異聞選集『全身全霊』

神山イナ

『全身全霊』

 私はその夜、小説を書いていた。

 夏の日の深夜である。家には私ひとりだけで、他には誰もいない。

 自室の暗がりで、ノートパソコンを懸命に叩いている。


 その物語は、賞に応募するために筆を取った処女作だった。

 初めての小説ということもあり、私は全身全霊を込めて書いていた。

 内容は、主人公視点の一人称で、現代を舞台にしたファンタジー。オチを含めたあらすじを端的に書くと、『主人公が猫の幽霊に取り憑かれており、それを自らで退治する』という話である。

 二次審査で落選した作品なので面白いかどうかについては記述しない。ただひとつ前述したいのは、私にとって思い入れの深い作品であるということだ。

 その夜も私は、自らが主人公になった気分で、自らが生んだキャラクターたちと冒険を楽しんでいた。私は自らが創り出した世界に、完全に入り浸っていたのである。


 作業は終盤。物語はクライマックスに差し掛かり、主人公が自らに取り憑いた悪霊と対峙する熱い局面を迎えていた。

 しかし、その最中に便意を催した私は、話の区切りの悪いところで席を立たざるを得なくなった。

 キーボードから手を離し、自室のドアを開閉、廊下を跨いで私はトイレに駆け込んだ。

 そしてパンツを下ろしたはいいものの、私の脳内は文字で溢れたままだった。

 便器に座り、用を足しながらも物語の続きを考える。どの言葉がそのシーンに相応しいかをひたすら考える。もはや用を足している感覚などまったくない。

 まるでポテトチップスを食い漁るかの如く、私は片手間で用を足していたのだ。


 やがて、行為と真摯に向き合わなかった罰なのか。

 トイレに突然、声が響いた。







「みゃあ〜」






 私はゾッとした。

 どこからともなく猫の鳴き声がはっきりと聴こえてきたのだ。

 私の家のトイレには窓が付いておらず、外の音が耳に入ってくることはあり得ない。トイレのドアも毎回ちゃんと閉めている。完全な密室だ。もちろん動物の類も飼っていない。家にいるのは間違いなく私ひとりだけである。

 たしかに家の周りでは猫がよく鳴いているが、鳴き声は間違いなく室内から聴こえた。

 トイレ内に特筆すべきものは置いていない。スマートフォンも持ち込んでいないし、猫の音が鳴るようなものは一切ない。

 念のため便器の裏を確認してみるがもちろん猫などいないし、天井にある換気口を叩いてみても埃が舞うだけだった。


 私はおそらく自分の腹の音だろうと思った。

 腸かどこかの調子が悪く、音が鳴ってしまったのだろうと思った。

 食生活が荒れているために、下痢に見舞われるのはよくあることだ。


 しかし、「みゃあ~」である。


 かつて自分の腹が、そのような音を発したことがあっただろうか。

「ぐう~」とか「ぎゅるる~」であるならば何も不自然ではないのだが、耳にしたのは間違いなく猫の鳴き声だ。

 一体どこから聴こえてきたのだろうか、空耳だったと信じたい。

 そんなことを考えながら、私は再び便器に座った。




「みゃあ~」




 二回目だった。

 また聴こえたのだ。

 さすがに二回目は「やばい」と思った。


 その声があまりにも鮮明だったがゆえに、私は確信した。

 これは空耳ではなく、腹の音でもない――『この空間には、猫がいる』。


 しかし、だからと言ってどうしようもない。

 霊関係は詳しくないが、時間が立てば居なくなるだろう。

 そんな思いを込めて私は水を流し、いつものように手を洗ってトイレから出た。

 そして何事もなく自室に戻ったはいいが、デスクの上で異常が発生していた。



「フォイイイイイイイイイイイイン」



 パソコンがバグっていた。

 内蔵されているスピーカーがハウリングを起こしている。

 マウスを握って操作を試みるが、カーソルが動かない。完全にフリーズしている。原因不明。誤作動を起こすのは稀にあることだが、音を発してバグっているのは初めてだ。

 高音のハウリングがうるさいので、私はすぐに電源ボタンを長押して強制的にシャットダウンをした。

 書きかけのデータが消えてしまったが、小まめに保存をしていたので大きな痛手にはならないだろう。



「みゃあ~」



 三回目だった。

 ここで私は大きな勘違いをしていたことに気付く。

 トイレに猫がいたのではなく、私の中に猫がいる。


 私はもう疑わなかった。

『俺の身体にはバケモノが取り憑いている。それはどこから来たのかわからない。』

 私は、私が書いた小説の台詞を今こうして再び綴る次第となった。

 つまり私は、自分が書いた小説の主人公と同じ症状に陥ったのだ。

 言葉には魂が宿るとよく言うが、どうやら本当のようである。それだけ一心不乱に書いていたのだろう。

 現状を把握した私は、「どうしよう」と思った。


「みゃあ~」


 四回目の鳴き声が聴こえてくる。間隔が明らかに速くなっている。

 自分の身体のどこの箇所で鳴っているのかが分からず、私は部屋でひとりあたふたとしていた。

 そもそも実際に音が鳴っているのかどうかも怪しい。鼓膜を介していない可能性すらある。


 切羽詰まりながらも、私は頭を切り替えた。

 体調が悪くなる前に、さっさと除霊しなければならない。


 幽霊には塩が効くと昔から言うが、当時の私にその発想は出なかった。

 代わりに手にしたのは、たまたま部屋に常備してあったとある日用品である。

 私はインターネット世代なので、ネットで目にした馬鹿げた噂をわりと信用する。


『消臭スプレーで除霊ができる』というネタがある。

 一見馬鹿らしく思えるが、関連する記事も多くあながち嘘でもないらしい。

 なぜ除霊ができるのかについては、その消臭スプレーに「塩に似た純粋な結晶成分が含まれている」だとか「含まれているトウモロコシ成分「シクロデキストリン」の分子構造が魔方陣の形に似ている」など諸説あるが、消臭スプレーが「なんらかの悪い菌を消す」という機能だけは、消費者として信用してもいいだろう。


 私は、消臭スプレーを自分の全身に吹き付けた。

 その後、部屋に撒き、廊下に撒き、トイレにも撒いた。

 消臭スプレーが除霊に役立つかどうかは定かではないが、その後猫の鳴き声が聴こえてくることはなかった。

 オチとしては味気ないが、私は事なきを得たのだ。


 それ以来、私は自分の物語にオカルト要素など二度と入れるまいと心に誓ったのだが、相反して私の作品群には妄想チックなオカルト要素が頻発しているのでその決心は失敗に終わっている。

 しかし、事後に私が書いた作品には、無意識のうちにある特徴が生まれていた。


 私は一人称の小説をほとんど書いていない。

 書くのはだいたい三人称――第三者的立場で物語を綴ることにより、自分が創り出した「物語の世界」と一定の距離を保つようにしているのだろう。

 きっと恐れているのだ。自らの創作物に襲われないように。


「魂を込めて作品を書く」とよく言うが、私はそんなことはしない。

 なぜならば、本当に魂を込めてしまうから。

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