炎天下のメロンソーダ

PURIN

炎天下のメロンソーダ

湖子ここちゃんって、好きな人いるの?」


 中学2年の夏休み。太陽がじりじりと照りつける猛暑日。

 好きな人とコンビニで買ったアイスを食べながら公園のベンチで雑談をしていたら、いきなりそんな質問をされた。


「はっ⁉︎ いないよそんなん!」


 咄嗟に大嘘をついた。


 好きな人 ― 璃子りずは私をバカにして笑っているような、それでいてどこかつまらなそうにも見える変な顔で「ふーん」と答えると、水色のソーダ味のアイスキャンディーを少しかじった。


 あたしはそっと目をそらし、うつむく。

 自分の汚れたサンダルが目に入る。そろそろ綺麗にしなきゃなと、ぼんやり思う。


 しかしびっくりしたな… 璃子は幼稚園の頃からの親友… うん、親友だけど、たまにこうやって予想外のことを言い出す。何を考えてるんだか知れたもんじゃない。


 何考えてるかわかんないってだけじゃない。とにかく変なやつなんだ。


 小学校の時からしょっちゅう宿題を忘れて、そのたんびに授業開始直前にあたしのを丸写ししてた。


 今は違うクラスだけど、それをいいことに宿題以外にも教科書や体操着、果ては筆記用具までをもしょっちゅう借りにくる。本当に忘れ物が多い。

 

 この前なんてアイスの取り合いで小学生の妹と殴り合いの大喧嘩をしたらしい。大人げない。


 自分はそんななくせに、すぐあたしをからかってくる。

 ぽっちゃりしてるとか字が汚いとか。

 一時期なんて、あたしを本名にかすりもしないニックネームで呼んでたこともあった。(『ポー太郎ちゃん』ってどういう意味だったのか訊いても教えてくれないから、未だに不明)

 そう、こいつは嫌な奴なんだよ。嫌な奴。




 わかってんのに、なんと言うか… 一言で言うと、あたしはどうやら璃子のことが好きらしい。


 親友として、というだけじゃない。


 死ぬまでずっと一緒にいたい。

 あたしだけを見てほしいし、あたしも璃子だけを見ていたい。

 璃子が幸せになれるなら、何だってしたい。


 そういう意味での好き。


 つまり、あたしは璃子に恋をしているらしい。何故か。


 落ち込んでた時にジョークを言って笑わせてくれたから?


 貸したものはいつも丁寧に使って、「ありがとう。助かった」っていい笑顔で返してくれるから?


 本気で喧嘩することもあるけど、本当は家の人達や友人達を大切に思ってる優しいところがあるから?


 どうして好きになったのか、いつからなのかは自分でもわからない。


 劇的なきっかけがあったわけじゃない。ただ、気づいたら好きだった。わかるのはそれだけだ。


 「そもそも恋って何なのか」っていう問題もあるし、訊かれたら多分うまく答えられない。


 けど、もしも「相手が嫌な奴だとわかっていても、好きであることをやめられない」ことを恋と呼ぶんだとしたら、やっぱりあたしのこれは恋なんだと思う。




 でも、璃子には言えない。なんて言えばいいのかわからない。


 長い間友達でいたから、あたしが気持ちを告げただけで関係が崩れることはないとは思いたい。

 それでも、何かが変わってしまう気がした。

 「仲の良い友達同士」から、もっと深い関係に。


 怖い、怖い、怖い。

 それを望んでいるはずなのに、一歩踏み出すのが怖い。

 もしも、璃子がいつものようにからかってくれなくなったら?

 もしも、璃子があたしを今までとは違う目で見てきたら?

 そう想像したら…怖い。


 だから、このままでいい。

 何かを失うかもしれないならこのままでいいんだ、いいんだよ…




 ああもう、こんな思考になっちゃうから恋バナは避けるようにしてるのに…


 あたしは、手にした淡い緑色のアイスに大口を開けて噛み付いた。

 口の中がメロンの味で満たされる。


 そうして気を紛らわせたつもりだったのに、紛らわせられなかった。


 なぜなら、璃子の「私はいるんだけどな」という声が耳に飛び込んできたから。




 なんで? いつから? 誰を?

 頭に浮かんだ疑問は、そんな「わかりやすい文章を書くためにはっきりさせるべきポイント」のような形をとっているだけで、それ以上の言葉にならなかった。


 それらの疑問を声にすることもできなかった。

 きっと、アイスを頬張っているからだ、何も知らずにあたしの口内を、果実の甘ったるさでいっぱいにしているから…


 アイスと同じく、何も知らない璃子は続けた。


「その人はね、優しくて頭が良くて…」


 やめてやめて。聞きたくない。

 あたし達の世界を壊さないで、お願いだから。


 なのに、耳をふさぐことができない。

 目はきつく閉じられるのに。

 どんなにメロンの味に集中しようとしても、聴覚は鋭敏なままで、世界で一番好きな人の声を拾うのをやめようとしなかった。




「それで、ぽっちゃりしてて、字が本人と私にしか読めないんじゃないかと思うほど汚くて、ポー太郎ちゃんで」




 え…?




「いつもそばにいてくれて、今も隣でアイス食べてる人だよ」




 目を開く。

 汚れたサンダルは変わらずそこにあった。


 顔を上げる。

 怖かった。世界が壊れるんじゃないかと、とてつもなく、怖かった。だけど…


 横を向く。璃子のいつもの笑顔があった。


「君なんだよ。君が好きなんだよ湖子ちゃん」



 氷が、少しずつ溶けていく。


 いつも通りだと思った璃子の笑顔は、よく見ると苦笑しているような、悲しそうな感じも含んでいた。


 「誰を?」はわかった。でも、「なんで? いつから?」はわからなかった。




 いや… わからなくていい。

 きっと、璃子にもわからないんだから。

 「誰を?」がわかった。それだけで、もう十分だった。


 なんだ、何も知らないのはあたしも同じだったのか。

 好きな人があたしと同じ気持ちで、同じことを心配していたのに気づいてなかったなんて。


「…あのね、あたしも、璃子のこと、好き」


「…へえ? じゃあさっきのは嘘?」


「うん、ごめん… 本当は、好きな人いるよ。好き、だよ。璃子のこと。好き。ありがとう、勇気を出してくれて。だからあたしも言えたよ。本当にありが…」


「ちょっ、もういいよそんなになんなくて!」


 そう言って笑った璃子は、今度こそいつもの人をバカにしたような、でも幸せそうな笑顔だった。




しゃくっ




 笑顔が接近してきたと思ったら、残り少ない溶けかけの私のアイスを一口かじられた。


「何すんの⁉︎」


「はは、はじめての間接キスだね」


 さっきまでのことなど何もなかったかのようないつもと変わらない態度と、さっきまでのことは夢じゃなかったということを意味する行動と発言。


 身体が内側から急にかっと熱くなった。きっとこの気温のせいだ。


 勢いで思わず言い返していた。


「違うよ! 小5の時あたしが、あのほら、珍しいジュース飲んでたら『それちょうだい』って言って一口飲んだじゃん、あれがはじめてだよ!」


 そう叫んでからしまったと思ったが、時既に遅し。


「え~? なんでそんなこと覚えてんの~?」


 見慣れたニヤニヤ顔が、聞き慣れたからかい口調で言う。


「知らないっ、なんでもないっ」


 あたしはアイスの最後の一口を頬張った。


 メロンだけじゃなく、ほんのりとソーダの味もした。

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