第1章~光と闇が交わる時~

『こいつの兄貴を助けに行くんだよ』

 アーウェルサと人間界。その二つの世界の結合の影響で荒廃と化した札幌を歩きながら、ゾイルはなぜ自分があんなことを言ったのかを考えていた。

 一人っ子で、兄弟がいる奴の考えなど分からない。兄を失いかけている優衣の気持ちも、理解しようとしてできるものじゃない。

 同情する余地はなかったはず。それなのに、自然と『助けに行く』と口にしていた。

 ゲームが中断されている今がチャンス。機を逃してはもったいない。と、自分自身を納得させ、ゾイルは操作していた端末を優衣に返した。

「・・・なにしたの?」

 背負われている優衣は掠れた声で聴いた。

 ついさっきまで溢れていた涙も止まっていた。悲しみという感情が優衣の心の大半を占めているが、兄を助けるという決意の炎は消えていないようだった。

「チームを抜けたんだよ。ゲームが中断されて、今はチームで動く意味もないしな」

「・・・誰かに協力は?」

「俺らだけじゃ不安か?」

「・・・ううん。きっと大丈夫」

 大丈夫。優衣はもう一度小さく呟き、自分から地面に降りた。

 つい最近まで栄えていたこの町に、かつての姿はもうない。

 コンクリートのジャングルはほとんどが崩れて見る影もない。地面もところどころに亀裂が走っていて足を取られやすい。電気が止まってしまい、夜の闇を照らすのは空からの星と月の明かりのみ。その空も、靄がかかっているようではっきりとは見えない。

 まるで、生物が滅んだあとの世界のようだった。

 どこかに人間やアーウェルサの住民がいるはずなのに、その気配もない。生気をまったく感じなかった。

 その代わりに、あらゆるところから魔力の反応は感じる。

 ゾイルは優衣の手を握り、魔力が反応を示している場所を目指す。

「・・・ねぇ、ゾイル」

「なんだ?」

 生気のない町では自分たちの声がよく響く。

「・・・なんで、私を助けるの?」

 言葉が詰まった。

 その答えはまだ、ゾイル自身も見つけていない。

「なんでだろうな」

「・・・なんとなく?」

「なんとなく、かもな」

 ただなんとなく、優衣を助けるべきだと思った。そう思ったとしても、結局のところ優衣の問いには答えられていない。

「よくわかんねぇけどよ。多分、お前ひとりってのが心配だったんじゃねぇか?」

「・・・なんで自分のことなのに、疑問形?」

「だからよくわかんないって言ったろ」

 けど、言葉にしてはっきりとした。ただ単に、優衣のことが心配なのだ。この小さな体に、体には見合わないほどの想いを胸に秘めて、潰されそうになっている優衣のことが。

「それに、契約した相手に死なれちゃ後味悪いからな」

「・・・私は、死なないし」

「はいはい」

 頬を膨らませる優衣の心にはわずかな余裕が生まれていた。どうやら悲しみをずるずる引きずるタイプではないらしい。

 それから数分の間、二人は無言で歩き続けた。

 これからどこに行くのか、優衣はそれを聞いてこなかった。

 どこに行くのかなんて、場所はたった一つ。優衣はその場所を知らない。知らないから、ゾイルについて行くだけ―だと思っていたら違った。

「・・・ゾイル、こっち」

 ゾイルが目指していた魔力が反応する場所から外れ、優衣は別の魔力を示す。

「・・・こっちの方が、お兄ちゃんの匂いがする」

 もちろん匂いなんてしない。兄の魔力反応が強いというのを言いたかったらしい。

「ん、そうか」

 それだけいい、早速針路を変更する。

 数十分ほど歩くと、高速道路が見えた。やはりここにも人の気配はなく、道を埋め尽くす車は横転したり別の車と衝突したりと事故のオンパレードだった。

 車の間を縫って進んでいくと、それは唐突に現れた。

「ここか」

「・・・うん」

 闇の空間にぽっかりと空いた光り輝く穴。空間に直接空いた穴の先には、ここじゃない別の空間が広がっていた。

 アーウェルサへの入り口。空間の結合と言っても、完全に混ざり合ったわけではないようだ。まだアーウェルサと人間界は明確に分かれている。

「さて、行くか」

「・・・うん」

 さっきと同じ返事。違うのは、言葉に込められた感情の強さ。やる気と自信に満ち溢れた声。

「まったく、頼もしいな」

 何があるのかわからないという不安を抱えたゾイルとは正反対だ。

「・・・何が?」

「なんでもない」

 そう言って返し、二人は開かれた空間へと足を踏み入れる。

 足を踏み入れた瞬間、辺りは白い光に包まれる。あまりの眩しさに目を瞑る。左手で掴む優衣の右手に、わずかに力が入る。

 二歩目を踏み出すと、その明るさはなくなり、普通に目を開けることが可能になった。

 ゾイルはあたりをゆっくりと見渡した。

 そこは、草原だった。わずかに高くなっているようで、眼前には独特な街並みが広がる。

 空は青く、太陽も出ている。人間界では夜だったが、こっちの世界ではちょうど正午になるようだ。魔族であるゾイルには少々優しくないが、肌が焼けるわけでもないので我慢する。

「あ」

 同じように目を開け、あたりを見渡していた優衣は小さく声を上げた。

 視線は空を向いている。追いかけてみると、そこには白い翼を羽ばたかせた生物が飛び交っていた。

 どうやらここは、神民の住む島だったようだ。同じ天使族のトリアの匂い、魔力を感じたのもうなずける。そして、ゾイルはここから一刻も早く立ち去りたかった。

 神民の大半は魔族を嫌うのだ。こんなところにいれば命の保証がない。

 しかし、その考えはすぐに変わる。もう一度街を見て、優衣の言った本当の意味に気付いた。

 確かにこの場所は、トリアの魔力を強く感じても不思議じゃない。同じ天使族がいるからでなく、もっと根本的な理由で。

「ここは、パッチラップか」

「・・・パッチラップ?」

「神の島『エデン』から東におよそ百キロメートル。神の恩恵を一番受けている島だ。別名、つぎはぎの島。それがパッチラップだ」

 昔は複数あった浮島が時間の流れとともに一つとなったのが、継ぎ接ぎ島と呼ばれる所以だ。

 元々、建物が建てられていた複数の島だったがために、道が途中で切れたり、建物が飛び出していたりなど、他の島にはない奇怪さが現れている。

 住んでいる主な種族は天使族。エンジェリングの次に住民の多い神民島。天使族は基本的に空を飛ぶことが出来るため、建物の入口が空中にあることもある。というか、大半の建物が空中に玄関を設けている。

 道らしい道も必要とされず、元々あった道は意味の無いまま迷路と化した。

 住みやすい島ワースト一位。そんなレッテルまで貼られた島に、観光で訪れるものはいない。争いが起こることも無く、住民達はほのぼのと日々の暮らしを楽しんでいる。

 神に何かがあったと知っているとは思えないほど、平和な光景が目の前に広がっている。

「なんか、拍子抜けしたな」

「・・・すごい、平和」

「とりあえず、行くか」

「・・・お兄ちゃんのとこ」

 ここからエデンに飛んでいくことはできない。そもそも、エデンに簡単に近づくことも出来ない。めんどくさい手続きを済ませ、専用の飛空艇に乗っていくのがルールだ。

 一先ずそれしか方法がないのでこの島にある飛空艇乗り場を目指す。

「乗るか?」

「・・・いい」

 いつものようにおんぶをしていこうと思ったが、それは拒否された。拒否の返答と共に、優衣は黒い翼を魔力で作り出した。

「・・・行こ」

「へいへい」

 同じようにゾイルも背に翼を生やし、飛ぶ。

 空からこの町を見下ろしても、やはり不思議な感じがした。

 まず、自分たちが居た草原。その先は崖になっていた。その真下には普通に民家が建てられている。その民家をはじめとして、徐々に建物が増えていく。その建物同士も、子供が積み木で遊んだかのように乱雑に組み上げられている。たまに宙へ飛び出していたり、道に入り混んでいたり。

 この島に来るのが初めてのゾイルだが、住みやすい島ワースト一位という事実に納得せざるを得なかった。

 島はそこまで広くなく、十分ほど飛んだところで島の外縁が見えてくる。

 時々すれ違う天使族たちはどこか興味深そうに二人を見ていたが、目に見えて敵対している者はいなかった。

 おかげで何のトラブルもなく、島の南に位置する港湾区画につくことが出来た。

 人間界の港とさほど変わらず、島の縁が固められ、大きな飛空艇が停泊している。

 この場所は他の島からの物資を運ぶ場所でもあるらしく、天使族以外の種族も見受けられていた。その中には軍服に身を包み、周囲に目を見張るものも混ざっていた。

 そんなことは気にせず、港湾区画に降り立った二人は、エデンに行く為の手続きをするために受付へと向かう。

「・・・ねぇ」

 何かに気付いた優衣がゾイルの袖口を引く。

「気づいたか」

 歩きながら視線だけで辺りを見渡す。

 敵意を持った視線を感じるのだ。それは、天使族ではなく、軍服を身に纏った者たちから。

 こちらをしきりに気にし、一人の軍人が他の軍事に耳打ちをする。それを聞いた者はまた別の者に耳打ちをする。

「・・・敵?」

「わからん。けど、変な気は起こすなよ?」

「・・・わかった。こっちからは、手出さない。向こうが来た時にする」

 本当にわかっているのか不安な返事をして優衣はゾイルの袖口から手を離す。

 何もないのが一番。ゾイルはそう考えていたが、そう上手くはいかなかった。

 ザッと足音をたてて、三人の男が二人の前に立ちふさがった。案の定、三人の男は軍服を着ている。

「何か用か?」

 いつもと変わらないトーンで尋ねる。

「お前に用はない」

 答えたのは真ん中にいた金髪の男。

「用事があるのはそっちのガキだ」

 優衣の表情、心情に変化はない。こうなることがわかっていたか、度胸が据わっているのか。

「お前、人間だな?」

「・・・だったら、何?」

 淡々と答える優衣に金髪の男はニヤリと笑った。

「排除させてもらう」

 そう言い終わると同時に、男の髪の何本かがはらりと舞い、地面に落ちた。

「え?」

 金髪の男は驚いて目を見開く。何をされたのかは一瞬で理解したようだ。理解したうえで、何が起きたのかはわかっていない。

 たった一瞬。優衣が剣を握り、顔の横すれすれに斬撃を放った。そのことを男の頭は理解しようとしない。

「・・・避けて。じゃなきゃ、次は、頭が飛ぶよ」

 冷たい目で言い放つ優衣に、ゾイルは心の中で思う。―まずい、と。

「優衣。それくらいにしておけ」

「・・・だめ。こいつら、避けてくれないから。それに、『排除』って言った。敵でしょ?」

「だとしても、だ。軍を相手にするのはダメだ。色々とめんどくさい。てめぇらも首が跳ねられる前にそこを避けてくれると助かるんだが」

 脅しのつもりで言ったが、軍人たちは動かない。上からの命令には忠実のようだ。

 気づけば三人とも手には銃口の大きい銃を手にしていた。

「急いでいるんだ。エデンまで行かなくちゃならない」

 そう言って説得を試みるが、相手は聞く耳を持たない。

「人間は排除する。それが上からの命令だ」

「あー、そうか」

 言いながらちらりとあたりを見渡す。

 この騒ぎに気付いた民衆が遠巻きにこの光景を眺めている。上も下も住民たちで塞がれてしまっている。

「そこの魔族も、人間に加担するというのなら容赦しない」

「ったく、わかったよ」

 ゾイルは戦う意思がないことを示し右手を上げる。開いた左手で優衣を抱え、思いっきり跳んだ。

 軍服の男たちは一瞬反応が遅れ、大きな銃を空へ向ける。しかし、男たちが見たのは騒ぎを聞きつけて集まった天使族たち。二人の姿は何処にも見えなかった。




 ゾイルは優衣を抱えて走っていた。

 足に魔力を込めた跳躍で一瞬にしてあの場を離脱。あれでは受付どころではなく、エデンに行くことも出来ない。

 そして、運悪く軍を敵に回してしまった。空を飛んで逃げれば目立ってしまい、こうして地面を走り、港湾区画との距離を離す。

「・・・なんで、逃げるの?」

「あの状況で平和に物事を済ませられるわけないからだよ」

 主にお前のせいで、とゾイルは心の中で付け加える。

 民家と民家の間にできた道、ベランダ、屋根の上。道なき住宅地を走り回り、一旦軍を巻いた。

 遠くで走っている音が聞こえればそっと距離を取り、空からの追尾は建物の影に隠れてやり過ごす。

「・・・これから、どうするの?」

「どうする、つってもな。他の島に行ったところで軍がいるんじゃ動けねぇんだよな」

 軍は人間を『排除』する命を受けている。優衣を連れて行けばまた騒ぎになる。

 かといってエデンに行くには飛空艇に乗らなければ行くことが出来ない。ここまで騒ぎになれば、受け付けを済ますことすらできないだろう。

 飛空艇を奪うという手もあるが、奪ったところで操縦できる者が居ない。

「・・・ごめん」

 優衣が小さく言った。

「お前が謝ることじゃない。お前は、兄貴を助けたいんだろ?その気持ちだけ持ってろ。他のことは俺が考えてやるから、お前が考える必要はない」

「・・・ありがと」

 小さく感謝の気持ちを告げて優衣は、視線を道の先へ向けた。

「あ」

「見つけたぞ!」

 二人の軍人が走ってきていた。

「くそが」

「待て!」

「なんで来た瞬間に追われているんだろうな」

「・・・心当たりなし」

「だろうな」

 人間というだけで追われている理由が、今は分かっていなかった。やはり軍は空間の結合を良しとしていないのか。

 優衣を脇に抱えて、ゾイルは複雑に入り組んだ道を駆ける。たまに途切れているのを飛び越え、対岸に渡る。

 右へ左へ曲がり、平坦な道を走っていたと思えば何度も上へ下へ移動している。

「なんだよこの島!」

ゾイルは思わず叫び、足を止めた。

「やっべ」

 行き止まりだった。

 前も左右も、上までもが壁。そして、背後には道を埋め尽くす軍人。

「追い詰めたぞ。大人しくお縄についてもらおうか」

 軍服の男はニヤリと笑った。

「・・・全員、殺す?」

「やめろ」

 物騒なことを言う優衣。

 相手は銃を手にしている。弾は恐らく捕獲用の術式。

「撃て!」

 一番前に立つ男の合図と共に、前列にいた十名ほどの軍人が一斉にトリガーを引く。

 その瞬間、淡くピンク色に輝いた網が二人に向かって放たれる。それをゾイルは闇を展開して防ぎ、次の手を打つ。

 地面に手をつき、裂け目に魔力を流す。

 そして、すべての捕獲網が消えたことを確認し、発動。

「うわぁ!」

 ちょうど軍勢がいる地面が徐々に盛り上がり、鋭い針が出現する。

「・・・いいの?攻撃して」

「いいわけあるか」

「・・・でも、してるよね」

「当たってないからセーフだ。ほら、道が開いているうちに急ぐぞ」

ちょうど針がでてきたところを全員が左右に避けたため、まだ道が開いている。その間を通り抜け、今度は元来た道を戻っていく。

 どこに逃げても安全なところはない。一刻も早くこの島を出る必要がありそうだ。他の島に軍が居たとしても、また別の方法を考えればいい。

 今はどうやって島の縁まで行けるのかを考える。

 見えているところに行く為に、見えている道を使って行けるほどこの島は単純じゃない。かといって、この島の地図が頭に入っているわけでもないため、自分のフィーリングだけを信じて島内を駆ける。

「・・・ゾイル、上」

 突然、優衣がゾイルの腕を引いて止まった。

「上?」

 言われた通りに上を見る。建物の屋根が重なり、青い空がわずかに見える。その間を縫うように走る一陣の光。

「雷か⁉」

 気づいた時には、その雷は二人の前に落ちていた。

 一瞬だけ土煙が上がり、その雷は人型に形を変える。

「なんだ、お前か」

「どうも、さっきぶりですね。二人とも」

 そこに立つのは、黒い軍服に身を包んだ金髪の女。

「希向一新隊、エミリー・ドガットルート。―神谷優衣、あなたを保護しに来ました」

 そう言って一礼する絵美、もといエミリー。

 ゲームやらなんやらですっかり忘れていたが、元々彼女はそっちが本業だ。今のゾイルたちにとっては敵になる。

「保護、ねぇ。他の奴らは『排除』つってたぞ」

 優衣を背中に隠し、ジワリとエミリーから距離を取る。

「表現の違いですよ。気にすることじゃありません」

「随分と意味合いが代わってくると思うんだけどな」

 ゾイルが一歩引けばエミリーは一歩近づいてくる。だが、それ以上は近づいてこようとしなかった。そこに、ゾイルは違和感を覚える。

「お前、優衣を保護するんじゃなかったのか?」

「立場的にはそうしないといけないんですけどね。生憎、私は事情を知っていますから」

 そう言ってエミリーは身に着けていた指輪を口元に近づけた。

「こちらエミリー第一武官。パッチラップにいる魔神族と人間の少女は追うな。以上」

 部下たちに、こちらを追うことをやめさせてくれたらしい。

 初めて見るエミリーの姿に、優衣は目をパチクリさせていた。

「何ですか?」

「・・・エミリーって、お仕事できたんだ」

「馬鹿にしているんですか?」

「・・・だって、弱っちいところしか、見たことない」

「はぁ⁉私が、弱いですって?いや、確かに向こうにいたころは軍らしい仕事もしていませんでしたけど。って言うか、はっきりと物を言うようになりましたね。契約したことで影響を受けているんですかね」

 不思議そうにエミリーはゾイルを見る。

「知るか」

 確かに契約で何らかの影響を受けるという話は聞いた。体の特徴だとか、魔力の性質だとか、それらは確かに影響を与える。けど、性格まではさすがに変わらない。きっと、優衣は元からこういう性格なのだ。多分。

 ぶっきらぼうに答えたゾイルに、エミリーはため息を一つつく。

「まぁ、いいです。二人は、このままエデンに向かうつもりですか」

 これ以上無駄話をしている暇はない。エミリーは話題を変える。

「あぁ、そのつもりだ」

「なるほど。行く前に会っていただきたい方がいるのですが」

「そんな時間はない」

「・・・早く、お兄ちゃんのところに行かなくちゃ」

「えぇ、わかっています。その、お兄ちゃんを助けるために必要なことです」

「・・・ゾイル、行こ」

 兄の為になると決断の早い優衣なのであった。

 ゾイルにもその申し出を断る理由はなかった。エミリーが話している時、嘘をついているような感情を感じなかった。むしろ、来てくれることを期待していた。

「わかった。案内してくれ」

「はい。しっかりついてきてください。空、飛びますので」






 エミリーに連れられてやっていたのは、パッチラップの南東。断崖絶壁の山があり、その頂上に建てられた豪邸。その家に繋がる道は存在せず、飛ぶ以外での訪問方法がない。

「辺鄙なとこに住んでるのな」

「騒がしいのが極端に嫌いなようですよ」

 独り言にきちんと返してくれるエミリーは、玄関に備え付けられた鐘を鳴らす。

 この島には珍しいゴシック建築。高い門と塀に囲まれているが、飛ぶ者が多いため機能していない。二階建てで、テラス付き。部屋の数は、恐らく十は下らない。天使族の大国『エンジェリング』の上流階層が住む屋敷そのものだ。

 鐘が鳴ってからしばらく経ち、不在かと思い始めたところでようやく家主が姿を現した。

「やぁ、来たか嬢ちゃん」

 そう言って現れたのは天使族の男。一体いくつの修羅場を潜り抜けたのか、頬と額のあたりに切り傷のような傷跡を持った、人間でいえば四十代後半くらいの男。心なしか、誰かに似ていた。

「お待たせしました」

「いや、待ってないさ。入りな」

 どことなくフランクな口調で言った男は背を向けて歩き出す。

「すみません、ゾイルさん。私はこれからやることがあるので、外します。先輩を、お願いしますね」

 こちらの返事を待たず、エミリーは光の線となってどこかに消えた。

 軍としての責務を果たすのだろう。もう会うことはないだろうな、そんなことを考えながら、ゾイルは男の後に続いた。

 広く長い廊下。地面には赤い絨毯が敷かれ、両方の壁には等間隔に扉と、壺や絵画と言った芸術品が交互に、等間隔に並んでいる。

 廊下から一つの扉をくぐる。

 広く、白い空間。アンティークな椅子とテーブルが置かれたここは、応接室か何かだろう。

「腰掛けな」

 一人、天使族の男は椅子に座り、二人もテーブルを挟んで反対側に座った。

 それから間もなくして、今度は天使族の女が部屋に入ってきた。

「お茶とお菓子をお持ちしました」

 ティーカップに紅茶を注ぎ、それをそれぞれの前に。四角いクッキーが入った皿をテーブルの中央に置いた女は、男の隣に座った。その目は、確実に優衣のことを捉えていた。

 そのことに気付いた優衣は、視線を下げた。

「さて、と。初めましてだな。俺のことは知っているか?」

 優衣とゾイルは首を横に振る。そのことを気にした様子もなく、男は続ける。

「人間の魂の管理をしていた、グアン・タジェルクだ。そして、こっちは妻の」

「パリシー・タジェルクです。よろしくね」

 表情を一切変えずに言うグアンと、ふわりとほほ笑んで言ったパリシー。どうして見覚えがあったのか、ゾイルにはその理由がよく分かった。

「俺は、魔神族のゾイル・テイヌ。こっちが、人間の神谷優衣」

 未だうつむいたままの優衣のことも紹介し、早速斬り込む。

「タジェルクと言うと、二人はトリア・タジェルクの親戚か何かってことでいいのか?」

「その認識は間違っている。俺はトリアの父親だし」

「私はトリアの母親ですから」

「つまり、トリアの両親ってことか」

 その言葉に、優衣が顔をばっと上げた。

「・・・お兄ちゃんの、お父さんとお母さん?」

 その顔は、どこか疑わしげで、両親と名乗る二人を交互に見比べていた。

「あぁ、そして。君もだ。ユイ」

 突然名を呼ばれ、優衣は硬直する。この言葉を言葉通り受け取るのなら、優衣もこの二人の子供という意味にとれる。

 いや、その通りなのだろう。優衣を見る二人の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。

「立派に、育ったんだな」

「えぇ、本当に、よかった」

 二人が涙を流し、優衣はひたすら困惑するだけだった。

「どういうことか、聞いてもいいか?」

 二人の中だけで話が進んでいるようで、ゾイルも困惑せざるを得ない。

「この子、ユイは人間界で産まれた俺たちの子供だ」

「は?」

「トリアが人間界に意図的に転生してしまい、それと同時に人間界に私たちは行きました。もちろん、トリアを産んだ母親という体で」

 計画の始まりと共に、二人も人間界で数年の時を過ごしたのだという。

「ただ、本当に数年だけで、ほとんどのことはレイト君に任せっきりだった」

 レイト君というのは、神の護衛だったゴーレム族レイト・ヌミレオのことだろう。メルスの手で殺されたと聞いている。

「それでも、私たちは神の目を盗み、人間としてこっそりトリアの様子を見守っていました。案外、人間としての生きるも悪いものではありませんでしたから」

 その当時のことを思い出しているのか、パリシーはうっとりと目を細めた。

「それから、いろいろあって生まれたのがユイだ」

「ってことは、優衣は天使族なのか?」

 天使族の間に生まれた子供ということは、きっとそう言うことなのだろう。けれど、グアンは首を横に振った。

「ユイは人間だ。と言っても少々特殊だけどな」

「私たちは人間の体をもって生活していましたけど、魔力はどうしても隠せず、遺伝してしまいます。しかし、ユイには人間として生きてほしかった。そのために、ユイの魂にナデシコ様の魂を混ぜ、魔力を封印しました」

 唐突に増えた情報量に頭が追い付かなくなる。

 トリアの両親が人間として産んだのが優衣。人間として生きてもらうために、遺伝する魔力を封印する。その封印のために、人間界の神様、ナデシコの魂を混ぜた。落ち着いて考えてみても、やはりわからない。

「どうしてナデシコの魂を混ぜたんだ?」

 力の封印だけなら、この二人にだってできても不思議じゃない。

「俺達でもそりゃできた。ただ、一時的にしかできない。だから神様に頼ったのさ。ナデシコ様になら、天使族としての性質が体に現れるのを半永久的に抑えることができる。そして、ユイは人間として認知される」

「どうして、優衣を人間として?」

 本人を前にする話じゃないと、頭で理解しながら聞かずにはいられなかった。

 優衣の過去を見れば、両親が不明で、施設に入れられた。ゲームが始まってムジナに拾われ、トリアの家に住むようになった。

 育児放棄をしてまで子供が欲しかったとは考えられない。

「この計画を、知っていたからさ」

 ぽつりとつぶやくようにグアンは言う。

「空間が結合し、仕事がなくなるとエスト様に言われていたからね」

 この二人は人間の魂を管理する職に就いていたらしい。死んだ人間の魂が行きつき、転生するまで働かせる場所。そこの門番のような職だったらしい。

 しかし、空間が結合してしまえばその職業が必要なくなる。その話を聞き、計画の一端も知ることになった、と二人は語った。

 ゲームと称した出来レース。誰が誰と契約し、どのような結末を迎えるかも、わかっていた。

 そこで、二人はエストに頼んだ。うまいこと優衣と奏太をめぐり合わせて欲しい、と。

 優衣が奏太の傍にいれば、奏太は無茶をしないだろうと考えていたのだ。誰か一人でも、人間として息子を支える存在が必要。

 親はそう思い至ったのだ。

「けど、もしもユイが望むのであれば。天使族にすることも出来る」

 グアンの言葉に、優衣は顔を上げた。

「もう、人間としての自分の息子はいない。いるのは、力に飲まれた馬鹿な神様。ユイが兄である神を救いたいというのなら。その意見を尊重しよう。けど、その前に。すまなかった」

 頭を下げたグアン。それに続いて、「ごめんね」と小さく呟いてパリシーも頭を下げた。

 何も知らない優衣に、優衣の自覚がないままに無茶な責任を押し付けた。本当は、自分たち親が子供に寄り添わなければいけないのに。それを、仕事のために放棄し、今尚責任を負わせていることに対する後悔。二人から、そう感じた。

「・・・大丈夫、だよ」

 ここにきて初めて、優衣は言葉を発した。

 しばらく声を発していなかったせいか、若干掠れてはいたが、その声は確かに言葉となって両親に届いた。

「・・・私が人間だろうと、天使だろうと。私のお兄ちゃんは変わらない。私は、お兄ちゃんを助けたい。だから」

 その先は、言葉にしなくても全員がわかっていた。それでも、黙って優衣の言葉の続きを待つ。

「・・・お願い、お父さん。お母さん。私に、お兄ちゃんを助けることのできる力、ちょうだい?」

 笑って優衣は言った。それを聞いていた父と母は涙を流す。

「本当に、立派になった」

「本当に、ごめんね」

 二人はテーブルから身を乗り出し、優衣のことを抱いた。優衣も、二人の背中に小さな腕を回した。

 今ままで、そばにいなかった分の時間を取り戻すかのように、長い時間をかけて。






「あのお嬢ちゃんには感謝しないといけないな」

 優衣を天使族に戻すため、場所を移動した。

 闘技場のような場所で、縦横三百メートルほどの空間。グアンの訓練室だというここは、家に地下にある。

 薄暗い階段を降り、少しじめっとした廊下を歩いているときに、グアンはボソッと呟いたのだ。

「あのお嬢ちゃんというと、エミリーのことか?」

「あぁ、いきなり俺たちの下に現れたと思ったら、娘に、ユイに会いたくないですか?なんて聞いてきたんだ。今までどこにも情報を漏らしていなかった分、余計に信憑性があった」

 軍の諜報力も侮れないなと、グアンは笑っていた。

 優衣も母親の背中で今までのことを少し恥ずかしそうに話していた。

「さて、と。いいか?」

 優衣の笑顔を思い出していたところを、グアンの声で頭の中からかき消した。

 優衣はパリシーの背中から降り、部屋の中央へ。その周りにパリシーとグアンの二人が光の線で魔法陣を描いていく。

 どこか緊張したような素振りを見せた優衣。しかし、その内面はワクワクしているようだった。

 自分が実は人間ではなく、天使族の子供だった。ファンタジー好きな優衣としては夢でも見ている気分なのかもしれない。

「・・・いつでも、いいよ」

 優衣の返事に、両親は目を見合わせて小さく頷いた。

「「『リフテッド・リミッター・クアトロブースター』」」

 二人が発動した魔力により、魔法陣から白い光が放たれる。眼球が光を捉えられる限界に達し、勝手に目が閉じた。

 それでもその光は、瞼を閉じても変わらないほどに輝く。その光が、二人の魔力の強大さゆえに起こっていると瞬時に理解した。

『リフテッド・リミッター』は主に獣人族が己の獣としての体を開放するときに使う魔力。『ブースター』は魔力の威力を上げるもの。今回は『クアトロ』だから通常の四倍。

 二人はすべての魔力を優衣に捧げ、天使族に戻そうとしている。そうまでしないと優衣は天使族になれないし、することも出来ない。

 だが、ゾイルは違和感を覚える。肌で感じ取るこの魔力は、どの天使族よりも質がよくて強力。ネアを遥かに上回り、ナデシコと同等と言ってもいいレベル。それだけの力があるのなら、現在の神である息子を正すこともできるのではないか。

 そこで、ゾイルはハッとする。

 三人は、笑っていた。

 正確に、笑っている顔を見たわけじゃない。それでも、三人は喜びという感情を抱いている。

 優衣は天使族になれるから。グアンとパリシーは、自分よりもはるかに強いユイに、期待しているから。天使族に戻った娘は、自分たちよりも確実に、息子を助けてくれると信じているから。

 光はやがて収まり、グアンとパリシーは肩を上下させて立っていた。魔力を使い切り、立つのがやっとな状態。

 一方で優衣は、しきりに自分の体を気にしていた。主に、頭と背中を。

 そして、お目当ての物を目にすると、笑顔に変わる。

「・・・なれた」

 真っ直ぐな瞳で優衣はゾイルを見た。だが、ゾイルは喜んでいいものか、わからなかった。

 天使族の特徴として、頭に輪。背中に白い翼。魔力で隠す者もいるが、その身体的特徴はみんなが持つ。

 優衣にもそれはあった。光り輝くリングが優衣の頭上に浮いている。翼も生えている。ただし、白いだけではなく、黒いラインが入ったもの。他の天使族には、見られない翼。

 まさか、という思いがゾイルをよぎる。これはきっと、自分のせいなのだと。

 カシャ、と手首からバングルが外れ落ちる。優衣が天使族となったことで、契約が無効になった。優衣は、ゾイルの魔力を使うことがもうできない、ということになる。それなのに。

「お前は、一体なんなんだ」

 知るはずもない答えを求めて、ゾイルは優衣に問う。それに対し、優衣は予想通り首を傾げて不思議そうにする。

 ならば、とグアンとパリシーに目を向ける。二人は成功したことに安堵の表情を浮かべ、目の前で起こっている奇妙なことに、なんの疑問も抱いていないようだった。

「・・・ねぇ、あそぼ?」

 静かにこちらへ目を向けたユイは、白と黒の形状の異なる剣を手にしていた。

 人間をやめた自分の力を試したいようだ。

「わかった。相手になってやる」

 抱えた違和感の正体を確かめるために、ゾイルも剣を手にユイへと歩み寄る。

「俺たちは上で休憩してる。ここは自由に使ってくれ」

 そう言ってその場から去ったタジェルク夫妻を尻目に、ゾイルとユイは剣先を互いの顔に向けた。

「本気で行くぞ?」

「・・・手加減、なし」

 言い終わると同時に、お互いに後方に跳躍する。それから遅れて金属同士がぶつかり合う音がやってくる。

 ユイの二本の剣はそれぞれゾイルの右肩と左の脇腹を狙って振るわれる。それを正確に察知したゾイルは長い刀身でそれを防ぐ。次の攻撃に入るために後ろに飛ぶ。

 たった一瞬。二人は音よりも早く行動した。ゆえに、二人が発生させた音は、遅れて二人に届く。

 そのことを、二人は気にしない。気にしている余裕がない。

 優衣は斬撃を放つ。光を纏った追尾斬撃。それをゾイルが避けることを想定して放たれた、闇を纏う斬撃。

 光と闇。その二種類の魔力を優衣は使い、ゾイルへと迫る。

 攻撃を避け、受け止め、ゾイルは確信に至る。ユイはまだ、ゾイルの魔力を使うことが出来る。

 天使族を含む神民と呼ばれる種族は光の恩恵を受け、それを魔力として扱う種族。

 魔神族を含む魔族と呼ばれる種族は誰もが抱える負の感情を闇として扱う種族。

 闇と光は相容れることはなく、神民が魔族に堕ちても使えるのは闇の魔力のみ。闇と光を同時に扱うことが出来るユイは、異質だった。

 前例にない事象に動揺を受け、ハイドの動きが鈍る。

 追尾してきた斬撃を受け止めても、その後ろに隠れた普通の斬撃に気付けない。道が開けても、そこに隠し斬撃があることを疑いもせず、まんまとユイの策にはまる。

 なんとかユイに近づくことが出来ても、その刃はユイに触れる前に、光と闇の盾に阻まれ、一瞬で距離を取られる。

「・・・ねぇ、本当に、本気?」

 苛立ちを隠さずに優衣は問う。そして、その言葉はゾイルを冷静にさせ、消えかかっていた闘志の灯に燃料を与える。

「こっからだ」

 向かってくる斬撃を避け、剣を持っていない左手に魔力を集中させる。

「『アドヘッション』」

 指先から粘着剤の効果を持つ弾が放たれる。剣で切り裂くことが出来ず、その刃に付着して武器をダメにする。体に当たれば、当たった者の行動を鈍らすことができる。

 その弾を前に、優衣は剣の大きさを包丁ほどに変え、小さな斬撃で一つ一つを的確に相殺していく。

 攻撃の対象がずれたことで余裕の生まれたゾイルは、地面を介してユイの足元に魔力を伸ばす。

「『リクエファクション』」

 ユイの足元が砂に変わり、その上にある体がどんどん沈んでいく。足は完全に取られて動けない。

「『メキュリアブレード』」

 左手から優衣に液体金属でできた刃が伸びる。

 馬鹿正直に、真正面から。

 当然ユイはこれを避ける。足がはまって動けないのも、ゾイルがこうすることを予測してのこと。

 だから、あえて真正面から攻め、その次で決める。

 刃がユイに五メートルほどのところまで迫る。しかしユイは動かない。

 一メートルまで迫っても、ユイは動かない。驚きも恐怖もなく、ただじっと刃を見据えている。

 刃がユイの鼻先にまで迫り、思わずゾイルは魔力を解いてしまった。その瞬間、優衣は口元を歪めた笑みを浮かべる。

 翼を羽ばたかせて地面から脱出。両方の剣を使い空中から斬撃を放つ。

 ゾイルは剣を握り直し、足に魔力を流し込む。斬撃の動き、今までのパターンから、これからユイが放つ斬撃を予測する。

 右から二本の斬撃。それを跳躍でよければそれを予測した斬撃が追ってくる。前後に跳べば、そこには隠し刃が待っている。左はがら空き、だと思えば、ユイは即座に距離を詰めてくる。

 ゾイルは左に跳んだ。ユイがそれに反応して距離を詰める。だが、ユイよりも早く、ゾイルは二歩目を踏み出す。爆発にも似た音を後方に残し、ユイよりも早く距離を詰め、すれ違いざまに剣を横に振るう。

 確かな手応えがあった。剣が血肉を切り裂いた感覚が刀身を通して体で感じる。ぽたぽたと、血が地面に落ちる音もしている。

「・・・ゾイル、甘いよ。優しすぎ」

「遊びなら普通避けるだろ」

 倒れたのは、ゾイルだった。

 仰向けに倒れたゾイルの顔を、楽し気に笑ったユイが覗き込んでくる。その体に傷はなく、あの確かな手応えに疑問が起こる。

「何をした?」

「・・・ちょっと感覚をずらしてあげただけ。あたかも、切っているような手ごたえを与えて油断させたの」

「なんだそりゃ」

 言いながら、左の脇腹に痛みを感じた。あまり深くはないが、魔族には天使族の刃が通常の何倍も効く。傷口が光の粒子となって徐々にゾイルの体を蝕んでいた。

「なんだ、これ」

 闇で傷を塞ごうにも光は消えることなく、展開した闇さえも巻き込んで輝きを増す。

「おい、ユイ。こりゃ何だ」

「・・・『セイクリッド・リターン』」

「『セイクリッド』だと⁉」

 まさかと思ってユイを見てみるが、黙って視線を返される。

 ユイの言ったことが事実だとすれば、ユイは神に匹敵する力を持っているということになる。なにせ『セイクリッド』という魔力は前の神、エストしかもっていない特別な魔力なのだから。

「とりあえず、これどうにかしてくれ」

 体から光が消え、やっとゾイルは自分の傷を塞ぐ。

 天使族で、最強クラスの魔力を扱う。さらに、どういうわけか闇の魔力も使っていた。

 闇の魔力はゾイルと契約していた影響。それで、天使族でありながら闇を使う前例にない天使族になった。

 これなら、神になったトリアも止めることが出来る。ゾイルはそう確信した。

「だと、いいけどねぇ」

 唐突に、ゾイルの心に応対する声が聞こえた。声の出所はゾイルとユイの二人から五メートルほど前方。何もないただの空間が破れ、紫色の髪の女、空間の神ディーテが現れる。

「お前、何でこんなところにいるんだよ」

 今更敵対していないということはわかる。ここに来る意味までは分からない。

「ちょっとあんたらの強さが気になっただけさ。と言っても、魔神のあんたにもう用はない。今のあたしの興味は、そこのちびっ子だけさ」

 ちびっ子という単語にユイがむっとした。

「・・・ねぇ、ディーテ。一緒に遊ぶ?」

 挑戦的な笑みを浮かべ、ユイは剣先をディーテに向けた。

「あぁ、いいだろう」

 どこか楽し気にディーテも笑みを浮かべた。

 一瞬、止めるべきかとゾイルは思ったが、ディーテは正真正銘の神様。素行に難はあるがその事実は変わらない。この機会に本物がどれほどのものか、ユイに知ってもらうことが出来る。

 ディーテはトリアに負けているため、本当に相手にするのはこれよりも強いだろうが、力を試す相手としても申し分ない。

「ルールはどちらかが戦闘不能になるか、「参った」というまで。どうだい?」

「・・・そのルール、忘れないでよ?」

 遊びの範疇を超えたそのルールに、ゾイルは口を出すことを諦めた。壁の方により、事の顛末を見守ることにした。

 剣を携えた二人は、十メートルほどの距離を開けて対峙する。

「おい、そこのポンコツ魔神」

「誰がポンコツ魔神だ」

「勝負の開始はあんたに任せる」

 既に集中を始め、悪口ですらゾイルの方を見ずにディーテは言った。

 風はなく、外からの明かりもないこの空間は、極度の緊張感に包まれていた。二人の呼吸だけがやけにはっきりと聞こえる。

「はじめ!」

 ゾイルの合図と同時にユイは地面を蹴った。ディーテとの十メートルの差を一歩で埋め、剣を横に振るう。しかし、そこにディーテの姿はもうなかった。

 こちらが一歩踏み出すと同時に、どこかに身を隠したようだ。

 そのことを理解したとたん、体が勝手に動く。左足を軸に右へ周り、剣を固める。耳元で金属音が鳴り響く中、固めていた剣を上に払い、剣を逆手に持ち替えて縦に振る。

 背後から攻撃を仕掛けてきたはずのディーテはやはりそこにはいなかった。だが、一瞬だけ彼女が空間の狭間へと身を隠したのが見えた。

 完全に姿が見えなくなった。見えなくとも、強大な魔力がユイの体に伝わってくる。

 彼女を相手に視覚は不要。攻撃も、守りも、全て魔力の反応を見て対処する必要がある。

 ゆっくりと目を閉じ、視界は真っ暗になる。敵を前に目を閉じても、そこに恐怖感はなかった。むしろ、感覚の一つが遮断され、第六感ともいえる魔力探知に集中することが出来る。

 両手の剣を構えなおし、その時を待つ。

 足元から近づく魔力に対し、ユイは跳んだ。魔力が形成したそれは、恐らく槍。見えなくとも、感覚で理解した。

 跳んだ先で待っていたのは、剣だった。腹部を切り裂くように現れたその魔力を屈んでよける。頭上から現れた斧に対しては双剣を重ねて防いだ。重くかかる衝撃を地面へといなし、目を閉じたまま狭い戦場を駆ける。

 空中からの槍の雨。銃弾のように放たれるダガー、足元を狩るデスサイズ。そのすべてをユイは目を閉じたまま回避した。

 どこから現れ、どのように放たれるのか。その全てが何故だかユイにはわかった。

 人間界にいたころから、魔力の探知には長けていた。それが天使族になることで強化された。ジョブチェンジしたことでスキルがレベルアップしたのだ。

「なるほど、ねぇ」

どこからかディーテの呟きが聞こえ、自分の周りが魔力で包まれた。外部の魔力を感じ取りにくくなり、少しだけ目を開いて驚いた。

 目を回しているかのように、視界が曲がっていた。

「『キンクエスパシオ』。歪んだ空間に閉じ込められれば、避けられるものも避けられまい」

 なるほど、平衡感覚を奪う魔力を発動したようだ。目が回るという生半可なものではない。地面が上にも下にもある。遠くにいるゾイルの影が左右に揺れる。気持ち悪い。

 さっきと同じように銃弾のようにダガーが放たれた。さっきと同じように避けようとして、甘かったことを悟る。

 途中まで正直に真っ直ぐ飛んできたダガーは、ユイの近くで勢い変えずに軌道のみを変えた。目で追うことはできず、魔力を探知しても反応しきれなかった。

 それでも何とか横をかすめるだけにとどめ、ほとんどを双剣で叩き落す。

 先ほどよりもユイの動きは遅く、やはりすべてを避けることはできていなかった。それでも、致命傷ともいえる攻撃は受けず、かすり傷程度。

「なぜ、当たらない」

 ディーテの焦ったような声が聞こえた。無理もないと思う。だって、これは私じゃないとよけきれないのだから。

 わずかに笑みを浮かべ、ユイは体の中心に魔力を集め、発動する。すべて、終わってしまえばいい。そう思いながら。

「『フォースド・ターミネーション』」

 ユイを中心に強大な魔力爆発が起こる。白い光を体から放ち、ユイ周辺の空間は全て元に戻った。そう、全て。

 つまり、自ら空間に捻じれを作り、そこに身を隠していたディーテの姿が露わとなった。

「な、しまっ」

 イメージ通り。周辺の魔力を強制的に無効化する魔力。まさかこうなるとは思っていなかったのだろう。ディーテは一瞬だけうろたえた。

「・・・おっそ」

 その一瞬でさえ、遅く見えて思わずつぶやいた。

 体に跳んでいるかのような感覚が襲う。一秒にも満たないその感覚の内に、ユイの体はディーテの体を切り裂いて反対側に移動した。

「くそが。まるで閃光だな」

 言いながらディーテは傷を完治し、ユイに向き直った。

「あんたのことを少し見くびっていたよ。評価を改めよう」

「・・・なら、本気出して」

 空間の神がこれしきの強さで終わるはずがない。まだまだ力を隠している。

 こっちの挑発にディーテは薄い笑みで応えた。彼女の魔力が高まっていく。

「『テラーアンプリフィケーション』」

 それが発動した瞬間、少し離れたところにいたゾイルが大きく後ろに飛びのいていた。その顔は何故か怯えているようだった。

 魔力を特定にだけ発動したのかと持ったが、対象はこの空間にいるディーテ以外の生物だったようだ。しかし、ユイには何の変化も現れない。

「『マインドコントロール』による恐怖心を倍増させるものなんだが、あんたには恐怖心がないのか・・・?」

「・・・そうなんじゃない?」

 実際、今は楽しいと思っている。力を惜しみなく振るうことが出来るのだ。恐怖心はゼロ。ゼロに何をかけてもゼロなのだから、そんな魔力は通用しない。

 思惑が外れたディーテは舌打ちをして、すぐさま別の魔力を発動した。

「『メモリー・オブ・テラー』」

 今度の魔力はユイにも通用した。

 不意に風景が闘技場から見慣れた家に変わった。札幌市内にある堀井家だ。ユイはソファに座っていた。ディーテの姿はなく、代わりに兄の奏太と、悪魔のルノが居た。人間界にいたころの、変わらない二人。

 二人は何事かを話して、楽しそうに笑っていた。その会話はユイには聞こえない。近づこうとしても、足がソファに括り付けられているかのように動けなかった。

 声を発そうとしても、喉からは音にならなかった空気だけが漏れる。

 二人は楽しそうに談笑し、こちらを一瞥して背を向けた。その一瞥した時の目に、ユイは身震いした。

 とても冷たく、蔑んだ目つき。

 背を向けた二人は、もうユイの方を向きもせず玄関へと歩き出した。ユイの足はまだ動かすことが出来ない。

―待って!

 そう叫ぼうとした。やはり声にはならない。すー、すー、と息が漏れるだけ。

 二人が玄関の先に消えようとしていた。

―待って!待ってよ!・・・もう、置いて行かないで。

 これは悲しみか。それとも恐怖なのか。いや、その両方。

 誰かに、家族に置いて行かれるいう、ユイにとってはたまらない精神的苦痛。

「あ、あぁ」

 いつの間にか、目には涙が浮かびあがり、世界は元に戻った。

 闘技場に立ち、場所が代わってソファに座っていたはずが、今度は闘技場の地面に膝をついていた。

 家族の姿はなく、下卑た笑みを浮かべたディーテが見下していた。

「あんたにとっての辛い記憶を見せつける。いくら魔力が強大で、身体能力がよくて、読みがよくても、結局あんたは子供なのさ。これで―」

 おしまい。ディーテは続けてそう言おうとして、言えなかった。その瞬間、今度はディーテの世界が反転した。

 地面が頭上から近づいてきている。受け身をしようと腕を移動させるが、地面はやってこない。代わりにやってきたのは浮遊感。高い高い闘技場の天井が高速で近づいてきている。否、ディーテ自身が飛ばされた。

 けど、どうやって?

 疑問の答えは目の前まで自分の意思でやってきたユイを見て納得した。

「あんたが、魔力の正体か」

 ユイの背後に潜む黒い影。太い腕に三本の指。屈強な体には足と首から上がない。ユイが無意識のうちに生み出した魔力の怪物、とでもいうのだろうか。そいつにディーテは殴られたのだ。

「『シャイニングダーク』」

 ユイが魔力を放つと同時に、そいつは体を何倍にも大きくし、ディーテへと纏わりついた。と、思う。

 見えたのはわずか一瞬で、そうであるという確証はほとんどない。少なくとも、ディーテにはそう見えた。

 どういった効果をもたらす魔力なのかはすぐにわかった。魔力の行使の封印。

 体に有り余っているはずの魔力は、決して体外に出ようとしない。どれだけイメージを重ねても、それが発現することはない。

 焦りはなく、腹部にかかる強い衝撃を素直に受け入れた。

「ガハッ」

 口から血を吐きながら、ディーテは重力にしたがって落下する。背に受けた最後の衝撃は何処にも受け流すことが出来ず、それでも何とか意識は保つ。

 ユイは地面にできた穴の傍に立ち、声をかける。

「・・・参った?」

「あぁ、参ったよ」

 その瞬間、ユイの勝利が決まった。

 深くできた穴からボロボロのディーテが這い上がり、地面に座った。黒い魔力はまだ取りついたままだ。

 それをユイは指を鳴らして解除すると、指先から光を放ち、ディーテにできた傷を治療する。

 弾丸のように指先から放たれた光は、寸分の狂いなく傷に命中し、癒しを与える。その治療法に、ディーテは見覚えがあった。

「『アキュレイトキュア』か」

 不思議そうな顔をしたユイにディーテはぽつりとこぼす。

「あんたの兄貴が使っていた魔力さ」

 トリアが使用する魔力は『ブリリアント』という回復特化の魔力。天使族の固有魔力『ホーリーブライト』の完全上位互換で、取得者はごく数名。

 それを使うことのできるユイも同じ魔力かと思うが、違う。ゾイルとの戦闘の時、ユイは『セイクリッド』を使っていた。エストが使う攻撃特化の魔力。『ブリリアント』と同じく『ホーリーブライト』の完全上位互換。

 強大な光属性の魔力を二つ使うことが出来る。それだけじゃない、というのは黒いラインが入った翼が物語っている。それと、先ほどの黒い魔力。

「ゾイル、あんたは弱いけど一応魔神族だったよね?」

「ん?あぁ、一応でもなんでもなく正真正銘の魔神族だ。それと、弱いは余計だ」

「じゃあさ、『聖なる魔神』の噂を知っているかい?」

 久しぶりに聞いたその名前にゾイルはディーテの方をチラッと見た。ユイもディーテの治療を終えて不思議そうに見ている。

「知ってる。こいつみたいに光と闇の両方を操る魔族もしくは神民、だな?」

「そ、かなり稀で、魔族と神民の混血じゃないと生まれることはないと言われているあれのことさ。今回は少々パターンが違うけど」

 と、ディーテは「治療ありがとう」とユイに感謝を述べ、続きを言おうとしなかった。だが、言おうとしていたことはわかる。

 こいつもそうなのだと。

 聖なる魔神。その正体はただの噂でありながら、魔神族の中では強く浸透した伝説でもあった。光と闇の魔力を操り、魔神族本来の戦闘能力を十分に兼ね備えた。そして、天使族のように安らぎの力も手に入れた。

 所詮はただの伝説で、そんな者は存在しない。ゾイルはそう考え、伝説には否定派だった。けれど、今のユイを見て考えを改める。

 いまここに、伝説が実在している。

「聖なる魔神だぁ?」

 イライラしたような口調でグアンが訓練室に飛び込んできた。

「上で休憩してるんじゃなかったのか?」

「神の魔力を感じたからな。いてもたってもいられなかった」

 ここから去った時はすっからかんだった魔力も今ではすっかり元通りになっているっぽい。ポーションでも飲んで回復させたのだろう。何かあった時のために。

「ディーテ様よ。うちの娘が聖なる魔神だと?」

 鋭い眼光を向け、グアンは問い詰める。

「その可能性が高い。事実として、このチビは闇と光の両方を使うことができる」

「そうだろうな、とは思っていた。けどな」

「けど、なんだい?紛れもない事実だろう?」

 グアンは言葉を切り、ノーモーションでユイに蹴りを放った。防御をするまもなく、ユイは蹴り飛ばされ壁に衝突する。大きな音共に土煙が上がり、ユイはその下に倒れてピクリとも動かない。死んでいるわけでもなく、意識もはっきりしている。今は、疑問が浮かんでいることだろう。

「は」

 ディーテは驚いたように目を見開き、

「ふん」

 グアンはつまらなそうに鼻で笑う。

「おい、なにしてんだよ」

 動かないユイの体を姫抱っこし、ゾイルはグアンと対峙する。

「自分の娘に蹴りを入れるとか、正気か」

「正気だ。ユイを聖なる魔神と呼ぶには、まだ弱すぎる。よくわかったか、ユイ」

 ユイはグアンをチラッと見て、小さく頷いた。そして、ゾイルの腕の中ですやすやと寝息を立て始めた。どうやら、あの蹴りには大したダメージもなかったらしい。

「お前は、ユイが力を過信しすぎないようにこんなことをしたのか?」

「あぁ、そうだ」

「じゃあ、いきなり蹴ることはなかったろ」

「いきなりじゃないさ」

 グアンは真っ直ぐゾイルの目を見ていた。その目は、こちらをあざ笑うかのように冷たかった。

「ちゃんと心の中で伝えたし、ユイもそれを心の中で了承した。そうじゃなきゃ、大切な娘に暴力を振るうわけ無いだろ」

 お互いの了承を得たうえでの暴行。グアンは嘘を言っていない、事実。

「けど、ユイは心を読めるってのか?」

 人間だったころ、そんなことはできていなかった。もしかしたらゾイルに隠していただけかもしれないが、そんな素振りもなかった。

「いや、俺が『マインドコントロール』でユイの心に入って会話してきた」

「マジか」

「マジだ」

 心を操ることのできる『マインドコントロール』。それの応用で相手の精神に侵入することも出来るのだという。ディーテは侵入の類を苦手にしている、と聞いてもいないのに教えてくれた。

「さて、ユイも寝ちまったし、部屋に連れていく。ついてこい」

 そう言ってさっさと歩きだすグアンに続き、ゾイルも部屋に出る。なぜかディーテもついてきていた。

 地下から地上へ上がり、広い屋敷を進む。

 大きな木製の扉の前でグアンは止まり、開けて中へと入る。

「ここがユイの部屋だ」

 広い。だが、質素。

 ゾイルはその部屋に足を踏み入れてそう思った。

 天蓋付きの大きなベッド。学習机といす。パッチラップを見渡せる大きな窓。たったそれだけしかない空間は、自動車五台が余裕で収まるほど空いている。

 一先ず大きなベッドにユイを寝かしつけ、ゾイル、グアン、ディーテの三人は絨毯の上に座った。

 誰かがそうしようと言ったわけでもないのに、自然に全員の顔が見えるように座っていた。

 三人は座ったまま言葉を発しようとしない。恐らく、グアンが何か話したいことがあるはずなのに、重く閉じた口は開かない。

 ユイの寝息だけがはっきりと聞こえ、そのまま数分が経過したころ、グアンはようやく沈黙を破った。

「驚かせて悪かったな」

 頭を下げたグアンに、二人はどう対応すべきか困惑した。確かに驚かされたものの、悪意があったわけじゃない。ユイが同意しての行為だったのなら、何も言うことはない。

「ユイは確かに聖なる魔神だろうとは思っている。けど、まだ弱い」

「さっきも言ってたな」

「あぁ。単に力と体が追い付いていないだけだが、今のまま挑めば、トリアには勝てないだろう」

 実際、神でもないグアンの蹴りでユイは沈んだ。

「当然のことだが、魔力の行使と言うものは練習が不可欠。今まで、ユイが魔力の練習をしているところを見たことがあるか?」

 その質問に、ゾイルは人間界でユイと組んでいたころを思い出す。

 ユイと組んでいたのは新しいゲームが行われていた一週間程。その間、特訓のようなことはしていた。戦術の確認だったり、体の動かし方だったり。魔力の練習と言えば、斬撃を器用に放つくらいのもので・・・。

 あ、とゾイルは気づく。

「それぞれの魔力の練習は一切してないな」

「神の魔力を即座に操っていたからまさかと思ったが、本当だね」

 ディーテも感心したように呟いた。

ユイが天使族になってから初めての戦闘で、二人に対して神クラスの魔力をあっさりと行使して見せた。

「それが、ユイの才能なんだよ」

 ニヤリと笑い、グアンは続ける。

「今まで練習もしないで『ブリリアント』や『セイクリッド』。それから、『ダークネス』。これらの魔力を使っていた。才能以外の何者でもなく、練習すれば伸ばすことが出来るものだ」

 ユイに力の差を見せつけ、グアンが何を伝えたいのかをゾイルは理解した。

「修行させたい、ってとこか?」

「その通りだ。あまり時間がないのは分かっている。けど、このままでは止めることが出来ないというのもわかるだろう?」

 ゾイルは小さく頷いた。

 力不足とわかっていて強敵と戦うのはあまりにも無謀だ。神を止める制限時間なんてものは設けられていないし、長引かせなければ良いだけ。

 ユイの才能を十分に引き出し、確実に神を止める。

「さっそく、明日から始めようと思うが。お前はどうする?」

「俺か?」

 他にいないとわかっていながら、思わず聞き返してしまう。

「お前以外に誰がいる?もしもユイと一緒に神のところに行くつもりなら、足手まといになりたくないだろ?」

 確かにユイ一人に任せるわけにはいかず、ゾイルもついて行くつもりだった。しかし、グアンの言うように足手まといにはなりたくない。ユイ、神とゾイルの戦闘能力の差は歴然としているのだ。

「お前が強くなりたいと願うのなら、お前もユイと一緒にしごいてやるから覚悟しておけ」

「魔族に対して、何も思わないのか?」

 神民は基本的に魔族のことを嫌う。ネアは慣れているから何も言わないが、実際はゾイルのことを嫌っている。それが普通のはずなのに、グアンやパリシーからはそんな風には感じなかった。

 実は特訓すると見せかけてズバットやられる、なんてことも危惧している。

「魔族に対して、何も思わないわけじゃない。息子は死にかけたしな。けど、んな昔のことはどうでもいいし、見る限りお前は悪いやつじゃない。ユイの面倒も見てくれてたみたいだしな。俺は関わった人を種族で判断しない」

 こういうやつも、いる。

 トリアもそうだった。いや、親であるグアンがこうだから息子のトリアも魔族という分類に興味を示さないのだろう。

 お人好し、いや、魔族好しな家族だ。

「そうかよ。じゃあ、頼む。俺を強くしてくれ」

 そう言って頭を下げる。

「任せとけ」

 グアンはにししと笑ってそう言った。

「お前の部屋はどこか空いてるところに設けてやる。あとで案内してやるから好きに使うといい」

 それから、と言ってグアンは立ち上がり、部屋に合ったタンスから小さなペンダントを取り出した。緑色の魔鉱石がついた魔道具のようだ。

 それをおもむろにディーテに投げつけた。

「通信魔道具か。なんであたしにこれを?」

 グアンは投げつけた魔道具にゾイルも首を傾げた。

「これから神の集会があんだろ。何かわかったら連絡してくれ。主に、トリアの処分時期についてはなるべく早くな」

 通信魔道具は二個で一セットの魔道具。現代の携帯電話よろしく離れた場所でも連絡を取り合うための道具だ。

 これからディーテは神の集会があるのだという。トリアの処分や、この世界について。トリア以外の神様が集まり、話し合いが行われるらしい。

 そのことをディーテの心の内からグアンは読み取った。

「あんたに隠し事はできないか」

「元から隠すつもりもなかったんだろ?じゃあいいじゃねぇか」

「あんたのそう言うところ、大嫌いだ」

 貰った魔道具を懐にしまい、ディーテは何も言わずに姿を消した。

 神の集会とやらに行ったのだろう。

 おそらくそこで、計画の首謀者であるディーテの処分も決まるのだろう。

消える直前に見せたディーテの表情は、いつもに増して固かった。






 それから数時間後、ディーテから一週間後にトリアを処分するという報告が来た。




 そして、ユイとゾイルが修行を始めて三日が経った頃。

 二人はへとへとになって草原に寝そべっていた。

 主な修行方法は魔力の行使、体術の応用。頭と体の両方を使い、身体的疲労だけでなく、精神的な疲労も蓄積する。

 普段、家の地下にある訓練室で修行していたが、今日は外に出ての練習だった。

 ユイはパリシーと共に魔力を扱う実践的な練習をし、ゾイルはグアンと殺すつもりで戦った。

 グアンは強かった。『マインドコントロール』を応用し、完全に相手の動きを読み、真似る。鏡写しの自分と戦っているような感覚で、いつも負ける。自分の弱さを完全に克服した戦い方を、グアンは見せてくれる。

 けどそれを教えてくれはしない。感覚で掴め、ということらしい。

 そんなことが続いて、今日が三日目。

「・・・ねぇ、ゾイル。なんでそんなに、必死なの?」

 空を見上げたまま、ユイがそんなことを聞いてきた。

「さぁ、なんでだろうな」

「・・・天使族になっても、私のことが心配?」

「さぁ、な」

 三日前。こっちの世界に来る前は「心配だから」と伝えた。その時はそう思っていたし、今もきっとそう思っている。

 明らかにユイは戦闘能力を上げている。その足手まといにならないようにゾイルも鍛えている。この状況に、今は少し違うのかもしれない、そう思った。

「・・・ねぇ、ゾイル」

「なんだ?」

「・・・最後まで、私と一緒に戦ってくれる?」

「そのつもりだよ」

「・・・よかった」

 安堵。隣にいるユイから伝わったのは、そんな感情だった。

 この時、ユイが何を考えていたのか。その安堵の意味を、ゾイルは知る由もなかった。

「俺は、お前と契約したからな。最後までやり遂げてやるよ」

 その、『最後』と言うものが何を示しているのかも、ゾイルはまだ知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ロリ悪魔との契約は危なくない 小野冬斗 @_ono_winter

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ