終結
感情というのは複雑なようで、本当に単純なものだ。
ふとしたきっかけでこんなにも軽くなる。長く黒い感情に身を任せ、激情に駆られ復讐心に身を焦がしていた自分が、こんなにも安らいだ気持ちになれるなんて考えてもいなかった。
拳を握り締める。
自分の体とほとんど同じ感覚で、黒い表皮が握り拳を作り出す。脳波の微弱な電流を、生体金属の皮膚が読み取り作動する。
ラバースーツのように全身を覆い尽くす黒い血液。柊の血から生み出された剛健な鎧。
軽く飛び上がるよう、脳から筋肉に指令を与える。それを鎧が受け取り、過剰な力を解放させていく。
大きな跳躍。
内臓が浮き上がるような感覚。
カズキは戦場を見渡した。
黒い群れがうごめいている。数少ない味方の奮闘で、どうにか持ち堪えている状況。
長い滞空時間を終え、着地。
その衝撃と重量から、コンクリートの地面にヒビが入る。そのまましゃがみ込み、脚に力を溜めていく。
恐れはある。奴らの強さは身に染みて分かっている。
カズキを支配していた退廃的思考。それを脱ぎ去った今、真正面から死の恐怖を受け止めなければならない。ハッキリ言えば逃げ出したくなるほどの恐れ。それでもカズキは前へと踏み出す。
柊はカズキにまともな思考を取り戻してくれた。感情に振り回され、心を侵されたカズキを救い出してくれた。
同時に、守るべきものができた。
警察官として、人間として、なにより男として。命に代えても彼女を護らなければならない。
決してネガティヴな意味でなく命を掛けられるもの、そんなものがあることを彼女は思い出させてくれた。
黒いマスクに覆われた眼で、敵を見据える。人型ヴィクターが纏うものが騎士のような鎧ならば、カズキの纏うものはライダースーツだ。
右足の力を爆発させる。
カズキは放たれた弾丸になって風を切っていく。
恐怖を乗り越える勇気が湧いてくる。
カズキは黒い群れの中に身を投じた。
「––––!!」
ヴィクターが唸る。
疾風の如き速さの突きを放つ。
その手刀は軽々とヴィクターの硬い表皮を貫く。
腕を横薙ぎに一閃する。
居合の如き鋭さで、ヴィクターの首を刈り取る。
一匹、また一匹となぎ倒していく。身体が軽かった。頭で思い描く動きが、このスーツをを通して再現していく。
瞬間思考を使うまでもない。
「ゴアアアアアァァァ!!」
ヴィクターの咆哮。動物的な動き。そんなものでは、今のカズキを捉えるとこなど叶わない。
ヴィクターの直進的な突進を軽くいなし、首の後ろから腕を振り下ろす。感覚的には瓦を割っているようなもの。力を込めてやれば、確実に首が落ちていく。
「テメェ何モンだ!」
巨大な白刃がカズキに襲いかかる。
満身創痍、傷だらけのイブがそこに立っていた。
「寺坂か?」
「あ、オメェ森田か?」
寺坂も戦場に駆り出されたようだ。イブの騎乗経験があるとは言え、こんなヒヨッコまで。警察側の劣勢がうかがえる。
「って、ナニタメ語きいてんだコルァ!?」
「いや、今はそれどころじゃ……」
目の端に、飛来するものを捉えた。
「––––!!」
カズキは瞬間的に思考の海へとダイブする。
それは、大きな処刑鎌。
禍々しい黒の一断ちが、周囲のヴィクターすら巻き込んで迫りくる。
一フレーム間ですら止まって見えるこの瞬間思考においてすら、僅かに動きを見せるその速度にカズキは戦慄した。
時間の流れが戻る。
「うおっ!?」
寺坂を思い切り吹き飛ばしながら、上体をそらし緊急回避。
処刑鎌はスーツの眉間を掠めながら後方へと流れていった。
攻撃を放った主は分かっている。
鎧を纏った人型ヴィクターの女が、そこに居た。
カズキは言い放つ。
「よお、帰ってきたぞ」
「お前––––!!」
高速のダッキングで相手の視界から一瞬にして姿を消す。そうして女の懐に入り込み、腰だめの姿勢から強烈な左のアッパーカット。
「ッ––––」
女の身体が浮き上がる。
すかさずそのがら空きのボディに回し蹴りを叩き込む。
黒い甲殻に亀裂が生じる。
ズン、という衝撃音。女が地面に落下した。
カズキは飛び掛かり、空中で回転、渾身のかかと落としで追撃を図る。
が、その攻撃は弾かれた。
生体金属の防御壁。
二人は相対する。
女の鎧は解かれた。生体金属は円柱状に変化し、女の両腕から伸びている。
「それがお前の弱点だな?」
カズキが告げる。
人型ヴィクターの流動的な生体金属の正体、それは血液。人型ヴィクターは血液を何らかの方法で表層を凝固させ、電気信号によってそれを操っている。だからこそ様々な形状をとることができる。
血液には際限がある。
通常は体重の十三分の一程度。女の見た目であれば約四十キロの体重で、約三リットル程の血液が流れている。
「お前が俺の攻撃を防ぐには、あの鎧じゃ間に合わない。だから防御壁に切り替えた。そうしなければ質量が確保できないからだ」
「……ふん」
「だが、あの鎧でなければ俺のスピードには着いてこれないぞ」
「随分と、舐めたこと言うじゃねぇかクソガキ!」
女の咆哮がこだまする。
カズキは再び走り出す。今度は殆ど直線的に。女は咄嗟に正面に防御壁を展開する。
急停止、軌道を変え女の背後を取る。
「馬鹿が!」
防御壁は途端に姿を変え、無数の散弾が生み出される。
カズキは再び思考にダイブ。
弾は女を中心に周囲に発射される。ならば。
カズキはバックステップで距離を取る。
角度を計算し、現在位置を微調整。
「な、に!?」
射角が見えるのならば避けることなど容易だ。如何に威力の高い銃弾であろうと、当たらなければ意味はない。
「準災害生物駆除法第五条第二項の規定に則り、お前を駆除する」
公平、お前は天国で見てくれているだろうか。
俺は、警察官になった。嫌々とか、仕方なくとか、もう言い訳はしない。
俺は、俺の意思でこの道を進んでいく。
守るべきもののため、護るための力を手に入れる。
怒りでなく、己の正義のため。
公平、俺はずっと思っていた。お前の役に立ちたいと。俺は、お前のようなヒーローを支える脇役でいいと。
憧れのお前が夢を叶えて、ヒーローになるのを支えたいと。
もう、憧れはここで卒業する。
「これはもう、俺の夢だ」
「ああああああァァァあああ!!」
女は無茶苦茶に両手を振り回す。誇りも、恥も外聞もない攻撃。生き意地悪い、無様な攻撃。
女はカズキを脅威に感じた。
だからこそ全ての力をカズキを潰すことに傾けた。全力を、全神経を。
だから気が付かない。
人間の意地を。
人間の底力を。
「森田ぁ! カッコつけてんじゃねぇぞぉ、うるぁあ!」
「寺坂、ここはありがたくもらっておこう。デカイ手柄を!」
「––––!!」
背後から迫りくる二機のイブの存在を。
吉田の拳の一撃は女の肺から空気を絞り出し、行動を止めた。
寺坂の一刀は女の脳天から正中線を貫いた。
「ぎ、がが、うご––––」
それでも女は絶命しなかった。防御壁が液状化し、その硬度を無くす。女は頭を縦に二つに引き裂かれても、カズキを見据えていた。
暗く、濁った瞳。
「終わりだ、これで」
カズキは勢いそのままに跳び上がる。
跳び蹴り。
つま先が女の腹を捉える。
「あががががぁァァァああ!!」
甲高い断末魔。
血飛沫が舞う。
カズキの脚が女の腹を貫いた。
今度こそ、間違いなく女は死んだ。
「……」
カズキはその死骸を見下ろす。
感慨は無かった。
「おい、森田。気ぃ抜いてんじゃねぇぞ」
寺坂の怒号。
そうだ。
まだ周囲にはヴィクターの群れが跋扈しているのだ。
「––––!」
しかし視界が急激に暗くなる。
「お、おい!」
焦る寺坂の声。
そのままカズキは気を失った。
その後、ヴィクターの群れは殲滅された。
親玉を失ったからか、ヴィクター達の動きが急激に鈍くなったらしい。応援部隊の到着もあり、処理は迅速に行われたと言う。
死傷者十一人、重軽傷者合わせて五十名以上となった今回の事件は、その後の警察史においても未曾有の出来事であった。
何故基地を襲ったのか、その理由が分かるのはその出来事の直後。警察の予想だにしない場所において発覚した。
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