異世界に転生するという物語は、我々が考えている以上に重い意を含んでいるのかもしれません。
いわゆるテンプレートや様式とは、先駆者が無人だったそこを走り抜けることでできた轍(わだち)なのだと思います。その轍の道は今や大混雑しており、その道のかたわらには無数の“終わらない物語”たちが、つまるところ”エタった”物語たちが転がっている。
その物語の一つ一つには、キャラという名の「人間」がいる。名前があり人格がある。連載中は人格とは関わりなく「キャラ」としての挙動が求められ、彼らはそれを演じ切る。しかし彼らのその苦労も、物語が終わらなければ報われることはない。永遠にステータスオープン回だったりギルドでのトラブル回だったり、水着回や俺TUEEE回のままだったりする。エンドレスエイトから抜け出せないキョンみたいな境地だろうか……。
本作にも温泉回という、コミカライズやアニメ化を見越した上では“お約束”のお色気ハーレムシーンがありますが、脱衣所の向こうの男女混浴風呂には誰がいるのか、是非とも物語を一から追っていただいて読んでほしいです。
本作は、創作者の「異世界もの」への向き合い方に疑義を表しつつも、決して露悪的にならず笑いも交えながら読める作品です。異世界に転生する条件が「大型トラックに轢かれること」って、物語とは無関係にテンプレとして“面白すぎちゃってる”んですよね。私も本作を読みながら何度か笑っちゃいました。
異世界転生に限らず、創作者は読者のためにどこまでキャラを使役・消費してよいのかという問い直しでもあります。私も創作者として、読後はそのことを考えるよい機会となりました。そういう意味では、これは創作論の一つともいえるかもしれません。
それでは長文失礼いたしました。
私は『なろう系』が嫌いです。大嫌いです。ニート、引きこもり、アラサー、アラフォーの何の魅力もない奴が、トラックに轢かれて自分を殺すことで別の世界に蘇る。それも『世界』が主人公を接待してくれる。チート能力を与えられ、複数の女性をはべらせ、『王様』『神様』『なろうしゅ様』と主人公をひたすらもてはやす、記号とかしたヒロインズ。
主人公は何の努力もせずに神から与えられた力を行使します。社会人が金属バットで魔物を殴る? 倫理観の欠片もないです。小学生以下の思考回路です。
しかしそれが受け入れられる世の中なのもまた事実。私は残念でたまりません。
ですが、この小説を読み終えて、同じことを思っている人がいるんだ!っとスッキリしました(^^)
私の言いたいことを全て代弁してくれるような、そんな小説でした!
ストーリーを作っているとそのうちキャラクターが作者の思惑を離れて勝手に動き出してくるんですよねー
――という話は創作者からはしばしば聞かれるところですが、実際、虚構内存在たちが自分たちが物語の中の登場人物であること、またその物語のジャンル的お約束までを自覚してしまった物語というのはどこまでそれとして成立し得るか――その可能性のひとつを示しているのが本作品です。
メタフィクション小説というと、世にもさまざまな試みがなされておりますが、異世界転生/召喚ものの、それも一人称の視点転換からいわゆる「エタる」をもネタにしてしまうとは。近況ノートまでもを利用したメタ性はなかなかに斬新です。
Web小説にはそのメディア特性を活かした地平がまだまだ残されている――!! 強くそのように感じました。
おススメです!