episodeー6

 肩越しにある白く細い項に、唇を寄せたくなる衝動を何年も堪えて来た。

 大人になってからこんな風にバックハグで泣いているみやびを宥めるなんて事は早々なかったけれど、二年前に大女将が他界した時が最後だった。

 唯一家族の中で雅に優しくしてくれていた祖母が亡くなって、通夜の時も葬儀の時も一滴も涙を零さなかった雅は、葬儀の終わった晩に納戸の隅で、依恋えれんの腕の中で、溢れたとばかりに大泣きした。

 感情を言葉に出来ない雅は、泣くと言う行動でそれを吐き出す。

 吐き出すまでに相当な時間が掛かる分だけ、泣く時の衝動は激しく彼を翻弄する。


「……っく……お前が……」

「うん?」

「付き……合ってたのは……あの、男……なのか……?」

「あの男? 誰?」

「今日……ずっと一緒にいただろう……」

「あぁ、綿貫わたぬきさんか。あの人は違うよ。って言うか、俺の方なんかちっとも見てなかった癖に、良く知ってんね」

「楽しそうに話していたじゃないか……まるで……」


 言葉を切った雅は、また感極まった様に涙を絞り出す。


「どうしたよ? お前、情緒不安定だな」

「お前のせいだ……僕がこんなに困惑していると言うのに、お前は他の男と楽しそうに話して……」

「雅、それが嫉妬だって事は理解してんの?」

「嫉妬? そんなわけない。ただイラついてるだけだ」

「ヤレヤレ……でも、俺が綿貫さんと恋人だったとしても、雅には関係ない事だよ」

「……っそ、それは……そうだな」


 愕然と肩を落とした雅は、疲れた様に「そうだな」と繰り返す。


「そんなに落ち込むくらいなら、もう認めてくれていいと思うんだけど?」

「何を……?」

「恋人になりたい位俺を好きだって事を」

「思って……ない……」


 雅を一度腕の中から放って横抱きに倒した依恋は、大きな身体で抱き抱える様にして雅の顔の前に顔を寄せた。


「なっ……」

「思ってない? 本当に?」

「ぼ、僕は……出雲屋の跡取りだ。女性と結婚して、後継ぎを作らなければならない。お前と僕とじゃ、一生無理だ……」

「姉が三人もいるんだから、一人くらい男の子も産まれるでしょ。別に、雅の子じゃなくたって、出雲屋は継げる」

「そ、それはそう……だが……男同士で、その……」

「確かに、男同士だ。それ以外に問題は?」

「も、問題……? 色々、あるだろ……」

「現実的な問題は一旦置いといて、俺は雅の気持ちを聞いてんだけど?」


 次第に高揚して紅くなる雅の頬を至近距離で愛おしげに眺めた依恋は、たじろいで視点の定まらない雅のひとみから視線を外す事はない。

 

 綿貫が耳元で囁いた言葉が脳裏を過った――。

 

 依恋は雅を横抱きに抱えている手はそのままに、もう片方の掌で困惑に揺れる雅の視界を塞ぎ、耳元に唇を寄せる。


「好きだ、雅」

「え、依恋……耳がっ……くすぐった……ぃ」

「俺もお前に恋人がいたって聞いて、泣きたくなったよ。俺でさえ知らない雅の事を知ってるヤツがいると思うと、腹が立つ」

「そ、そんなヤツはいない! こ、恋人といっても……告白されて翌日一緒に出掛けて、その翌日には別れたいと言われて……手すら握ってない……」

「プッ……何それ……」

「でも、恋人は恋人だ。告白されて、僕はOKしたんだから!」

「つか、その人の告白は理解出来て、俺の告白は理解出来ないとか、何なの? でもOKしたって事は、好きだったんでしょ? そんなに可愛い子だったの?」

「お、お前が大学で忙しいとか言って会いに来ないから……」

「寂しかったの? そんな理由で女の子の告白を受ける様な男になっちゃったの?」

「ち、違う!」

「何が、違う?」

「お前は昔から何でも器用に熟して、年下の癖に僕より大人びているし、その……置いて行かれるのが嫌で……」


 経験が無いと言う事を恥じる様なタイプでは無いと思っていた。

 だが、雅いわく大学に入って常陸と体の関係を持ち始めた頃の依恋は、確かに出雲屋に出入りする時間が減り、その頃告白されたと言う。


「あの頃、だろう……? お前に恋人が出来たのは……その位僕にも分かる」

「言い逃れはしない。でも、俺にとってその全てが雅の為だった」

「なっ! 何で僕の為なんだ!? 僕を言い訳にするな! そんなのは詭弁きべんと言うんだ!」

「詭弁なんて言葉良く知ってたね。言語力の乏しい雅が……」

「バ、バカにするな!」

「どうして良いのか分からなかったから、教えて貰ってた。お前に嫌われたくないのもあったけど、それ以上にお前を壊してしまいそうだったから」


 欲しくて欲しくて、飢え死にする寸前の野良犬の前に現れたのが常陸だった。

 冷める事も散霧する事も無い昂ぶりを、どうすれば良いのか。

 それをただ聞いて、ただ受け止めて、撫でて、慰めてくれた。

 それが常陸だった。


「お前が欲しい、雅」

「ど、どうやって僕をお前にあげれば良いんだ?」

「まずは、キスを――」


 依恋は言うが早いか、雅の双眸そうぼうを片手で覆ったまま唇を重ねた。

 薄い肉片に自分の唇を押し当て、強張った雅の片腕が何かを訴える様に依恋の羽織りを握る。

 強く引き結ばれた硬い唇を舌先で溶かす様にゆっくり丁寧に濡らして、酸素を求めて開かれた一瞬、雅の不安と躊躇いの混ざった吐息が零れた。


「口、開けて」

「……?」


 意味が分からないとばかりにポカリと口を開けた雅の視界を閉ざしたまま、依恋は貪る様に雅の口内を荒した。

 歯列を綺麗に舐め、上顎を舌先で掏り、息を継ぐ暇もないと短い呻きを上げる雅に溜め込んだ想いを注ぐ。

 ゆっくり、ゆっくり、沁み込む様に願いながら、頑なな雅の内側を時間を掛けてほどいた。

 疲れたのか、力が入らないのか、依恋の袖を握り締めていた雅の腕がズルズルと袖を伝って降りて行く。

 唾液の音が耳に着く程長く深いそれが、経験のない雅を翻弄しない訳もない。

 視界を遮られているせいで余計に耳が敏感になっているはずで、綿貫が言っていた通り雅の身体は酷く敏感にふるえている。


 綿貫は依恋にこうアドバイスしていた。

 視界を奪って触れてやれ。そうすれば、言い逃れの出来ない答えが出る――。


「な、ちょ……依……恋っ……」

「何……?」


 一旦唇から離れた依恋は、休ませないとばかりに頬から首筋へとキスをしながら辿る。


「何で、目隠し……?」

「ふっ……そこかよ。こんな事されてんのに」

「何か……怖い……」

「三つも年上なのに、雅は怖がりだね」

「お前の様子がおかしいからだ……」

「でも、雅も俺と同じ気持ちみたいだけど?」


 視界を覆っていた片手を外した依恋は、その手を雅の形に沿って這わせ、僅かに着物の布越しでも分かる身体の中心部へと添えた。


「俺の声とキスで、こんな風になるんでしょ?」

「ちがっ……それは、生理現象と言うヤツだ!」

「へぇ……誰にでも、こうされると勃つんだ?」

「そ、そうじゃないっ! お前以外とこんな事した事無いっ……けど……」


 バカ正直過ぎて、自分の言っている意味が分かってない雅が愛おしくて堪らない。


「けど……?」

「今日のお前は意地が悪い……」

「雅が素直にならないからでしょ。俺とこう言う事するの、嫌だった?」

「嫌……ではない」

「なら、もう恋人でいいじゃん? 俺はこれから先、雅にしかこう言う事はしないって誓う。雅も俺以外とこんなことしない。それで良い?」

「分かった、誓う……。でも依恋……」

「何?」

「この生殖行動には意味が無い。そんな事を繰り返して、何になるんだ?」

「……」


 頭痛がしそうだ。

 依恋は、僅かに覚えた怒りをどうにか堪えると、条件反射で口角がヒクヒクと上がった。


「愛情表現だ、バカッ!」

「バカとは何だ!」

「良いか、良く聞け、このド天然! この俺が、一生かけてその意味を教えてやる! だからもう、黙って俺のものになっとけ!」

「何だその偉そうな態度はッ! 僕の方が年上なんだぞ! 少しは態度ってものを……んっ!?」


 煩く鳴く唇をもう一度塞いだ。

 この程度の番狂わせ、想定内だ。

 綺麗な顔して、ズレまくってる雅を一生愛せるのは自分しかいない。


 絶対にキスをさせてくれなかった常陸の言葉を思い出した。


 性欲と無関係に愛情を表現する。

 キスはそう言う美しい行為だから――。


 愛おしいおバカな恋人にも、いつかその意味が分かる日が来るまで。

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宵待ち鳥は明けに鳴く。 篁 あれん @Allen-Takamura

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