処女の背徳

藤原埼玉

処女の背徳

(せんせえ…せんせえ…)


 ペンをノートに走らせながら、口元で言葉を弄ぶ。多分聞こえないけれど、なんとなくいけない遊びをしているみたいにどきどきする。


 今日は一つ多くボタンを外していることに先生は気がつくだろうか。意識すると、少し身体の芯が疼く様に震えた。


 横目で見た先生は、どこか物憂げな様子で教科書に目を通している。


 私ばっかり邪なみたいでなんだか不公平だと私は思う。その不満を表すみたいに、私はわざと前間違えたのと同じ箇所を間違ってみる。先生はきっと困ったみたいに苦笑するだけだろうな。


 先生は優しくて少し気弱そうな笑顔で笑う。


 でも、先生は優しいだけじゃないって私はなんとなく知ってる。


 男なんて一皮剥げばみんな獣なんだって友達の朝子は言っていた。


 朝子に勧められて一度だけ怖いもの見たさのような気持ちで、出会い系サイトに顔写真付きでアップしてみたら余りのメッセージの多さとそのメッセージの欲望の明け透けさに嫌悪を通り越して感心したものだった。私は朝子の言った言葉に納得した。


 …先生も一皮剥げばそうなのかな?この大人しそうな表情の裏に?


 そう思うと私のひんやりとした身体の芯の震えはますますとまらなくなった。


 先生の細っこい首を眺めるとうっすらと血管が透けて見えた。それを見つけて私の心臓はドクンと波打つ。


 この首に触れたら先生はどんな表情をするのだろう。やっぱり困ったみたいに笑うのかな。


 男の人の身体は私たち女の子と違って硬いらしい。これも朝子が言ってた。


 私は先生の首筋に触れた時の感触、先生の驚いた顔を想像しながらペンを走らせた。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「…それじゃあ、今日はここまでだね」


 私は内心の物足りなさを押し殺して如何にも行儀良く微笑む。はしたなくもの欲しそうな顔なんてしない。


 帰り際の先生がママと玄関で話してる後ろで私は、二人の話をぼんやりと聞きながら先生のことを見つめている。


 このはがゆい距離。駆け引きとも呼べないような、この距離を壊すのはきっととても簡単。


 悪戯なほんの一言、ほんの一度触れただけで呆気なく壊れるだろう。不用意にすれば私の方から思いが決壊していく。


 それではなんの意味もない。先生が私の側に崩れ落ちるのでなければだめ。


 この距離を壊して先生を私の世界に誘い込むような言葉を私は枕を抱きながら時間をかけて夢想する。


 先生は自分からタブーを犯す。


 先生の後ろ暗い表情を思い浮かべると私は身体の芯から熱くなり愛液が滲んでくる。


(少年のように傷ついた先生は、きっとかわいくて色っぽいんだろうな)


「大丈夫だよ、先生」


 私が守ってあげる。私が罰してあげる。


 だからこれは二人だけの秘密。


 いい?先生。


 私はそう言って優しく先生を抱きしめてあげる。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「十戒とは、イスラエルがエジプトから脱出したすぐあとに神さまからイスラエル民族に与えられた聖書の中にある10個の法律です」


 先生のチョークがカツカツと黒板で音を立てる。私は頬杖をついてそれを眺めていた。


「十戒の最初の4つの戒めは、私たちの神さまとの関係を取り扱っています。あとの6つの戒めは、私たちお互いの関係です」


 姦淫とチョークで書かれた時、生徒たちが色めき立ったが先生の目配せと咳払いで程なく静かになった。


「…姦淫とは男女の交わりのことです。ユダヤ教では婚前交渉、つまり結婚前の接触や不倫は死罪とされています。姦淫には、既婚の男女が誘惑する事も含めて罪となります」


「先生、新約聖書ではキリストは姦淫した女性を放免しました。キリスト教と違ってなんでそんなにきびしいんですか」


 生徒から質問が飛んだ。


「同じ宗教ですら宗派の教典の解釈によって戒律の厳しさと言うのは千差万別になります。あんまり教典通りに現実受け止めすぎると原理主義者といって極端になりがちなので、先生はバランスが大事だと思ってます」


「先生、私の家はカトリックだから男の子と付き合っても大丈夫ですね」


 朝子の一声にクラスに笑い声が響く。


 先生は節度と品性を持って…みたいなことをとゴニョゴニョと呟いた後、誤魔化すように咳払いをした。


「雪子の家は厳格だからきびしいかもね」


 朝子はそう言って私に悪戯っぽく笑った。

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「…先生、少し疲れてますか?」


「ああ、ごめん…ちょっと色々あってね」


 そういって笑う先生の顔はいつにも増して覇気がなかった。


「大丈夫ですか?」


「はは、ごめんね。心配させちゃって」


 何があったかなんて自分から言わない。聞いても言わないかもしれない。先生はそういう人だ。


 私は席を立ってカバンから何かを取り出すふりをして、先生の背中に手をかけた。


「うわ、何してるの?!」


「先生大変なんでしょう?少し肩でも揉んであげようと思って…余計…でした??」


 少しだけ、悲しげな声色を混ぜる。先生は優しいからこうすればきっとOKをする。


「い、いや、でも悪いから…」


「いいんですよ、善意を受け取るのだって甲斐性なんですよ?」


 先生はなされるがままに、所在なさげに肩を揉まれていた。


 私は最後に、ぎゅっと先生を背中から抱き締めた。特別と普通の間くらいの長さで。


 先生の喉からえっと意外そうな声が漏れた。私はなんでもないように小首を傾げると自分の席に座った。


 確かに朝子の言う通り、男の人の身体は硬かった。


 動揺した先生のとなりにいるのは心地よかった。私の中にいる良くない女の子が刺激されるようでじんわりと身体の芯が濡れるように疼いた。


 その夜帰る時、ママと話す先生はいつもよりうわの空だった。こちらを見ないようにしている先生。


 その日私はすごく満足だった。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 あれから図書館で色々な聖書に関する本を読んでみたけれど不倫や自慰行為が罪とは書かれていてもどの本にも、私の先生への行為が罪だなんて書かれていなかった。


 でも、私はマタイの福音書にこんなことが書かれているのを見つけた。


『しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである』(マタイの福音書5:28)


 これが本当だったら、私は先生に罪を犯させようとしていることになる。


 だったら共犯で私も悪いことになるんだろうかということが頭を掠めた。


 でも、その時私の中に閃いたのはもっと違うアイディアだった。


 私がニセモノの…になればいいんだ。

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「こんにちわ、先生」


「あ、ああ…こんにちわ」


 先生は靴を脱ぎながら後ろ暗そうに私から目を逸らした。


 私はすぐさまピンと来て歓喜に打ち震えた。処女の本能が私に知らせる。


 私は先生の情欲の対象になったのだ。


「先生、どうしたんですか?」


「…えっ」


「ひょっとして私の顔、何かついてます??」


「…ついてないけど、なんで?」


「今日の先生はなんだかよそよそしいなって」


 私は少し戸惑った様な表情を作ってみせる。


「今日の私…何か変ですか?」


 そういって、私はひらひらとスカートを摘んでみせる。今日のためにわざと短いスカートを履いたのだ。


「いや…その…」


 しどろもどろになる先生。


 私はそんな可愛い先生をいつまでも視界の中で愛でていたい気持ちに駆られる。


 そんな先生にやさしい言葉をかけてあげたい。


 でも、まだだめ。


 欲望と罪悪。


 その毒が先生の全身に回るまで待たなければいけない。


 先生、私で自慰行為をしたんですか?


 いいんですよ、したって。


 私の、女の子の一番大事な部分をめちゃくちゃにする想像をしたり。私には想像もつかないようなことや口で言うことも憚れるようなことを想像したり。いいんです。


 でも、触るのはダメです。私、処女ヴァージンなんです。


まだ、だめ。


 先生は、私の太ももとか鎖骨とか見ていやらしい想像をするんでしょう。


 ほら、息が乱れてますよ…こんな大人しそうな先生の中にケダモノがいるんでしょう?


 いいんですよ。それで。


 狭量な神様に代わって私が許してあげるんです。


 だから、見せてください。先生。そんな想像で頭の中がいっぱいになって、そんないやらしいことしか考えられなくなって、それで辛そうにしてる先生の姿。


 …見たい…なあ。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 興奮で涙目になってる先生を想像して私は枕をきつく抱き締めて果てた。


 足の間に愛液が滲み濡れた感触を感じる。


 先生の精液はどんな味がするのかな。


 私は指先をひと舐めした。人肌の塩っぽい味がした。


 先生。私はあなたの二つのマリア様になるの。


 聖女で娼婦。淫乱で処女。


 貴方を堕落させて免罪する。


 それって素敵だと思うの。


 だからこれは儀式。


 「先生…好き」

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処女の背徳 藤原埼玉 @saitamafujiwara

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