EP エピローグ
芯嶋英作が消えた。
しかし消えたと言われても実感がない。部屋も知らなければ連絡先も知らないので「消えた」の基準がよく分からない。前から神出鬼没だったように思うが校内から姿を消したという意味だろうか。除籍になったという意味だろうか。学生だったかすら怪しいのに?
言い出しっぺは誰だ。説明責任を果たせ。
とにかく悲しむに値しないとあゆむは考える。元々いるのかいないのかよく分からない手合いだ。無闇に騒ぎ立てるのは得策ではない。ひょっこりと気分次第で戻ってくる可能性が高い。その場合涙を返せ、悲しみを返せと言ったところで手遅れである。泣き損だ。
蛙貴族はどうなるのか。妥当なところで空中分解である。芯嶋英作が私的な目的で作った組織なのだから、本人がいない以上これといった存続理由がない。凡百の仲良し集団に成り下がるという選択肢もあるが、何か違う。妙なプライドがそれを許さない。
現在大達磨様はあゆむの部屋の床下に眠っていた。ある日なんの前触れもなく現れた芯嶋に「とりあえず」と押し付けられたのである。押し切られる形で部屋に運び込まれた途端、めりめりと音を立てて畳に飲み込まれた。部屋の真ん中にぽっかりと空いた大穴を覗き込むと、腐った畳と床に挟まれた大達磨様が遥か床下でちょこんと鎮座ましましていた。
(しかし思えばその時が、芯嶋さんとの最後の会話だった)
「それ以来会ってないっすね。その時も特別なことは言ってなかった」
あゆむは目の前にいる桐森線一にいった。芯嶋英作の行方を尋ねられたのである。
「本当か? 貴様は本当に奴がどこへ行ったか知らぬのか。何か些細な異変でも良いんだ」
「本当に知らぬのです。東南アジア辺りで起業でもするつもりじゃないっすか?」
「よし東南アジアだな! ちょっとフォー食ってくる!」
「ちょ! 例えばの話ですて」
「むうそうか…」
「そんなドイツ村行ってくるみたいな気軽さで言わんといてください…」
桐森は立ち上がりかけた腰をゆるゆると下ろした。少し気の毒になってくる。
「でもひょっこり戻ってくるような気がしませんか? もうお二人の前から姿を消す理由はないわけですし」
「俺はまだ諦めちゃいねえぞ」
「敵ながら応援しています」
「それに考えたくはないが、瀧だって諦めていないんじゃないか?」
「まさか…。あんな酷いフラれ方をして…?」
罵詈雑言の嵐。人格否定。公衆の面前で大人の女性がギャン泣きさせられた。
「奴なりの優しさだ。しかしその数段、瀧は諦めが悪い」
「誰かがどこかで折れないと、あんたら一生幸せになれないんですね」
「光栄だ」
何か良い解決方法はないものかと、あゆむは冬の空を見上げた。あれから二ヶ月経っていた。穏やかな日常を取り戻すにには十分すぎる時間である。むしろあれほど欲していた平和にも関わらず現状ちょっと退屈していた。そんな折、ソワ子に捕まった。
「ちょっと。あんたの合図を待ってるんだけど」
「……」やっべえすっかり忘れた、とは口が裂けても言えない。
彼らは『よみうりランド』に来ていた。以前桐森が言っていた『うってつけの場所』である。そして彼らとは、あゆむ・ソワ子・桐森・瀧の四人。端から見たらダブルデートだが本人達にとっては傷心旅行に近い。
ーー瀧の友達作り。
実際忘れていたのは半分、残り半分は彼女の多忙さにあった。やーめたと言って投げ出すわけにはいかず、手続きや引き継ぎや後始末やに追われていた。それを待っている間にすっかり忘れてしまい、ソワ子に尻を蹴り飛ばされて慌てて動き出し今日に至る。
(…まあ、もう無理に作ることもないんだけど)
瀧は桐森の思いを知ったところで彼を必要以上に拒まなかった。もちろんあゆむのことも。理由はきかない。本人もよく分かっていないだろう。
「結局瀧さん、次の仕事決まったんですか?」
一番の問題がそこだった。そんな状況でホイホイ遊びに誘うのも申し訳ない。
「実際あの歳まで研究三昧で、バイトも殆どしないで生きてきたからなあ」「ですか」「ところで、俺の実家は地方で造り酒屋を営んでいるんだけど、そろそろ卒業して後を継げと言われている」「模範的ドラ息子…」「この歳まで好き放題させてもらった負い目もあるしそのことについて異論はないんだが…」「卒業ができないと?」「いやできる。あと論文を提出するだけで授業に出る必要はないし、論文自体も随分前に完成している」「模範的モラトリアム!」「キレるなよ…」「…だった何が問題なんすか?」「瀧をウチで働かせようと思うんだ」
つまり瀧を実家に連れ帰る計画を企てている、と。婚約も交際もしていないのに。
「ずっちい! 既成事実かよ!」
「ずっちくねえだろ。だから貴様にお伺いを立ててるんだろ」
「お伺いを立てる所がずっちいつってんすよ!」
「すまん!」
「…素直に謝られても」もう何をしてもずっちく感じる。「…良いんじゃないですか」
「良いのか? 瀧と離れても」
「なんつうか、はじめからおれは蚊帳の外っすから」そして当て馬でありモルモットである。それに所詮憧れという自覚はあった。「で、本人はなんと?」
「まだ聞いてない」
「なんだよ、取ら狸かよ」
となると今から仮にソワ子と友達になったとしても、離れ離れになってしまうわけだ。いや極東の島国なんてどこへ行こうとご近所付き合いみたいなものだ。
さて当人たち、瀧とソワ子の進捗はどうか。
中々他人行儀で距離の縮まらない二人を見かねて、強硬手段とばかりに観覧車に押し込んだ。男二人で観覧車は身の毛もよだつ、ということであゆむと桐森は下で待っていたが、そろそろ降りてきてもおかしくないはずである。
と。
「ねえ」
「あ?」
埃を被った唐揚げがあゆむの背中を引っ張っていた。ソワ子。もう一人はどこへと探すと、瀧は桐森の方へ駆け寄って行く。ややジェラシーを感じてしまう辺り完全には吹っ切れていない。ソワ子は耳打ちするように囁く。「あの人全然喋らないんだけど」
「……」中々どうして強敵のようだ。人見知りは筋金入りで真実だったのだなあと知る。
「話しかけたんだろ?」「そりゃあ入場料分ぐらい働くわ」「何て言ったんだ?」「外綺麗ですねーとか、良い天気ですねーとか」「で?」「気づかないふり」「人としてどうなんだ、それ」「あたし嫌われた?」「お前、じゃあ、あれだ。お得意の啖呵売だ」「やった」「…やったのか。観覧車で」「買ってくれた。バナナ」「…うーん好感触?」「二人で食べた。バナナ」「倒置法で責めるな。卒業式みたいに言うな」「正直無理じゃないかしらって思う。あたし」「そこをなんとか、頼む」「じゃああれやって」「あれ?」
ソワ子の指す先、そこには…「バンジージャンプ?」原始的な度胸試し。高さにして10メートルの飛び込み台が聳え立つ。しかも別途、飛び降り料が発生するようである。
「…なぜ高い金払って寿命を縮めにゃならんのだ」
「…出来ないなら帰る」
「よっしゃあ見てろ! なんか下から見ると大したことない気がするし!」
で。
「……」
登ったら分かる。自分が死と隣り合わせであることに…。
「3、2、1、バンジー!」
「ぎゃあああああああああ」
瞬間、ひっくり返る天地、一瞬ちらりと見た光景で全て察した。
ーーああハメられた。
二人は高々とハイタッチ。チロリと舌を出す瀧。古いんだよ、リアクションが。まったく、くそ可愛い。
深緑色のマットレスに寝転んで空を見上げ、ようとしたら巨大なスキンヘッドが視界を遮った。「ロクさん!?」
「ごめんあゆむくん。お楽しみ中に悪いんだけど!」
と言って担がれスタコラサッサと走り出した。
「やばいミスマの逆鱗に触れた!」並走するのはガクである。「あの女、ちょっと遊んでやったら彼女面しやがって!」
「はあ?」何を言ってるのか分からない。しかしソワ子は既に事態を把握しているらしく、「いこっ!」と、桐森と瀧の手を引いて後についてくる。
「はあいあむちゃん」「…ラリさん?」「逃亡幇助してちょーらい!」「逃亡?」
後ろから砂煙を巻き上げて追いかけてくる軍勢があった。彼女らは口々に「西原を渡せ」と喚き立てる。このままでは追いつかれガクの取り巻きとして袋叩きにされかねない。
「……」常習的な奇跡が起こらなければ。
あゆむの目に飛び込んできたのはーー停泊中の軽トラだった。
「はあ」と一つため息をつく。
そして今月中に教習所に通おうと心に強く誓ったのである。
ジェントル・フロッグ まいずみスミノフ @maizumi-smirnoff
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