14 竜と翼と ⑹
拡声器越しのファンファーレが天空より降り注ぐ。
真っ青な空に整然と並ぶ、鋼の塊たち。
大型レシプロエンジンの咆哮。祝砲の白い煙。
気に食わない。
孫の嫁、エミリアさんに呼ばれたんでなけりゃ、観艦式なんて来やしなかった。
「奥様、ほら、あれ!」
「…うん?」
家政婦のアンリさんは観艦式どころか、空中艦すら初めて見るのだという。
そのせいか、いつもは大人しい彼女が双眼鏡片手にやたらとはしゃいでいる。
「小さいですけど、高い所にいるからですよね!鳥みたいな舟が!」
老いた目を凝らすと、鳥と言うよりも蝙蝠か蛾のような奴がぶんぶん飛んでいた。
あれは、空中艦というよりも、飛行機に近い型ではなかろうか。
「軍部ののろまども、今更あんなもの造ったのかい。二十年遅いよ」
私が毒づいてると、何故だかエミリアさんがしきりに腕時計を気にしていた。
何かを、待っているようにも見えた。
「…大丈夫かしら」
「何がだい」
私が尋ねると、エミリアさんは慌てて「何でもないんです!」と首を振った。
よく分からなかったが、まあ何でもよかった。どうせ大したことじゃない。
とにかく老体には、ただ天気が良いという、それだけでも有難かった。
あとはもう、どうでも良かった。
※
「よくもまぁこの俺の目を掻い潜ってくれたもんだなぁ」
暗闇の中で黄金色の双眸が輝いている。憤怒という感情が目に見えたなら、あんな色に映るのだろう。十重二十重の銃剣などよりも、よっぽど強い輝きだ。
「聞いてやがるのかクソ白竜!テメェだよカモフ!テメェに言ってるんだよ!」
双眸の持ち主、キリニコフが吠えた。余りの気迫に整備員たちが縮こまる。
『ル式』発進準備に掛かっていた私たちは、銃口を突きつけられ両手を挙げさせられ、今や即座に射殺されてもおかしくない状況にあった。包囲する兵隊らの腕には、憲兵であることを現す朱色の腕章が巻かれている。全員があの鰐竜の忠実なる部下どもなのである。
「お久しぶりですキリニコフ少将閣下。ご一緒の艦にいるとは存じませんでした」
私は精一杯の戦意を腹に込めて、この鰐竜と再び相まみえていた。
こいつにだけは、決して弱みなど見せてやるものか。
「いけしゃあしゃあと…何をしていたんだ、カモフ。あ?」
「この『ル式』を、操縦できるようにしていました」
「そんな必要はねぇ!こいつは『無竜機』だ!単なるテッポウダマだ!!観艦式が終わったら回収もしねぇでスクラップになる予定なんだ、テメェの出る幕はねぇ!」
辺りの視線が私たちに集中している。
私は全身の鱗を逆立たせ、頭の上から尻尾の先まで力を込める。
「それが理解できません」
真っ赤に裂けた鰐竜の口が、ぐにゃりと歪む。
「なんだと?」
「この機体には私だけじゃない。大勢の竜民の働きがこもっているのです。むざむざ歴史の闇に消してしまいたくはありません」
「…お前の言い分なんか聞いてないんだよ。大人しく、命令に、従え」
「従えません。私は軍属ではありません」
「ほぉ、そうかい」
鰐竜の片手が上がる。憲兵らの銃口が、一斉に私へ向けられる。
「キリニコフ閣下、自分もその白竜の言い分に理があると考えます」
今すぐ一斉射撃でも宣告しそうなキリニコフを、リッツェ少佐の低い声が宥める。
「テメェは何だ」
「ダンクレオ提督麾下第一近衛艦隊所属、リッツェ・ルイス少佐であります」
この状況にも関わらず少佐は堂々と胸を張り、うっすらと笑みすら浮かべていた。
旧友を島流しにしてくれた元凶を前にして、少佐の中でも何かに火がついたらしい。
「一パイロットとして、この機体の先進性、革新性は目を見張るものがあります。こいつの製作者とその技術は帝国航空界の未来を切り拓く存在です。それは自分だけでなく、この機体に関わった竜民なら誰しも同意してくれるでしょう」
そう言って若き青鱗竜は、私を狙っていた銃口の半分を引き受けてくれた。密集体系でこすれ合う銃剣が、ジャキジャキ耳障りな音を立てる。
「こんな所で使い捨ててしまうのは、シュビテ主義の獣どもを喜ばせる結果になり兼ねません。せめて納得のいく説明が必要だと進言しますがね」
少佐からの率直な賛辞に、私は場も弁えず感極まっていた。今の言葉を開発スタッフやラープに話してやったら、どんなに喜ぶ事だろうか。
「言いたい事はそれだけか。温室育ちの近衛艦隊がよ」
言うや否や、キリニコフは腰の軍刀を抜いた。将官なら誰もがぶら下げている、両刃の長剣だ。高々と振り上げた切っ先をそのまま格納庫の床に突き刺す。小さな火花が散り、衝撃が空間を満たす。
「いいかテメェら。お望みなら言ってやるがな、その飛行機が使い物になるとかならないとか、そんな事はこの際関係がねぇんだよ」
生臭い息を吐いたキリニコフは、血走った眼をぎょろぎょろ蠢かせ私たちに睨みをきかせた。
「どういう事でしょうか」
「テメェがコイツを造ったからだよ、カモフ」
「…は?」
「テメェが、民間航空機開発を志したベイリンの孫じゃなかったら、この銀ピカはすんなり空を飛んでいたと、そう言っているんだ。分かってるんだろう?テメェだってあの本を読んでいるんだろうが」
キリニコフ言っているあの本というのは、『クルドハル帝国航空史』の事だろう。ラープが逮捕される直接の原因になったあの本は、既に発禁処分を喰らいその購入者のリストを当局が保管してあるような状態であるという。
確かに私もラープに渡されてあの本を読んだ。その内容はかなり大雑把な歴史の羅列であり、話を面白くする為か幾分歪曲されたエピソードも盛り込まれているかのように思えた。元々歴史書などという物は過去の資料からその時代を想像して描き出される創作物に過ぎず、話半分に読んでおくのが正しい代物だ。だが、その中に僅かながら事実が記述されていることもある。特に、帝国軍部が民間航空機開発を嫌ったというのは疑いようもない事実だ。
現在クルドハル帝国には民間航空会社が存在していない。これだけ航空技術が発展していながら、帝国にある航空機は全て軍部か行政府の所有物である。民間航空路線の開拓、開発は、飛行機は元より飛行船や空中艦と言った既存の存在まで法により禁じられている。
「テメェの爺さんが言っていた『一家に一台飛行機を』なんてのはまぁ夢物語だろうよ。だがな、民間航空貨客船が実現してみろ。港って制約のない、安全で安価な輸送技術が発達してみろ。流通、経済、社会の在り様、何もかもが様変わりする。で、竜民もまぁ豊かになるわな。中産階級、下層階級が豊かになったらその先はどうなる?商人が力をつけた、北方のケダモノどもの国のいくつかで、何が起こった?」
新しい富裕層の登場。自由な気風の到来。それは帝国も産業革命期、祖父の若いころに経験した。だが、それを更に突き詰めた先に待っているのは何か。
「自由化運動と、それに次ぐ革命ですか。馬鹿々々しい。現在の竜民たちは、そんな事を望んじゃいない。竜帝陛下への貢献と、帝国の発展を望んでいます」
「そうさ、それが正しき帝国主義国家って奴よ。だがな、航空民生化の旗印だったベイリン・カモフの孫たるテメェが、こんな大した飛行機を造っちまったと世間に広まったらどうなる?自由化の波が本当に起こらないって保証があるか?」
「そんな事は私の知った事じゃないし、誰にも分からない」
キリニコフの表情筋が、ぴしりと音を立てて固まった。
「私には、革命だの自由化だの何だのと言う、政治的な思惑も思想もありません。それはきっと、祖父だってそうでしょう」
何が面白かったのか分からないが、リッツェ少佐が「ごぶっ」と声を上げて噴き出した。キリニコフは私のことを、全く理解できない生き物でも見るような眼で見ていた。
「私たちはただ、もっと良い飛行機を飛ばしたい、それだけです」
格納庫内の全員が、ぽかんと大口を開けていた。さっきの発言の何がそんなにおかしいものだったのか、私には改めてさっぱり分からなかった。ただリッツェ少佐だけが、たまらずといった様子で大笑いを始めていた。
「か、閣下、キリニコフ少将閣下。こいつはダメです、こいつには、自分ら軍民の論法は通じやしません」
そう言って少佐は、両手を挙げるのも忘れ腹を抱えていた。
「こいつは、どんな理屈を並び立てても根はただの素直な飛行機バカです。まったく、面白い奴じゃないですか。少将もぐちゃぐちゃと御託を並べてないで、こいつを見習ってちょっとは本音を言ってみたらどうです」
憮然とした表情でキリニコフがリッツェ少佐に向き直る。
「俺の本音と言うのは何だ、近衛の」
「つまりですな、あんただって自由化だの民間航空機開発の阻止だのは関係ない。ただ純粋に、何か一つの事に集中できるこいつらが気に食わないだけだと、そういう事をですよ」
瞬間、キリニコフの表情が一変した。
深々と格納庫の床に突き刺さっていた筈の軍刀を、一瞬のうちに引っこ抜く。空中に白銀の弧が躍る。切っ先を突きつけた先には、不敵な笑みを絶やさぬリッツェ少佐がいる。
「撃ち殺せッ」
無数の銃口が揺らめく。整備員たちがどよめく。私は飛び出そうとする。少佐を庇おうとする。こんな時ぐらい、いくら運動神経が悪いからって、もう少し私の脚よ、動いてくれても。
だが決してそれは、間に合うはずも無く。
銃声が、今まさに、轟かんと。
「そこまで」
しわがれた声が、静かにこだました。
それは小さな声だったが、格納庫全体の空気にぴしりとヒビを入れた。
途端、今まさにこの場で狂騒を起こそうとしていた軍民たちが凍りついた。
何が起きたのか。今の声は何か。何故誰も彼も静止してしまったのか。分からぬ私は声の主を探し首を右往左往させた。いち早くその存在に気付いた鰐竜が、裏返った声を上げるまで。
「げんすい⁉」
憲兵と整備員が入り乱れる中に、年老いたやや首の長い黒鱗竜が立っていた。いつ現れたのか、どこからこの庫内に入って来たのか、私にはまったく分からなかった。供も連れず地味な軍服を着ていたが、そのたたずまいには並みの竜には醸し出せぬ何かがあった。
私は凍りついた軍民たちの間をくぐり抜け、リッツェ少佐の所までこそこそと歩み寄った。少佐は他の軍民たちと同様、その場から動けずにいた。
「あれはどなたです」
ぼそぼそ声で尋ねると、少佐は死にかけの金魚のように口を開け閉めした。
「ヒュ、ヒュバルカイン・アウスカンプ元帥」
「ひゅばるかいん?」
「この観艦式に参列している艦隊の総司令で、りゅ、竜帝陛下の懐刀と名高い…」
「総員、傾注!」
キリニコフが号令をかける。すると流石は軍民たち、ごちゃごちゃだった整備員と憲兵がすぐさま分かれて整列にかかった。リッツェ少佐ですら踵を正した。私は『ル式』のボディにへばり付き、目の前で繰り広げられる光景を眺めるばかりだった。
気が付けば、アウスカンプ元帥の前には見事な隊列が出来ていた。その先頭でキリニコフが跪き頭を垂れている。このフットワークの軽さが彼を少将の位にまで押し上げたのであろう。
「お疲れさまであります元帥。只今、畏れ多くも帝国空軍の擁する『無竜機』を不法に改造しようとしていた輩を拘束した所でありまして――」
元帥は、キリニコフの長口上など聞いてはいないようだった。ただ細い目で辺りを見回し、私と『ル式』を視界に捉えたところで動きを止めた。そしてそのまま暫くの間、視線を逸らそうとしなかった。鰐竜などのような小物とは比べようのない眼力を前にして、私はリッツェ少佐に助け舟を求めようとも思ったが、肝心の少佐は脂汗を垂らしつつ不動の姿勢を崩せずにいた。
やがて、だらだらと続くキリニコフの言葉を、元帥の静かな声が遮った。
「好きにさせよ」
「…なんと?」
その場にいた全員の思いをキリニコフが代弁した。
「好きにさせよと言ったのだ、少将」
「し、しかし、此奴は、帝国の威信に唾を吐く…」
「構わぬ、儂が許すよ」
元帥の言葉は全員の耳に届いていた。だが誰も彼もが、なぜか最初の一歩を動けだせずにいた。あまりに予想外の事が起き、思考が停止してしまうと心身という物はマトモな動作をやめてしまうものである。
――ぱあん!
景気の良い音が沈黙を打ち破った。リッツェ少佐が勢いよく私の肩を叩いたのだ。
私は我に返る。
格納庫の中を、見渡す。
沢山の、呆けた顔がある。
ああ、そうだ。私はあの鰐竜と張り合うために、ここへ来たのではない。
そして胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
「皆さん手伝って下さい!」
そうだ、このままではこいつを飛ばす前に、観艦式が終わってしまう。
何をやるかは体が覚えている。頭の中で何度シミュレートしたか分からない。
「燃料を注入します。一号と六号の液体燃料を出してください!」
「総員聞こえたろう。さぁ、かかれ!」
少佐が檄を飛ばす。遅ればせながら我に返った整備員たちが、慌てて蜘蛛の子を散らすように動き出す。憲兵たちを押しのけて、庫内はやおら活気に包まれる。
燃料を詰めたドラム缶が、慎重に運ばれてくる。頭上へ『ル式』を吊り上げるクレーンが移動してくる。忙しく駆けまわる竜民たちの表情に、清々しい笑顔が浮かんでいる。
一緒になって立ち回る私の視界の片隅に、キリニコフが元帥へすがりつき説明を求めているのが見えた。元帥は鷹揚に頷きつつ、興奮する鰐竜の質問へ冷静に答えているようだった。
「むかぁし前線でお世話になったある提督からな、もし儂の前に、飛行機にとっつかれたような白竜の若者がやってきたら、力になってやってくれと言われててなぁ」
元帥が誰の事を言っているのかは分からなかった。
だが、又私は誰かに助けられたのだという事は感じた。
一体、私はどれだけの数の竜に助けられるのだろう。
祖父と、祖母と、同僚と、友と、妻と、そして名も知らぬ数多の竜たちに。
たくさんの手に支えられて、今の私と、この『ル式』はある。
夥しい数の想いがこの、音の速さをも超える翼を飛ばす。
私は興奮していた。誰も彼もが、興奮していた。
「燃料注入完了!」
「各フラップ注油完了、点検も異常なし!」
「ブリッジから電信!風力3、高度8000!本艦は現在殿艦として艦隊最後尾にあり。艦隊各艦への通達完了済みだそうです!」
「無竜機…いや、『ル式』をガントリークレーンに接合。安全フック解除用意完了」
全ての準備は整った。
私と少佐は、『ル式』のコックピットに乗り込んでいる。
周囲には、汗まみれの整備員たちが取り巻いている。
隅っこではキリニコフと憲兵たちを、元帥御自らが宥めている。
「少佐、白竜さん、いつでも行けます。あとはハッチ開けてクレーン降ろして、エンジンかけるだけです。着陸は直下の草原地帯でやるんですね⁉上手くやって下さいよ少佐!」
「誰に物言ってるんだよ!」
頬を上気させる整備員に、前席の少佐が怒鳴り返した。私は飛行ゴーグルをかけ、マスクで口を覆ってから、手動で風防ガラスを閉じた。外界とコックピットが隔たれる。少佐の息遣いとゼ級のエンジン音、それから私の心臓の太鼓がいやに大きく聞こえる。
少佐がこちらを振り返り、大きく頷く。
私は、しっかりと頷き返し、整備員に手で合図を送る。
「やって下さい」
格納庫の天井からクレーンでぶら下がった『ル式』の足元が、ゆっくりと開いていく。
真っ白な光が、足元から庫内を照らしていく。
そこには、私たち竜が還る唯一の場所があった。
何物にも縛られず、どこまでも広がる、大空が。
※
観艦式は滞りなく進んでいるようだった。
私は特に何の感情も持てずにいた。
ただ、艦の合間を飛び回るあの蝙蝠だけは、何となく気になった。
あの大きさであの動き。まあ頑張ったようだ。だが、夫が、ベイリンの求めた翼とは程遠い。
彼の求めた翼は、もっと――。
「奥様、あれは」
その時だった。
艦隊はほぼリアガルドを抜けて、一番後ろの一際大きな艦が街の上空に差し掛かっていた。
その大きな艦の腹の底から、何か。
きらりと、光るものが落とされた。
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