04. これを公認する学校側にも問題がある。
「こ……心羽」
「う~ん??」
「ごめん、もうちょっと、その、かける体重を抑えて、だな……」
「ええぇ~~。だって晴希の背中――」
「『ええぇ~~』、じゃなくてさ! 言ってるだろ、ここ、登りだからキツいんだよ……ハァ……」
「もうちょっとなんだし頑張ってよぉ~~」
「お前がいう、か……」
前方に立ちはだかるのは、斜め上に高台を登っていく灰色の一本道。
茶色く薄汚れた四階建ての校舎のうち、最上階の一部と屋上だけが顔を覗かせているその光景が、俺にじわじわと精神的ダメージを与えてくる。
そして、容赦なく俺の背中を色々な意味で困らせるのは。
他の生徒の目をはばかることもなしにべったりとくっつく俺の幼馴染みの体重ほとんど全てと、その暑苦しいくらいの温もり、ふんわりとした髪の匂い。それから夏服になってから余計気になり始めた、それなりには大きくて柔らかい彼女の胸の、優しく押し付けられる感触。
サドルからお尻を浮かせて立ちこぎの姿勢になることもできない俺は、身体を必死にくねらせて、重いペダルを一歩一歩押し出すようにして坂を登る。
これもなにかのトレーニングの一種だと思えば、そこまでの苦行ではない。
なぜ俺が心羽のためにここまでしなくちゃいけないのか、そんな疑問――いや、文句を口にすることも無い。もうそれくらいには慣れた、というか俺が麻痺した。
だけど。そんな俺たちにほぼ毎日羨望の眼差しを送ってくる徒歩通学の彼らには、やっぱりどうしても言っておきたい。
俺たち二人の関係は、皆が想像しているであろうそれとは、きっと大きくかけ離れたものであると。
初々しい恋人同士で、晴れやかな青春の一ページを刻んでいるわけでは全くなく、何かがおかしくて気がついたらこうなっていただけなんだ、と。
だから……あんまりジロジロ見ないでください。
お願いします……。
♣♠♦♥
県立
荻野坂というのはこの辺一帯の地域を指す名前で、学校へと続くこのだらだらとした坂のことではない。
少なくとも新しくはなくて、創立は確か昭和の真ん中頃。名前はずっとこのまま変わっていなかったと思う。
偏差値は50を僅かに上回るくらい、学科は普通科のみで、全校生徒数は900人くらいだったか。
特にこれといってめぼしい活躍をしている部活もなく、「普通」以外のどうとも言い表すことが難しい、どこにでもありふれていそうな学校だ。制服の人気だけを除いては。
俺と心羽の家がある住宅街から最も近いところにあって、通学が比較的楽だからという理由で、去年の心羽はここを進学先に選んだらしい。
まあ、彼女のこの面倒くさがりな性格を考えれば、毎日一時間かけて登下校するような生活が不可能なことは言わずもがなだし、納得はできる。
でも、「小、中からの知り合いがいるから」とか、「校風が合いそうだから」とか、そういった要素も多少はあるのかなと思えば、驚くことに全くなかった。
あんまり受験勉強しなくても行けるレベルの範囲内で、最も朝遅い時間まで眠っていて大丈夫な学校。本当にそれだけで選んだと、本人が言っていた。
もちろん俺や景子さんは、「一生に一度の高校選びなんだからもっと真剣に考えたらどうか」と何度も言い続けた。それでも結局なにも変わらず、落ち着いたのがこの結果だった。
そして、俺自身はというと。
中学校時代は、定期テストでは常に学年一桁をキープし、通知書の評価はオール4相当の36を下回ったことはない。三年生に上がって度々受けた模試は5教科で400点代、偏差値65以上と出るのが毎度だった俺だ。
自慢じゃないけど、担任や進路担当の教師からは、県内ナンバー2だか3ぐらいの進学校を度々勧められていた。
それが、何故いまこの荻野坂に通っているのかといえば、大きな理由は二つある。
ひとつは家事、もうひとつは心羽だ。
妹のひかりのこととかも考えたら、通学時間はもちろんのこと部活動なども含めて、ある程度の制限がかかるだろうなというのは早くから理解していた。
が、そこに加えて、中学校の三年間を通して心羽の俺に対する依存度合いが想定以上に高まってしまい。結局は俺が、心羽と同じ学校に行くことを自分の意思で決定した。
俺自身、特にはっきりとした将来のビジョンがあるわけでもないし、学歴にそこまで重きを置きたくもない。
教師陣には散々「勿体ない」「それは残念だ」なんてことを言われたし、景子さんも「本当にいいの!?」と驚いていたけども、間違った決断をしたとは全く思ってない。
息子や娘のことにあまり口出ししない主義の父親は、「晴希がそう決めたなら俺はそれでいい」みたいなことを言って微笑んでいた記憶がある。
だから、ひとつだけ失敗があったとすれば、それをひかりがあまり快く思ってくれなかったらしい、ということ。
お前のためでもあるんだぞと、俺は家の事情の方も強調して説明したつもりだったけど、やっぱりどうも心羽が関わってくるとあいつはひねくれるというか、拗ねるというか。そんなところがあるようだった。
そんな経緯もありつつ、俺たちのこの新しい生活が始まって、もう二か月プラスいくらかが過ぎている。
新しいと言ってもそこまでがらっと変わったわけではないけれど、通学が徒歩から自転車になったというのは、そのなかでも大きなひとつの変化かもしれない。
この家から学校までのほんの十数分――いや、二人乗りしてるから二十分か――があって、俺と心羽の距離はまた余計な方向に近づいてきている、そんな感触が確かにあった。
考えてみれば、それもある意味変わり種の青春――んなわけないか。
青春ってのはもっとメリハリがあって波もあって、明るく弾けてるようなものだと思う。
こんなただユルユルなだけのなにかは……一体なんなんだろう。
まあなんにせよ、こんな早朝からでも俺と心羽の平和な日常が守られているのは、「そこまでやるか?」と突っ込みたくもなるような学校側の配慮のおかげだ。
なんの権限を使ったのかは知らないけど、俺たちに限った特例として自転車の二人乗りを許可してくれるのだから。
ちょっと問題があるような気がしなくもないけど。
♣♠♦♥
いつものごとく大いに注目を集める大胆なスタイルで、今日も校門をまたいだのが08時23分。
30分にチャイムがなると同時に朝のホームルームが始まるから、その時点で着席していないと遅刻扱いになる。
俺は常に五分前行動を心がけているから、毎朝の行動スケジュールも08時25分には学校内にいることから逆算して、余裕を持って立てるようにしている。
その成果あってか、俺自身はもちろんのこと、超がつくほど時間にルーズと言っていい心羽も、危なげなく無遅刻無欠席でここまできていた。
こういうのがあると、「やっぱり俺が居てこそなんだな」っていう思考になるから、余計俺が過保護になってしまうことにも繋がるんだけど。
「よっ!! おはようだぜ、東城、風海。今朝も二人でラブラブ登校か?? お疲れさんよ」
昇降口で上履きに履き替えて教室に向かおうというところで、不意に俺たちは後ろから声をかけられ、同時に肩を叩かれた。
その力の強さにびっくりして、心羽と一緒に振り向く。
すぐ背後に、一瞬ラグビー部かどこかの先輩かと思ってしまうような、背が高くて体格も大きな俺たちの友人が立っていた。
立ち止まった俺は、ため息混じりに言う。
「はぁ……なんだよ、また
「あっ、別にいいじゃねえかよぉ。また二人とも夢から醒めてないって感じだったから、俺が現実に引き戻してやろうと思っただけなんだけどなあ」
彼は、名を
身長が軽く180cmを超えていて、ただそこにいるだけで存在感が半端ない彼は、しかし俺たちと同じ一年生。
因みに俺は4月の時点で173cm、心羽が俺と比べてほんの少し背が低いくらいだから、たぶん170cmくらいだ。心羽は女子としては結構長身な部類に入るだろうから、三人で並ぶと俺がひとりバランスを崩してるように見えると思う。
ついでに、俺と心羽は同じクラスだけど、明利はそうじゃない。クラスメイトではなく、部活仲間としての繋がりだ。
一言でいうならば、明利は「本当は良い奴」だ。大事な時に、その存在のありがたみに気づくようなタイプと言えるかもしれない。
でも、普段はどうでもいいことで頻繁に絡んでくるから、ちょっと鬱陶しい。
「はぁ……もう反論するのもめんどいけどさ、俺と心羽はただの――」
「本当にそうか??」
「うん」
「ほう……?」
「あと、俺は見ての通りちゃんと起きてるから――」
「それは嘘だな??」
「えっ?」
明利がやや意味ありげな感じで問いながら、目を細めて俺の瞳の奥でも見据えるようにこっちの顔を見てくる。
明利は確かに存在自体はデカいんだけど、顔は全体的に平たくて各パーツが小さめだからか、どことなく悠長で呑気な印象を受ける。
だから、こんなふうにカッコつけても、微妙にインパクトに欠けるのが残念。
聞き返した俺だけど、明利の考えることならうっすらと見当はついていた。
そして今回もやっぱり、いつも通りの感じだった。
「自覚がないなら教えてやるぜ。東城、バレバレだ。その顔は『彼女と眠れない一夜を過ごしました』って顔だ」
どんな顔だよそれ……。
「だからさぁ……なんでいつも明利は、俺と心羽を一緒に寝かせたがるんだよ」
「そりゃ当たり前だろ?? 同棲してんだから――」
「してないわ!!」
「あれ、してねえの!? お前から聞いたはずなんだけどなぁ」
「言ってない」
「いや、そんなはずはねぇんだよなぁ……」
「ありもしないことをでっち上げるのは明利の悪い癖だぞ?」
「うっそぉ。おっかしいなあ……」
「あと、下手なすっとぼけも悪い癖だな?」
「へ、下手か?? 俺。すっとぼけるの」
「……そう思うけど」
「マジか……」
どことなくアホだ。そんなもの上手くなってどうするんだよ。
どうでもいいツッコミは心の奥に秘め、俺は腕時計を確認した。もうとっくに五分前を過ぎている。
時間ギリギリになるほど、昇降口に詰めかけてくる生徒も多くなるし、ここに居たら邪魔だろう。
「はぁ、お前はどうも俺には冷たいよなぁ。風海は……いつも通りか。まあそうだよな」
「うん、すっごく眠い……晴希ぃ~、早く寝たいから教室行こ~~」
「あっ、ああ、うん」
気がつけば、心羽は俺の腕を軽く引っ張っていた。
椅子に座って机に突っ伏すために教室に行くのもどうかとは思うけど。
「じゃあ、俺ら行くから。また放課後な、明利」
「おう。……あっ、ちょっと待った」
一旦歩を進めはじめた俺たちを少し遅れて呼び止めると、明利は自分の背負ったリュックを前に持ってきて、チャックを開けて中を漁り始める。
取り出したのは、挟むタイプの黒いクリップでまとめられた、A4サイズの紙の束だった。
一番表に出ている面から、ズラッとワープロか何かで打ちこんだような文字が、縦書きの形式で並んでいる。几帳面でない明利らしく、紙の四隅はクルンと丸まってしまっている。
「おい、明利それ、こんな所で出して――」
「ああ、いいんだ別にこれは。大したもんじゃないから」
その原稿と思われるものを見て、やや反射的に制止をしようとした俺に、明利は首を振って答える。
明利はそれをサッと心羽に差し出した。
「まあでも、一応ちょっとでいいから、読んでみて欲しいんだよ」
「えーっと……わたしに……??」
「そう。そんで、良かったら軽くでいいから感想が欲しい」
「ふあぁ……わかった」
本当にあまり大したものではないのかもしれない。明利の声は軽く、頼み方もごくあっさりとした感じだった。
心羽も欠伸をしながら答えるくらいだ。
「宜しくな、東城じゃ全くアテになんねえから」
「おいなんだそれは」
「そのままの意味だが?」
「まあ、確かに俺にはそういうの全然分かんないけどさ。すいませんでした役たたずで」
「ハハッ、ごめんよごめん。……あっと、時間とりすぎちゃったな。じゃあまた、部活でな」
「あっ、ああ」
最後にもうひとつ俺のことをおちょくってから、明利は俺たちに背を向けて、大股で自分の教室があるほうへと消えていった。
俺たち三人は同じ部活――文芸部の仲間だ。
俺や心羽がどうこう言えることではないのかもしれないけど。あの顔であの図体で、あの性格であのアホで、一応小説家志望だっていうのだから相当な変わり者だ。
今更ながら滑稽な友人を持ったものだなと、俺はふいに一人笑みをこぼしそうになった。
俺の幼馴染みがダルデレの超脱力系女子すぎて、俺たち恋人どころか将来結婚する前提で話進められてるんですが!! 鈴 -rin- @asagi-yu
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