クソガキとハゲジジイ

村上 茄子吉

クソガキとハゲジジイ

「このクソガキめ! 待ちやがれ~!」

「や~いハゲジジイ! つかまえられるもんなら捕まえてみろや~!」

 こんなじいさんになんか捕まるもんか。今時の小学生をなめんなよ。

 そんなことを思いながら、全力で逃げていた。しばらくすると爺さんはあきらめたのか、後ろを振り返っても誰も追ってきていなかった。

 ふふん、今日も俺の勝ちだぜ! さて、さっそくいただきますか。

 今日は爺さんとこの庭にある柿を一ついただいてきたのだ。もちろん勝手に。

「うお! めっちゃ甘くておいしいじゃん!」

 柿をとるのは初めてで、うわさに聞く『渋柿しぶがき』とやらだったらと少し心配していたが、ちゃんと甘くておいしい柿だった。爺さん、良い仕事してるね~。

 今日の勝利を振り返りながら家路いえじを急ぐ。『勝利のビシュ』ならぬ『勝利の柿』に酔いしれていた。

 俺の家は、爺さんの家から歩いて十五分ほど離れている。こんだけ離れていれば、うちがばれることもないだろう。俺はそんな爺さんの家にほぼ毎日訪れては、なにかしらのイタズラをしていた。

 ある日は野球ボールを投げ込み、またある日はピンポンダッシュ、またまたある日は玄関の前に大きな石を置いてみたりもした。爺さんはそのたびに家から飛び出してきて、怒鳴どなりながら走ってくる。そして毎度の追いかけっこに発展するのだ。

 たまにはドジ踏んで捕まることもあるけど、大抵は俺の逃げ切り勝利だった。まあ、あの爺さんも年だからな~。詳しくは知らないけど。それに、捕まったところで長~い説教をたれるだけで、夜になる前には帰してくれるし。ほんとに、なんで老人たちってああも説教が好きなのかね~。

 とにかく、平日の午後四時半、俺と爺さんは死闘を繰り広げるのが日課だった。


 最初の頃は爺さんじゃない、別の家を狙ってイタズラを仕掛しかけていた。だけど、そのイタズラがバレても、嫌な目つきでこっちを見てさっさと扉を閉めたり、警察を呼ばれたくなかったらどっかいけ! とおどすだけの大人ばっかりだった。

 何件目だったか、なんだか古めかしい家を標的ひょうてきにして、いつものようにちょっとしたイタズラを仕掛けたら、なんとその家から爺さんが出てきて、さらには追いかけてきた。しかも全力で。いつものように、玄関から出てくることはないだろうと思っていたので、驚いてこっちも全力で逃げ出していた。

 必死で走り続けていた。そして、もう少しで追いつかれると思ったその時。

「ふげ~!」

 爺さんが転んでいた。それも盛大せいだいに、まるでマンガみたいにだ。

 一瞬血の気が引いたが、すぐに爺さんは起き上がった。そして、その顔をみて思いっきり笑ってしまった。鼻とひたいに綺麗なり傷ができていたのだ。

「ちきしょうこのクソガキめ! 次に来たら絶対逃がさんからな!」

 それだけ言って、爺さんはとぼとぼ帰っていった。

「次に来たら、か」

 爺さんのあまりの転びっぷりが面白かったのかなんなのか理由はわからない。だけど翌日から俺は、爺さん以外の家を狙うことをやめた。

 そして、毎日のように爺さんと追いかけっこをした。最初の頃は逃げなれていないからか、よく捕まってしこたま怒られていた。

「おいこらクソガキ、この窓ガラスいくらすると思ってんだ? お前さんのお小遣こづかい二年分くらいだぞ? ほれ、二年間も窓ガラス無しの部屋で寝てみろ! 絶対風邪をひくじゃないか! おい、聞いてるのか?」

「よくもわしの大事な盆栽ぼんさいを割ってくれたな! ああ? 値段なぞ知らん! だがな、儂はこいつを五年間も大切に育ててきたんだぞ! その気持ちがわかるか? 儂にとってはペットも同然だったんじゃい!」

 そんな具合に一時間ぐらいコッテリしぼられるもんだから、途中から絶対捕まらないように、体育の時間以外も走る練習をした。

「はあ、はあ、お前さん、最近ずいぶん早くなったじゃないか。はあ、少しは、はあ、じじいをいたわれ、はあ、はあ」

「うるさい! 放しやがれこのハゲジジイ!」

「このクソガキめ~!」

 そんな毎日を過ごしていた。あの日、爺さんが亡くなるまで……


「なあ、お前さん、他の家ではこんなことしとらんよな?」

 あれは最後に捕まった日だったか、いつものように怒鳴られるかと思ったら、落ち着いた声でそう切り出した。

「なんだよ突然。前はともかく、最近は爺さんにしかやってないぜ」

「なら、いい。覚えておけよクソガキ、世の中には儂みたいに優しい大人ばかりじゃないんだからな」

「はん、このハゲジジイのどこが優しいんだか! もしかして、ボケたのか?」

「ボケとらんわこのクソガキ! ええい、説教はこれからじゃ! だいたいお前さんはいちいち手間のかかるイタズラをしおってからに」

「爺さんがボケないようにガキなりに気を使ってやってるんですよ~」

だまらんかい! まったくこのらず口め。今日はたっぷりしごいてやるわい!」

 この毎回飽きもせず追いかけまわしてくる爺さんのどこが優しいんだか。この時の俺は心からそう思っていた。

 優しいと言うなら、小遣いくれたり、お菓子を用意してたり、そういうことをするのが優しさだろう。そう信じて疑わなかった。


 爺さんが倒れているところを最初に発見したということもあり、お葬式に参列させてもらった。いつものように爺さんの家でイタズラをしかけようとしたら、縁側えんがわで倒れている爺さんを見つけてしまったのだ。

 少しの間動転したが、すぐに救急車を呼んだ。しかし、爺さんはとっくに息を引き取ったあとだった。

 もしかして、俺が爺さんを走らせ続けたせいなのか? 俺のせいで爺さんは……

 そんな心配が顔に出ていたからだろうか、爺さんのお孫さん(遺族いぞくはその人の家族だけだった)が丁寧ていねいに説明してくれた。爺さんはずっと前から大病をわずらっていたこと。一見すると元気そのものだけど、いつ命を落としてもおかしくなかったこと。だけど、少し走ったりするぐらいでは命に関わるものではなかったということ。

 爺さんは、目の前で心配され続けるくらいなら一人で死ぬと言い張り、孫一家の世話にはならず、昔から住んでる家で一人暮らしを続けていたのだそうだ。

「さすがに少しは心配させてほしいと、月に一回は電話をしていたんだけどね。やっぱり病気がわかってからは少し元気がなかったんだ。だけど、ここ最近は楽しそうに君の話をしていたよ。まだこんなイタズラ小僧こぞうがいるんじゃ、おちおち死んでられん! ってさ」

 そして、お爺さんと最後まで一緒にいてくれてありがとう、と言われた。

 それから、遺言ゆいごんを預かっていると言って、一枚の手紙を渡してきた。

「もし自分に何かあったときは、あのイタズラ小僧に渡してくれって。あと、自分が亡くなっても気付かずにイタズラを仕掛けてくるかもしれん馬鹿者だから、その時は許してやってくれとも言っていたっけ」

 結局は倒れているところを見つけてくれた恩人になったのに、失礼な爺さんだね。そう笑って言いながら、最後は少し涙声になっていた。

 爺さんからの遺書。なんで俺なんかに残したのか。きっと恨み言でも書かれているに違いない。でも……

 お孫さんに挨拶あいさつしてから離れ、一人になれる場所を見つけて手紙の封を切った。

 そこには、あの爺さんらしいしっかりとした字で短い言葉が書かれていた。


「優しい大人になれよクソガキ」


「大きなお世話だよ、ハゲジジイ」

 思わず涙をこぼしながら、一人そうつぶやいた。

 ああ、もうクソガキではいられないんだ。あんなガキのイタズラに、本気で真正面から向き合ってくれる。そんな優しい大人ばかりじゃないってことはとっくに知っていたんだ。

 だから、自分がなるしかないんだ。クソガキたちの相手をする、あんな優しい大人に。

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クソガキとハゲジジイ 村上 茄子吉 @Sakutarou

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