第2話 魔物より魔王より怖いもの

意識が混濁している最中は、彼女がつきっきりで面倒を見ていてくれたらしい。回復魔法は意識を回復させる効果も多少あるらしく、重いまぶたをかろうじて開けられるようになった時にはたいてい彼女が心配そうにこちらを覗き込んでいた。


そういえば、学校帰りにいきなり現れた時もこんな顔をしていたな……。つい数時間前の出来事のはずが、やけに懐かしく感じられる。夜道で街灯に照らされた彼女は、それは不安そうに大学帰りの俺を待ち受けていたっけ。


俺の名前は高本真人。運動が苦手なのを補うべくそこそこに勉強を頑張り、そこそこの地方国立大に通うごく普通の大学生である。こんな平凡な俺の唯一の趣味が、異世界転生した時に活躍するための現世知識のストックであることと、異世界からやってきた彼女に名指しで魔王討伐を頼まれたのは無関係ではないだろう。というかそれ以外に自分が選ばれる理由が分からない。異世界転生の時は、それが生まれ変わりなのか現在の体を引き継ぐのか、魔法は使えるのかなど、転生の条件をきちんと問いただすのが定石であるが、彼女が現代世界に留まるのにタイムリミットがあるとかでそんな細かいことを聞く時間がなく、いきなりの転移だったのが想定外だ。そんなわけで転移先の大気の酸素濃度はおろか、俺は彼女の名前すら聞いていない。いくらか鮮明になりつつ意識の中で、彼女に投げかける最初の質問を定めた。


「——あ、マサトさん! 目が覚めましたか……?」

「あ、ああ……。なんとか」

「……本当によかったです。召喚魔法で接続される世界にここまで差異があるなんて想定外で……一時はどうなることかと……」

「くっ……いきなり気になる設定が出てきたっ! 深掘りしたい! が、しかし!」

「は、はい!?」

「まずは君の名前を教えてほしいんだ」

「……自己紹介がまだでしたね。すいません。私、魔術師のディアナといいます。千年の時を経て復活した魔王を討伐するため、セントリア王国国王の命に従い召喚魔法を行使した次第です」

「ここがそのセントリア……?」

ガラス越しの窓から見えるのは禿山ばかりで、文明の気配が一切ない。転送された部屋は窓が無かったので外の様子がわからなかったが、この部屋からは外の様子を伺うことができた。

「いえ、辺境地アノニマシアと呼ばれる高山地帯です。農作物が育たない乾燥地域で、ここに到達するまでの街道も整備されていないことから、どの国家にも所属しない空白地帯になっています」

「なんだ、大気成分じゃなくて標高の問題だったのか……。でもどうしてこんな場所で召喚を?」

「召喚魔法は条約で禁止されていて、領内での行使は出来ないんです。他国の魔術師に発動が観測されてしまえば、戦争の口実を与えることになります。領外であれば仮に見つかっても、国籍を持たない魔術師の独断ということにして言い逃れできますからね」

「魔王を倒すために必要なのに、なぜ召喚を禁止するんだ……?」

「中央大陸に存在する三大国家の均衡を保つための条約です。魔王を討伐した者には、国を滅ぼすほどの莫大な力が与えられると言い伝えられています。実際に、千年前は二大国家に挟まれた緩衝地帯に過ぎなかったセントリアが、魔王討伐をきっかけにして3つめの大国にまでのし上がったわけですからね」

「召喚魔法って、転移魔法とは違うのか」

「転移魔法をご存知なのですか? ……今回は、魔王を討伐しうる勇者をこの世界に顕現させるため、無数に存在する世界から条件に該当する存在を探し出す必要がありました。転移魔法は、本質的には既知の2点間を結ぶだけの魔法ですが、召喚魔法は存在に語りかけ、契約を結ぶより高度な魔法です。」

「なるほど、そういう設定なのか……」

「設定……ですか?」

「あ、いや、なんでもない! ……それで、大学帰りにとぼとぼ歩いている俺と街灯の下に佇むディアナが運命的な出会いを——」

「あなたに語りかけていたのは私の意識であって、私があなたの世界に行ったわけではありません。いわば幻覚ですね」


そうか、どうりで俺の好みジャストミートのシチュエーションだったわけだ。俺の日頃の妄想願望が反映されただけだったとは、ちょっと残念……。


「あ、あと、これもお決まりなんだけど、異世界の人と問題なく日本語で意思疎通ができてる原理は?」

「この中央大陸を覆うイデアの加護のおかげです。どんな言語を使おうとも、それが言語である限り意思疎通や解読に問題はありません」

「That's great!」

「試しに、なにか別の言語を使用してみてはいかがですか?」

「いま使ったところさ。しかしそうなると、母国語という概念、いや、言語体系はどうやって維持しているんだ……?」

「魔法の詠唱や記述には、古の言語体系をそのまま使用する必要があるんです。その意味で、現在では言語体系とはすなわち魔術体系を意味しているといえます」

「つまり、俺が魔法を使うには呪文を覚えなきゃいけないわけだな」

「おおむねその通りですね。呪文の他にもいろいろな発動方法がありますが、その言語体系を学んで、意味を理解しなければ行使できないのは共通です。そういう意味では、すべての人が魔法を使えるわけではありません」

「外国語はあまり得意ではないけど、魔法は使いたいから頑張るよ」

「この世界の技術については私が全面的に協力します」

「魔法以外には、魔王討伐にどんな才能が必要なんだ?」

「それは私にもわからないんです……。ただ、あなたが魔王討伐をしうる、ということしか。何か心当たりはありませんか……?」

「現代知識……は他人より自信がある。例えばその窓にはまっているガラス。表面を見るに、吹きガラスの一部を切り出したか、表面が荒い鋳型に流し込んだんだろう。錫の板に溶解したガラスを流し込めば、両面が滑らかで平らな、大面積のガラスが生産できる。こっちの世界で60年くらい前に実用化された技術だから、この世界にはまだ存在しないんじゃないか?」

「……どうやら資金面で苦労することは無さそうですね。あまり大々的にやりすぎると錬金術師を敵に回すでしょうが」

「その時は経済学なり社会学なり、科学以外の知識を使うよ。そのためにも、この世界のことをもっと知らなくちゃ」


なにせここは異世界なのだ。しかも、部屋の調度品や衣服を見るに、文明は中世ヨーロッパに近い。異世界で現代知識無双という夢を実現できそうで、相変わらず体は死ぬほど重いが、それをはねのける程度にテンションが上がってきた。


「あ、体を起こしたら駄目です! 遅延魔法の効果が……」

「いや、もう頭も痛くないし、吐き気もな——突然体中の血管に溶けた鉄を流し込んだような痛みが襲うっ……!!」

「動かないで! 遅延魔法をかけ直します!」

痛みに悶え苦しむ俺をディアナが慌てて押さえつけ、どの国の言葉とも似つかない呪文を唱えた。急速に痛みが遠ざかり、体の重みだけが戻ってくる。

……というか、今はじめて自分の腕を確認したのだが、この紫色の斑点は何だ?

「すいません、治療法が分かるまで黙っておこうと思っていたのですが、逆効果でしたね……。見ての通り、かなり重篤です。マサトさんの内臓の時間を遅くしていますが、このままでは……」

「……現代知識で無双する前に、医学知識をフル動員して明日を生き延びる必要があるわけだ……」

「マサトさん……」

「おそらくこの世界ではありふれた細菌なりウイルスが、抗体の無い異世界の俺に侵入して増殖してるんだと思う。既に発症してしまっている以上、原因がわかったところであまり意味は無いんだけどね……」

「意味はあります! 治癒魔法にかぎらず、魔法を発動させるには対象を指定する必要があるんです。つまり、病気を引き起こしている対象が分かればそれを排除する治療が可能なんですよ!」


今にも泣き出しそうだったディアナの顔がわずかに明るくなった。世界を救うために召喚した勇者がこんな状況で、それを改善する手段を見つけたのだ。……いや、もしかしたら純粋に俺を心配していたのかもしれない。うん、そうに違いない。勝手にそう思っておく。


こうして、ベッドに横たわる俺とそれを見守る彼女、二人の素人病気診断が始まった。

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異世界召喚されたけど、案の定未知の病原体に感染して俺の命が風前の灯火 @tkg

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