闇鍋の集い:3
南部長は大学から歩いて十数分の距離にあるアパート『サテライト2』に住んでいる。無駄に格好いいその名前は、自身が九鳥大学の衛星的な立ち位置にあることからきているのだそうだ。ちなみに、聞く所によれば『サテライト3』もあるらしい。1は何故か無い。不況の波にでも飲まれたのだろうか。
部長の部屋は四階の角部屋にあるので、そこまでエレベーターで上がる。
七時に来いとのことだったが、七瀬が到着したのはその五分前だった。呼び鈴を鳴らすと中から足音が近づいて来て、直後に扉が開いた。南部長の甘い香りがゆったりと漂ってくる。
「やあ七瀬。いいタイミングだ」
「どうも。少し早いかなと思ったんですけど」
「いや、むしろベストだな」
部長は肩越しに、親指で室内を指し示す。見る限りそこには誰もいない。どうやら七瀬は一番乗りらしかった。
「丁度鍋の準備が終わったところなんだよ。まあ入れ。………具材は持って来てるな?」
「ちゃんとここにありますよ」
手に提げていたエコバッグを持ち上げると、部長は満足げに頷く。
ちなみにその中身はと言うと。余った油揚げに豆腐、白菜に牛肉と非常に常識的だ。いかにも鍋といった具の数々。火が通りきらない事も考えて、牛肉だけ事前に電子レンジで温めてある。そこまでしなくても多分大丈夫だろうが、季節がら食中毒が怖いので、念には念を入れておいた。
「お前のアパートからここまで、結構遠かっただろ」
「ええまあ。歩きだと意外にかかりましたね」
「ご苦労だった。適当にくつろいでくれていいぞ」
「お言葉に甘えて。……これここに置いときますね」
「うん。今お茶を持ってくる」
持ってきた食料をテーブルの上に置きながら、七瀬は何気なしに部屋を見渡した。
その内装はおしなべて洋風である。玄関から入ってすぐ左に洗面所があり、その奥にはキッチンとリビングだ。さらに奥にはおそらく寝室へと続くであろう扉があるが、実際の所どうなのかは知らない。
テーブルの上では、持ち運び可能なガスコンロに乗っかって土鍋が静かにその時を待っている。テーブルテーブルと言っているが、もっと正確に描写するならばそれは四角いちゃぶ台だ。あるいは足の短いテーブル。正式名称が分からず、上手く伝えられないのがもどかしい。
※
七時きっかりに渚はやってきた。部長の部屋を訪れるのが初めてだからなのか、最初は緊張した様子を見せる。
だがそれも、部屋の中に七瀬がいることで少し和らいだようだった。
「自分の家だと、思ってくれていいからな」
「は、はい、それでは」
腰を下ろした渚に、七瀬がお茶を入れてやった。
※
それから遅れることさらに五分後、三良坂副部長がレジ袋を両手に到着した。出迎えた部長が腕時計を見せて、ニヤリと笑う。
「五分遅刻だな」
「五分か………まあ落ち着こう南さん。たいした遅れでもない」
「五分前行動という言葉を知らないのか」
「馬の耳に念仏という言葉を知らないのかい」
いつもの通り、のんびりとマイペースだ。
※
「これでみんな揃ったな。…………結局いつものメンバーか」
闇鍋の集いには四人が集まった。言い方を変えると四人しか集まらなかった。四人も集まったとも言える。
新入生の守矢君はあろうことか体調を崩して療養中。もう一人、七瀬と同級の西野さんは恋人とデートらしい。
恋人と言えば。南部長にも彼氏はいる。だが七瀬自身は会ったことが無いのでどんな人かは分からないのだ。幼なじみ、ということしか知らない。
閑話休題。
「闇鍋とは―――――――」
部長が人差し指を立てる。
「複数人で食材を持ち寄り、暗闇の中で食べる鍋料理のことだ。この原型は平安時代には既に存在しており、今のような形になったのは明治時代からだ。あの正岡子規も、仲間たちと闇鍋を楽しんだらしい」
「いきなりどうしたんですか」
「言ってみたかっただけだ。…………それじゃあ始めよう。具は電気を消してから入れる。箸に取った具は何であれ、必ず自分で食べること。食べ物を粗末にするのはダメだからな」
南部長は鍋の蓋を取った。同時に白い蒸気が噴き上がってくる。微かに潮の香りがしたので何かと思って見てみれば、鍋の底に昆布が一切れ沈んでいた。出汁を取っていたみたいだ。
四人が皆、各々持ち寄った食材を手に取る。
「何であれ食べる…………ね。おもしろくなりそうだ」
「まさか副部長、食べられないようなもの持って来てませんよね」
「まあ落ち着こう七瀬君。俺がそんなことすると思うのか?」
「しないと信じたいですね。でも、天才と狂気は紙一重って言いますから」
「電気、消すぞ」
部長の指が電気のスイッチに置かれる。三人が各々頷いた。
だがその時不意に、ゴトリという物音が、洗面所の方から響いてきた。それなりに大きかったので、部屋にいる全員の視線がそちらに向く。
鼠か何かだろうか。だがそれにしてはやけに音が大きい。例えれば、そう、洗面器が床に転がり落ちた時のようなーー。
そのまま数秒の間、誰も何も言わないままに異様な雰囲気が流れた。
「……今のは」
「風か何かだろう。…………電気、消していいな」
どこか自分に言い聞かせるように言うと、部長は明かりのスイッチを押す。パチリという音がして、部屋の中を闇が満たした。
“闇”とはいっても、外にある街灯の光がカーテン越しに入ってくるので、完全な暗闇ではない。食事に困らない程度に明るく、具の正体が何なのか分からない程度に暗いという絶妙な具合だ。
次第に目が慣れてきて、物の輪郭がはっきりしてきた。部長の合図で一斉に具を入れ始める。さっきの物音のせいか、お湯の跳ねる音が暗闇の中でいささか不気味に感じた。
全部投入した後は、蓋をしてしばらく煮る。その間、持ち寄った具材の正体についてちょっとした攻防戦もあったりした。もちろん誰も明かしたりしなかったが。
いよいよ食べるという時になり、皆探り探りで箸を伸ばす。正直なところ箸越しの感触はまったくあてにならず、それが何なのか食べるまで分からない状況だ。そのせいでやけにどきどきする。
七瀬が掴んだそれは、よく分からない感触がした。目をこらして見るけれど、正体が分かる筈もない。人は情報の八割を視覚に頼っているらしいが、何故もっとバランスよく進化しなかったのかと内心で嘆息した。
思い切って一口でいってみた。警戒しながら噛んでみると、たいしてカも入れない内からドロッと形が崩れる。
「………うぅ」
濃厚な味わいが鍋の汁と混ざりながら口腔いっぱいに広がった。単体で食べる分には美味しいそれなのだが、いかんせん昆布出汁とは致命的にミスマッチだった。
「………誰ですかチーズなんか入れたの。お茶くださいお茶」
「ははは、やったな七瀬、〝大当たり〟だ」
「災難ですね先輩。やかんここにありますよ」
七瀬が冷たい麦茶で口の中を洗い流している間に、他三人も具を口に運ぶ。その反応は三者三様だった。
「牛肉だ。やった当たりです。入れてくれた人に感謝しないと」
「う………味付け無しのもやしは少しきついな。味ぽんを持ってくる」
「七瀬君、俺の方にもお茶を回してくれ。うどんが熱い」
「はい、ここに。あ、すいません当たりました」
とまあこんな具合に。
幸運だったのは、持ち寄った食材がみなそれなりに良心的だったことである。リンゴのような明らかに合わないだろうものも無ければ、納豆やドリアといった鍋そのものの味をぶち壊してくれる代物も入っていなかったようだ。
故に食事は、スリルを味わいつつもつつがなく進んだ。ちなみに、七瀬が入れた牛肉は皆に好評だった。持って来て正解である。
※
いただきますからごちそうさままでに、要した時間は一時間ぐらいだっただろうか。空になった鍋を囲んで、暗闇の中で四人が一息ついている。
「たまにはこういうのもいいな」と、三良坂副部長が言ったのに、周りが頷く。
「そういえば〝はずれ〟が無かったですよね」
「チーズ以外はね。あれ入れたの部長でしょう。反応で何となく分かりましたよ」
「ん? 何を言っているのかよく分からんな。冤罪だ 」
真っ暗な中で部長が肩をすくめる仕草をすると、笑い声が上がる。以前副部長が『部員は家族みたいなもの』と言ったけれど、こうしていると本当にそう思えてくる気がした。
「さて突然だが。お腹がまだ若干物足りないような気がしないか?」
「どうしたいきなり。たしかに俺はまだ食べられるが」
「腹六分目くらいですかね」
「私もそのくらいです」
「うん。そう思ってだな、口直しにデザートを用意しておいたんだ。今冷蔵庫から取ってくる」
喜ばしい報せに歓声らしきものが上がった。
祭り特有の盛り上がりというかなんというか。でもたまには、こういうのも楽しい。
「っと、その前に電気を」
立ち上がった部長はスイッチの方に向かった。パチリと一回押す。
が。何故か電気は点かなかった。何度か押しなおしてみるも、一向に点く気配が無い。暗闇の中に乾いた音だけが響く。
「おかしいな」
「どうしたんですか」
「電気が点かないんだ。芯が切れたかな」
「食べる前までは普通に点いてましたし、いきなり切れやしないでしょう。ブレーカーの方じゃないですか?」
そう言った七瀬だったが、直後にそれはおかしいと気付いた。
たしかに、一度に同じ部屋で大量の電気を使えばブレーカーは落ちることがある。しかし今回の場合それは起こらない筈なのだ。
何故ならここは闇鍋の集い。灯火管制下のような暗闇の中で、電気なんてそもそも使っていないのである。唯一使っているのは冷蔵庫と換気扇ぐらいだ。
その状況でブレーカーが落ちる訳がない。だがそれでも、故障にしてはあまりにも突然な気がする。
「まさか………。渚、その辺りに置いてあった懐中電灯、取ってくれるか」
南部長も半信半疑だった。懐中電灯を片手にキッチンへと向かう。気になったので七瀬は付いていくことにした。するとその後ろから渚も付いて来た。
光が、壁にかかっている分電盤を照らす。
すると。
ブレーカーは落ちていた。そんなこと、起こる筈がないのに。
「落ちてる」
南部長は囁くような声でそう言った。
信じられない、どうして。そんな声色だ。
「―――変だな」
その直後だ。
背後から、すなわちキッチンの入口から、七瀬は誰かの視線を感じた。それは体中に纏わりついてくるように、ねっとりとしていて。まるで舌を使って全身をくまなく舐めまわされているみたいだった。
怖気が走る。
「………っ!」
「ひっ………!」
すぐ隣で、渚が小さく悲鳴を上げる。彼女も同じものを感じたのだ。一方で部長は、気づいた気配はなく分電盤とにらめっこしている。視線は二人だけに向けられていた。
今この部屋には、七瀬、渚、南部長、三良坂副部長の四人しかいない。だがこの視線が部長の物でないのは明白だし、副部長はリビングにいる筈だ。
つまり。この視線の持ち主は、七瀬たち四人以外の何か。感触からして生きているものではない可能性が高い。
幽霊、妖怪、都市伝説。仮にも、歌声で幽霊を追い払うような人の部屋で、怪奇なんかと遭遇することになるとは思ってもみなかった。
今振り向けばその正体を見れるだろう。しかしそんな事を試す勇気は無いし、ここは無視を貫くのが正解だ。
幸い、電気が点くと同時に、その視線は消え去った。それでもまだ、心臓が激しく鳴っている。
「どうした、お前ら」
「いえ……何でも」
答えた声は震えていた。振り向いても既にそこには誰もいない。そして誰かがいたような痕跡もない。
形容しがたいもやっとしたものだけが、胸の中に残っていた。
スミレと幽霊と、僕と。 どくだみ @turedure525
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