第23話
モアズールは駆け足で自室へ戻り、部屋の床に散乱した飾り箱の中身の一つを手に取る。まだ薬はたっぷりと残っていた。これをどう使うか、彼はすでに心に決めていた。暗黒に染まった闇が、霧となって心に迫ってくる。革袋を大切そうに握り締め、彼は後宮に向かった。
「お待ちくださいませ! お入りになられては困ります!」
侍女のしがみついてくる手を振り放し、モアズールは扉を開け放った。後宮は寝静まり、表と同じように暗く沈んだ空気が漂っている。彼は手前から、順々に扉を開け放ち、シアンの眠る部屋を探して奥へと進んでいった。そして、一番奥まった扉に手をかけ、激しく開いた。
香水の芳香が鼻をつく。中に入り、扉を見つけ、次の間へ足を踏みいれた。
花の刺繍の施し布張りの蓮のレリーフの浮かぶ木の天蓋の下に、女が眠っている。ずかずかと近寄り、掛け布を荒々しくはぐる。
まるで赤子のようにシアンが軽い寝息を立てていた。少しむずかり、うっすらと目を開いた。その目がモアズールを捕らえ、
「御機嫌麗しゅう……モアズール様」
と、つぶやいた。にっこりと微笑み、
「喜んでくださいませ。わたくしにあなたの御子ができたのでございますよ。玉のように愛らしい御子……」
モアズールは狂気に笑みを浮かべる妻を見つめていた。薄闇の中で、妻の微笑みは夢のように儚かった。
「シアン……」
モアズールはシアンのわきに腰掛けた。そして、手に持った革袋の口を開き、中身を少しだけ彼女に含ませた。
シアンはうっすらと目を細めた。眠るように、目を閉じる。モアズールはその顔をじっと見つめていた。
突然、扉が開かれた。
わらわらと、侍従と侍女が中へ入って来た。もはや目の前まで迫って来ていた。
モアズールは幻を見る目付きで彼らを眺めると、袋の中身を手のひらに出し、口へと運んだ。だが、鈍器が彼の脳天に振り下ろされた。彼は叫ぶ間もなく、暗澹たる意識の底へ転がり込んでいった。
「モアズール様……王様……」
だれかが自分に呼びかけている。
あれは……夢だったのだ……
モアズールは目を開く前に、つぶやいた。
「悪い夢を見た……」
「いいえ……夢ではございません」
モアズールが目を開くと、そこはあのダールを処罰した地下牢であった。
「なぜ……」
夢から覚めやらぬ声で、モアズールはつぶやく。顔を拭おうと手を動かしたが、代わりに鎖の音がそれに応えた。
「なぜ……わたしは鎖につながれているのだ……?」
目の前に、彼の重臣が並んで立っている。皆、深刻な顔をして、「あなた様は国王にあらせられます。しかし、シャマンがもういないのでございます……」
思考が壁にぶち当たり、前に進めない。
「それが……どうしたというのだ?」
「不幸が続きました……不吉が重なっております。神殿は荒れ果て、水鳥もこの地を去ってしまいました」
大切なことを忘れている。モアズールはズキズキと疼く後頭部を持て余し、目元を歪めて重臣にたずねる。
「それで……?」
「王様……シャマンがいない今、あなた様がその代わりを務めねばならぬのでございます」
「なに……? わたしに女になれというのか……?」
重臣たちは不可解げに顔を見合わせたが、気の毒そうにモアズールを見つめる。
「いいえ……あなた様に贖罪を負っていただきます」
「贖罪……?」
重臣の後ろで、あのとき煮えたぎらせた火窯が、炎々と燃え盛っている。刑吏が長刀を持ち、彫像のように構えてい
る。銀色に光る液体を持つ男が、その横に並んで立っている。
「この国のすべての災害と厄災を、あなた様に負っていただきとうございます」
モアズールの思考は、痛みのために鈍っている。もう一度問いただそうと、口を開きかけたとたん、さるぐつわを咬ませられ、真っ赤に燃える鏝が眼前に迫り、彼の視界を閉ざした。
夜明けの中を遠吠えしながら、ジャラジャラと鈴を取り巻いた服の、盲の男が、城外をさまよっている。すぐにつまずき、震えてうずくまってしまう。獣じみた声で泣きながら、丸くなっている。祈るように天を仰いでいる。ダールはそれを遠目に見つめた。朝日の中で、光に溶けながら紅衣の女が舞っている。ダールは思い出したように額に指を当てる。
彼女は、これからずっと自分についてくるだろう……
そして、朝日の強烈な光が作り出す黒い影の中に蠢く死の力さえも、ダールと共について行くのだ。
紅鳥のシャーマン 藍上央理 @aiueourioxo
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