ツクヨミの残滓

三色

ツクヨミの残滓



 あの日、私は死んだ。




 壱



 ――は、あらゆる力の源泉だ。

 ゆえに人は、そこに神を見出だし、崇め、敬い、畏れ、律し、平伏した。

 がその権能を維持するには上質な贄を必要とする……と宣ったのはいつの代か。

 を神と奉る者たちは、その言葉に従って贄を作り、送り出した。



 陰陽の理に則り、捧げられるは日と月の巫女。

 太陽が照らす昼の巫女と

 月光が照らす夜の巫女。


 季節が一つ巡る毎に、日は落ち、月は昇り。

 あるいは、月が落ち、日が昇る。

 夜に太陽は昇らず、昼に月光は届かない。

 彼女らは常に片翼であることを運命付けられた、憐れな贄。


 かの巫女に選ばれた者は、その生来の名を剥奪され、巫女になるための仮の銘を与えられる。


 ――小夜さよ

 小さき夜。

 夜の巫女として選ばれた私へと与えられた、仮初めの名前。

 先に選ばれた、仮初めの姉が付けた名前だ。




 けれど、今だから言おうか。


 ――私は、夜が嫌いだ。



 ―――――――――




 昨日と同じ今日変わらぬ日々


 今日と同じ明日変わらぬ日常


 世界はまわり、日々はめぐ


 然れど世界は、既に変貌せしものであり


 現世うつしよ夢幻ゆめのごとく、


 夢幻ゆめ泡沫うたかたのごとく、


 ならば人の生は、陽炎のように虚ろであろうか


 此れは、影へと消えた月の夢


 裏切りの果てに、死を願った少女のうた


 星屑の断章


 ――ダブルクロス、それは裏切りを意味する言葉




 ――――――――



 貮



 京の都を囲む山々の中に、其所はある。

 都の喧騒から切り離され、鳥や虫が鳴くその場所には、これといった名前はない。

 ただ、神を祀る場所である以上、此所は神社かみのやしろと形容できようか。


 簡素な造りの門をくぐり、本殿の隣にある母屋へと赴く。

 板張りの通路が、キィキィと心地よい音を立てる。

 当代の日の巫女は、常と変わらぬ足取りで自らの祭事場へと赴いた。



 今宵は、対となる月の巫女を正式に迎え入れる大事な日である。

 候補の中でもあの子はとりわけ優秀であったから、この後の事は安心して任せられるだろう。

 ただ、如何に賢くともあの子はまだ、数えでとおと二つ。せめて共にいられる僅かな期間くらいは、あの背伸びしたがりの妹を思うままに甘やかすのも悪くないだろうと、天頂にあるお天道様に笑いかけた。



 今宵は、月の巫女として正式に名を与えられる大事な日である。

 母の顔も覚えていないほど幼い時、私は口減らしにと打ち捨てられ、そこを何代か前の月の巫女に拾われたという。

 その後、そもそも覚えてもいない名は剥がされ、いずれ巫女を継ぐための仮初めの名が刻まれた。

 彼らが掲げる、人々の幸せへの興味など毛ほどもなかったが、血の繋がらない姉に褒められるのが嬉しくて頑張るうちに、いつしか私は次代の月の巫女として正式に選ばれていた。

 ただ無意味に生を長らえた果てが、この巫女としての成果なら、きっと姉上もまた褒めてくれるだろうと、天頂に佇む月へ微笑みかける。



 今宵は満月。


 ――あぁ、なんて……綺麗な紅い月



 それが、私が人として生きた最後の日。

 それが、私が命として死んだ最初の日。



 惨



 修羅場だった。

 惨劇だった。


 名を記した盃は遠くへ飛ばされ、私は姉上の後ろにすがるしかできずにいた。

 我々を護るはずの異能の守人らは、「刀」の名を持つ男一人を除いてあやかしへと変貌し、異能を持たぬ侍女らをその手にかけていく。

 血風が舞い、襖戸を赤く染める。

 千切られた腕が飛び、泣き別れた胴が華を咲かす。

 引きずり出された臓物が、おぞましい飾りとなり壁を濡らす。

 ――儀式の間は、瞬く間に血の海と化した。


「刀」は叫ぶ。奥へと逃げろと。

 姉上は私の腕を取り、儀式の間を背に駆け出した。私もまた、その手に引かれるままに駆けていく。



 奥の間は、剥き出しの岩肌に申し訳程度の装飾が成された洞窟である。

 その最奥、日の届かぬここで、篝火の灯りさえも吸収する黒きは、一定の間隔で脈打ちながらその存在を誇示し続けている。



 二人きりとなったその場所で、震える妹を抱き締めながら事態が沈静化するのを待った。

「刀」は守人の中でも頭抜けて強き者。そしてどこまでも冷徹な正しき戦士。彼ならばあの惨状を鎮めるのも容易かろう。


 だが。


 二人きりのはずの場所に。

 巫女以外が入ることを赦されないこの場に。


「彼」は居た。翁と呼ばれる、我々を纏める老人が。


 ――「彼」は語る。

《神》の権能を持って、「道具」を創ると。

 己が主人のために利用すると。

 そのために、今まで待っていたと。


「彼」はを投げ棄て、青年の姿に奇怪な衣をその身に纏う。


 なおも語る「彼」の右手には、侍女の紅緒べにお。その足元には、妹の侍女である紅華こうかが横たわる。

 右手に掴むを、「彼」は無造作に《神》へと放り入れる。

 黒い《神》は、泣き叫ぶ紅緒を何の感慨もなく呑み込んでいった。


 咀嚼する音が響く。

 紅緒の絶叫が響く。

 骨が砕かれ、肉は千切られ、

 命が散る音が残響こだまする。


 後には、長い静寂。


「彼」は嗤う。

 失敗だと。

 何も産み出せない駄作だと。

 だから、で試そうと。


「彼」は横たわる紅華の髪を掴み上げ――


 ――そこに、焔となった姉上が襲い掛かった。




 いくら思い出そうとも、私が覚えている光景はここまでだった。



 死



 目を覚ますと、そこは何もない洞窟。

 天井にあたる部分には大穴が空いていて、そこから真昼の陽光が射し込んでいる。

 傍らには、紅色の割れた盃が転がっていた。


 ……この時の私は、それまでのことを何も覚えていなかった。

 ただ痛む身体に呻き、知らず涙を流していた。


 ――哀しいことが起きたはずなのに、何が哀しいのかが一向に分からずに、静かに泣いていた。


 ふと、視線を転じ目に入ったのはかの盃に刻まれた文字。


月詠つくよみ夜那魅やなみ


 その言葉が何を意味するかは分からなかった。が、それは自分の名前なのだと直感した。


 私は立ち上がり、それを拾い上げる。

 掲げ、砕く。

 儀式の続きは、ほんの数瞬で片付いた。



 この日、私は死んだ産まれた



 吾


 二十一世紀、某日。

 日本。


 彼女が居るという組織FHを訪ねた私は、とうの昔に彼女がを離反したと知らされた。

 仕方ないなと、私はこの古い情報を破棄し、新たな勢力図に彼女ゼノスの名を書き加える。




 あれから時代は下り、私は何度も世界を渡り歩いた。

 判然としない記憶を抱え、ただ漠然とした焦燥感だけが常に付き纏っているのも、千年前と殆ど変わっていない。


 黒い《神》……遺産"ツクヨミ"の名を知ったのはあの直後だったが、その恐ろしさを理解したのは、調査を開始してしばらくしてからのことだった。

 戦乱の日本ひのもとを廻り、僅かに仕入れられた情報を元にまた国を巡る。

 だが、いくら巡ったところで、結局有力な情報はほとんど無く、こうなれば海の向こうへと渡ろうかと考えていた頃、私は「彼女」に出逢った。



「彼女」もまた、人間ヒトではなかった。

 自分と起源を同じくする、人の殻を被った異形。

 今の時代、レネゲイドビーイングと定義されるそれだ。

 先達である「彼女」から私は多くを学んだ。


 数十年から百数十年に一度の頻度で私たちは出会いと別れを繰り返し、いつしか友人と呼べる間柄に成っていた。

 ……もっとも、「彼女」の方がそう思っていたかなど定かではなく、友人を持ったことの無い私もそれが正しいかは分かっていなかったが。



 そうこうしているうちに、世界を巻き込んだ戦争が起きた。人が争いを捨てられない種であることは分かっていたから、特に感慨もなかったけれど。

 ただ、罷り間違って私を殺せるモノがあればと、私は世界の戦場を渡り歩いた。


 その果て。

 二度目の大戦争第二次大戦の末期。

 早朝、夏のヒロシマ。

 強烈な閃光と、衝撃波。

 世界最悪の兵器を喰らってもなお、この身は死ねないことを確認した私は、再び世界を巡ることにした。


 度重なる死と蘇生で、封じられていた記憶はある程度回復した。

 だけれど、やはりと言うべきか。肝心な部分までは思い出せずに居た。



 そして、それから半世紀以上経ったその日。

 都築京香旧友を訪ねてから、更に数年が経ったある日。

 世界の守護者UGNから来た一つの連絡。



 運命旅路転機終わりは、唐突に訪れた。



 遺産対処特殊チームスターダストへの勧誘が、終わりの始まり。


 ――それは、欠片の日々。

 初めて戦友と呼べる者たちと過ごした、大切な欠片。



 謀略と裏切りを繰り返して来た私の、輝いた星屑。



 だからきっと、後悔があるとすれば。

 最期にしか本心を語れなかった、私の弱さだけ。



 録



 人は神に祈らない。


 人は神を信じない。


 人は神を畏れない。


 ――ただ、祈るんだ。


 空を駆ける星屑に、小さな願いを一つだけ。



 欧州の空を、黒い《神》が覆う。

 世界に死を撒く、最悪の死神。



 だから私は、流れ行く星屑として、だれかの祈りを叶えよう。

 だから私は、消え逝く星屑として、わたしの願いを叶えよう。



 その内部で繰り広げられた戦いを知る者は少なく。

 その真実を知る者は更に限られている。



 愚かなる者。貴方の願いを叶わない


 孤独なる者。貴方の死は叶えよう


 孤独だった者。私の死を叶えよう


 愚かだった者。私の願いは、この手で叶える



 凡てを巻き込んでの死を望んだ背教者は、

 それを良しとしない星屑たちによって討たれた。



 ――果たして、祈りは成就する。



 私は、かつて不死の呪いえいえんをばら蒔き、そして今、世界に死をばら蒔かんとする始源の神ツクヨミを殺し


 そして、死を願う者たちの願いを、一つだけ叶えた。




 それが、私が命として生きた最後の日。

 それが、私が人として死んだ最期の日。



 黒い髪止めリボンを、自らの生きた証と託して。


 さようなら、友よ。


 "願わくば、いつか運命の交差する先で"




 そんなことを星屑に祈って

 あの日、私はようやく千年ぶりに本当の死を迎えた。

















 7



 小さな町の山奥の、小さな神社が私のおうち。

 でも学校までちょっととおいから、いつもはふもとにあるふつうのおうちで過ごしてるの。

 5年生にもなったら、あれだけ長く感じた通学路もけっこうへっちゃらになったなぁなんて。


 ……ところで、私にはちょっとした秘密があったりするのです。


 それはふと気づいたころからだから、いつからなのかは覚えてないんだけど、私は自分の頭の中に自分じゃない誰かを感じていた。

 けれど、こんなことをお母さんに言ったらきっと気味悪がられるって思って、ずっと内緒にしてた。



 ……その子はずっとひざを抱えてうずくまってた。見えないけどそういう風に私は感じたから、きっとそうなんだと思う。


 だって、その子はずっと泣いていたとしか思えないんだもの。



「ねぇ、どこか痛いの?」


 セミのうるさい夏休み。

 神社で一人涼んでいたその日。

 私は、思いきってその子に声をかけてみた。


「そう、ですね……痛みは、ありません」


 思ったよりはやく、声じゃない声でその子は返事をしてくれた。


「痛くないんだったら、どうして泣いてるの?」


「……泣いて……? あぁ、貴女はそう感じてくれるんですね」


 ちょっと笑って、その子が向き合ってくれるのを感じた。


 後悔がある、とその子は言う。

 何かいけないことをして、あやまれないままなのだろうか?

 私はうでを組んで考えてみるけれど、学校の友達にも先生たちにも心当たりはまるでなかった。


「この後悔は、貴女とは無縁ですよ」


 その様子を感じたのか、すこし笑いながらその子は教えてくれる。

 とてもやさしい声だなと、私は感じた。

 でも、だったらなんで? と私は問いかける。

 その子はすこし考えたあと、話してくれた。


「……友が居ました。私が駆け抜けた時間からすれば、ほんの一瞬だけを過ごした友が。

 彼女たちには、礼も別れも告げることはできました。

 だから、この後悔は本当に、ただの私の我が儘なんです。なのに私は、それを自覚なく抱えたまま……そして未練がましくも此所貴女の中に居る。……私はただ、星屑のように燃え尽きるだけのはずだったのに……」


 そこで、だまってしまった。

 私もつられてだまってしまう。


「あなたは、お友達にあいたいの?」


 だまってるのにガマンできなくて、私は聞いてみた。

 この子の言葉づかいはちょっとむずかしいけれど、多分言いたいことはとっても単純なんじゃないかって感じたのもあるから。


「……いいえ、逢いたいのではなく……」


 ふと、10歳同い年くらいの小さな女の子が見えた。

 多分、それがこの女の子だと私は思った。

 その子は首を横に振る。


「……ただ、もっと信じて、語り合っていればと。やり直しなんて、出来ないというのに」


 女の子はうつむいている。

 泣くのをずっとこらえている。

 とてもとても、辛そうな顔で。


 だから、


「じゃあ、謝りに行こうよ。やり直しはできなくても、ごめんなさいを言いに行くことは大事なんだよ。大丈夫、私がいっしょに行ってあげるから!」


 その手を取りに行った。


「……え」


 信じられないものを見るように、女の子は私を見る。


 鏡合わせのように、同じ姿。

 だけど私たちは、色だけが違っていて。


「私が連れていってあげるの。行こうよ。きっとそのお友達も、ちゃんとごめんなさいってすれば許しれくれるから」


 私の目に写るのは、長い金色の髪を左の方だけむすんだ女の子。

 あの子の目に写る私は、その子と反対側の髪を片方だけむすんだ長い黒髪の女の子。


「だけど、私はもう……」


 その子は手を離そうとする。


「だけどじゃないよ!」


 だから私は、離すものかとその手を力いっぱいにぎりしめた。


「だって、あなたと私はもう友達だもん!」


 自分でも一方的だな、とも思ったけれど。

 これは私の本心だった。


「だから教えて、あなたの名前。私は――」



 私は、朔月さかつき美夜みや

 流れ星がたくさんの美しい夜に生まれたからと、お父さんが付けてくれた名前。


 そして、その子の名前は。


 ――小夜。

 小さき夜。

 仮初めだった、けれど、かけがえの無い自分だけの名前。

 今は亡き、大切な人が付けた名前。



 私の手を握り、その子……小夜は、子供みたいに大きな声で泣き出した。





 ――あぁ、今なら言える。


 独りの夜は嫌いだけれど。


 私は、仲間と過ごした夜は大好きだったよと。





 その日、最期の残滓は美しき夜へと融けて消えて



 ――だけど、世界は変わらず廻り続ける。





 了

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