに突き出された双眼鏡を奪い取る。


 レンズを覗き込み、絞りを合わせる。


 そして、銀色の、『それ』を見る。


 『それ』は矢じりのような、独特のシルエットをしていた。


 『それ』は、だがしかし飛行機なのだろう。小型ながら主翼も見て取れる。


 『それ』は尾部から青白い炎を吐いて、そして視界から消えた。


 私は双眼鏡を下ろす。


 『それ』は、艦の真下からいなくなっていた。


 墜落したのか。いや、違う。真っ白な雲が尾を引いている。


 雲は艦隊の後方へ伸びていく。


 『それ』が、尋常ではない速力で飛んでいるのだ。


 あの白い雲は、『それ』が起こしている水蒸気の航跡なのだ。


 そして私は、『それ』を見たことがある。


 夫が、ベイリンが、薄暗い部屋で、飲めぬ酒を呷りながら書いていた設計図。


 結局完成には至らなかった、あの、墳進エンジンの。


 「間に、間に合った!」


 エミリアさんが涙声で叫んだ。


 顔を両手で覆って、だが指の隙間から確実に『それ』を目で追っている。


 「じゃあ、あれは…」


 「はい!おばあさま、やりました!夫が、やったんです!やったんですよ!」


 私は、銀色の『それ』を見やる。


 素晴らしい速さで、『それ』はぐんぐんと上昇していく。


 空中艦では、いや、既存の航空機ではあり得ない動きで。


 「おくさま、あれは、あれは何でございましょうか」


 アンリさんが、驚きのあまり釘付けになっている。


 「あんなにきれいに、あんなに速く飛ぶものが、あるのでしょうか」


 銀色の『それ』は、天へ、天へと駆けあがっていく。


 大きな輪を描いて、宙がえりする。


 純白の雲の尾をたなびかせながら。

 

 馬鹿だねぇ、あの子ときたら。あんなものを造って。


 あんなとんでもないモノ、石頭の軍部がそうおいそれと造らせる訳がない。


 一体どれ程の苦労をしたものやら。


 どれ程の竜の助けを借りたものやら。


 私に何てモノを見せてくれるのやら。


 頬を、暖かいものが伝う。慌てて袖でぬぐう。


 「奥様?」


 アンリさんが気遣ってくれる。


 「何でもない、何でもないんだよ」


 私はもう一度、双眼鏡を覗く。


 とんでもない速さで飛び回る『それ』を、何とか再び捉える。


 その、銀色の背中に。


 「――あ」


 あの白竜が、座っていた。


 あの日、工廠を尋ねに来た時のままの姿の、あの白竜が。


 銀色のジェット機の背にまたがって。


 楽しそうに、笑っていた。


 「なぁんだ、ベイくん」


 そんなところにいたんっスか。


 降りてきてくださいよ。


 一緒にここから、見ましょうよ。


 私たちの孫が造った、あの美しい、銀色の翼を。


 それからベイくんは、レンズ越しに私の顔を見て。


 確かににっこりと、笑ったのだった。


 ジェット機は、暫くの間天空を自由に飛び続けた。


 私たちは、黙ってそれを見上げていた。


 もうとっくに艦隊は通り過ぎていたけれども。


 いつまでも、いつまでも。


 その美しい姿を、見上げ続けた。



 リアガルド郊外の草原地帯に着陸した『ル式』は、観艦式を地上から警護していた帝国陸軍に確保されたが、アウスカンプ元帥の執り成しもありすぐに解放された。関係者各位にも、特に処分などは無かったという。

 カモフ技官はブリガンタイン社を退社。その後同じく軍を除籍したリッツェ少佐の誘いを受け、クルドハル帝国初の民間航空企業を造る為の事業を始めた。地道な働きかけと政財界から得られた予想外の支持により、航空民生化の関連法案が帝国元老院で議論され始めたという。

 帝国と連合の戦いは苛烈の一途を辿り、現在も終結に至る気配はない。

 ゲルダ・カモフ女史はリアガルド観艦式の一週間後、享年九十七歳で亡くなった。

 彼女の墓は、夫と初披露会以降も幾度となく飛行機を飛ばしたレマリア湖湖畔に建てられ、程なくしてベイリン氏の墓も隣に移設された。どちらも小さな墓であるが、毎日弔いの花が絶える事はないという。


 斯くて竜民は天を舞い、日々のたゆまぬ営みを続ける。

 その未来に何が待ち受けているのか、私たち二本足には知る術はない――。

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クルドハル帝国航空史 えあじぇす @eajesu

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