或る寒い夜のこと

猫田芳仁

夢だったかもしれないが

 確かあれは二月の夜。

 ちょうど肌寒いころの出来事であった。


 安アパートのベッドで、まだ暗いうちに目を覚ました。身体は窓を向いており、背中に誰かの気配があった。

 少し前、実家に帰っていたこともあって、寝ぼけた頭では現状を充分に確認できず、私は「お母さん……」と言いながら背後に手を伸ばした。

 その途端、己が手を覆う冷たい肌触り。

 それは間違いなく手であった。ただし、人の手ではない。掌は爬虫類の腹のように滑らかで冷たく、手の指は鱗でも生えているように人間離れしてがさがさしていた。

 そのうえ、やたら手が大きいのである。

 男の手だとかそういうわけではなく、誇張抜きに、自分の倍くらいの大きさの手なのである。いつのまにか両手ともその「手」に捕らわれており、いわゆる金縛りの状態となった。金縛り自体、ほとんど経験のない私は、完全に混乱していた。

 ようやく動くようになった片手を駆使して、枕もとのスマホを手に取ると、今度はその画面に緑と紫で「生き地獄」という字と、手形らしきシルエットがぱしゃぱしゃと明滅した。とっさにその画面を平手でたたいて、ベッドに投げ捨てる。

 時計を見ると、見事に丑三つ時である。

 線香を焚き、音楽をかけ、寒さではないものに震えながら、私は夜明けを待った。

 やがて夜明けがやってきて、「ああ、助かったのだ」と思いながら、私は再びベッドで眠った。

 文章に起こすといかにも嘘くさい話だが、あったんだからしょうがない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

或る寒い夜のこと 猫田芳仁 @CatYoshihito

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ