エピローグ

至高の世界へ誘う災厄

「総理、お時間です」

「あ、ああ。分かった」

 木村昭三は戦慄していた。

 ヴィクター共にこれほどまでの備えがあると言うことに。警察基地を襲撃した群れでさえ、奴らにとってはほんの一握りに過ぎないと言うことに。

 ヴィクターに対する備えのある警察ですらああなのだ。ヴィクターが国内で本格的に虐殺を始めたならば。

 日本は瞬く間に壊滅するだろう。

「木村さん?」

 女が微笑む。その笑顔にすら背筋が凍る。

「わ、分かっているとも」

 分かっているとも。

 これはテロリズムに屈したわけではない。

 これは取引なのだ。

 現在の我が国の経済状況、それを支えるのは生体金属、及び生体金属に関連する産業。しかし、今のままでは採掘量にどうしても限界がある。一匹のヴィクターから採取できる生体金属の量などたかが知れているからだ。

 このままでは、いずれ頭打ちになるのは目に見えている。

 だが人型ヴィクターならば、それを解決できる。

 奴らは体内で生体金属を生成することのできる唯一の生命体なのだ。餌さえ与え続ければ、半永久的に生み出し続けることができる。彼女らは、とある条件を飲み込めば協力関係を結ぶと約束してくれた。

 ならば敵対する意味など、無い。

 いざとなれば殺してしまえばいい。警察にも、それなりの切り札が存在しているようだし。

「なら、良かったですわ。今日は日本国にとって、記念すべき日になりますもの」

 女が微笑む。

 確かに、この国にとって今日という日は大きな区切りになるだろう。




 同日。銀英市、梨山選挙事務所内。

 三島は捜索差押令状を携え、事務所に訪れていた。新谷羅にやら教会で人型であるヴィクターを匿っていた事件について、事務所を家宅捜索をするためである。

 教会内には、梨山選挙事務所の職員、松原智恵子の名義で多額の寄付が行われていた。更には生体金属がらみの企業からの献金、それを示す帳簿まで見つかったのだ。

 もう言い逃れは出来ない。

「松原さん、いい加減観念してくれませんか?」

「認めるも何も、全て合法の行為です」

「梨山議員の新谷羅にやら教会への関与は明らかです。そこに準災害生物を匿っていたとなれば、こちらとしても疑わざるを得ない。分かりますよね?」

「寄付も、党への企業献金も違法ではありませんよね。それに、その準災害生物、というのが分からない。職員の方達はとてもよい方々だったものですから」

「良い方々、ねぇ。現に彼女らは警察官を監禁し、拷問まで行ったのです。その異常性に気が付かない、なんて、まさか梨山議員の事務所の方が言いませんよね?」

 梨山は自平党の閣僚で、現在は文部科学省の大臣である。表向きには孤児院となっていた新谷羅にやら教会、その職員の異常性を見抜けなかったとなれば、その経歴に泥を塗ることになりかねない。

「……それは、我々の不徳の致すところでございます。しかし、それがその準災害生物によって引き起こされたこととなれば、我々の管理の範疇を超えます。それこそ、警察のお仕事では?」

「通常であれば、そうです。しかし今回の件は違う。組織的に隠蔽がなされていたのであれば、それは組織側の問題です」

「隠蔽?」

「松原さん、我々は何も手ぶらで来ている訳ではないんですよ。裏付けに基づいて、裁判所の承認を得てここに来ているのです」

 三島は鞄から資料を取り出し、机に叩きつけた。

 これは、教会職員の健康診断の記録だ。実施者は、梨山グループ傘下の医療機関。それがここ一年で何度も何度も行われているのだ。

「おかしな話だ。健康診断など、年一回行われるものだというのに。しかも、孤児院にいる子供たちの記録は年に一度ですが、職員二名に対してのみ、何度も検査されているようですね」

「それが?」

「気づかないはずがないんですよ。どうしたって採血検査の時、分かってしまうんです。彼女らの血が黒いことに」

 三島は松原の表情を窺う。しかし彼女は崩れない。よっぽどの鈍感か、分厚い鉄仮面でも被っているのか。

「しかし、それ以上の検査記録は残されていない。明らかな異常があるにもかかわらず。つまり、それは彼女らの素性を知った上での行為に他ならない。あなた方は明らかな故意犯だ」

「ああ、そんなことですか」

「そんなこと?」

「勿論、気付いていましたよ。だから梨山は最高の医療を受けさせるために尽力した、それだけのことです」

「気付いていたんですね? 準災害生物ということに」

「いえ、彼女らは人間よ。いくら血中に生体金属を宿していようと、人間なの」

「松原さん、それは筋が通らない」

「いいえ、事実よ。今に分かるわ」

 そう言って松原はおもむろに手を伸ばした。

 背後に控えていた捜査員が構える。三島は片手を上げ、それを制した。

 彼女が手にしたのはリモコンだった。

 テレビの電源が点く。

 それは、国会議事堂の映像だった。

『––––つまり、彼女らは不本意にもヴィクターの力を持ってしまったがために、不当に迫害され、常に命の危険に晒され続けてきたのです。これは明らかに人権侵害です』

「なんだ、これは?」

 三島が呟く。

 カメラは一人の女性を映している。

 あれは、確か曽我春音そがはるね。世界的に活躍するオペラ歌手で、三島でさえ知っているほどの有名人。

 彼女が、ヴィクター?

 どうして国会に居る?

『えー、山本議員が仰った通り、件の駆除法には大きな穴がありました。それは、ヴィクターの定義があまりにも曖昧なものだった事です。政府では以前からこの問題に対し、水面下で改正に向け対策室を設け議論を重ねてまいりました。準災害生物駆除法は、人間に当てはめることは出来ない法律であり、個人は憲法によって保護されるべきである、というのが我々の見解です』

「馬鹿な!」

 三島は思わず叫んだ。

 人間宣言。

 つまり、国会は人型ヴィクターを、人間だと認定したのである。

 あり得ない。

 そんな事をすれば、国体を揺るがす危機だということに、何故気付かない。腹のなかにテロリストを飼うようなものだ。

「ね、言ったでしょう? つまり、私たちが匿っていたのは人間。それのどこに違法性があるというの? 犯人隠避? 私たちは犯行を認知していなかったのだから、被害者になることはあっても、加害者になることはあり得ませんの」

「そんな……」

「今回はあなたのお父様の計らいもありますし、不問とさせていただきますが、今後は気をつけてくださいまし?」

 女のニヤケ顔。

 最初から分かっていたのだ、こうなる事を。

 女は立ち上がる。

 先ほどまでの落ち着いた雰囲気を脱ぎ捨て、恍惚とした表情をしている。まるで夢見る少女のように、その場で踊ってさえみせた。

「ああ、ようやくここまで漕ぎ着けましたわ。これで私も、ようやく人間になれましたの」

「お前も、ヴィクターか」

「いいえ、ヴィクターではありません。とお呼びください。いえ、むしろ我々こそ本当の人間ですわ。人間の進化した姿、それが我々なのです。あなた達劣等種を導くため生まれた、正統なる血筋ですの」

「––––災厄め」

「そしりならいくらでも受け止めますわ。災厄、良いではありませんか!」

 女は高らかに宣言する。

 満面の笑みで。

 悪夢を語る。

「さあ、行きましょう。我々が導いて差し上げますわ! 人類の進化、それこそこの最低な世界を救うことができる、たった一つの処方箋ですの! さあ、至高の世界へ誘いましょう!」



「至高の世界へ誘う災厄として!」

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