最終話『月岡:米騒動のち日本晴れ』
「おりゃあ!」
新発田市に入った剣十郎は、すでにアルダインの世が融合しかけていることを、一刀のもとに斬り伏せたキマイラの存在で知る。どうやら予報には間に合った様子。最新の情報では融合時間は実に九時間。大地と人の融合が成されるまで二時間もかかるまい。
「急がねばならないな」
疾駆する剣十郎の息は荒い。モバイルバッテリーの残量も心許ない。ポーチのスマートフォンには今もなおGPS連動のリアルタイム予報が流れている。
しかし地図の更新は鎖国前のものだ。そこにはない新造の建築物は巨大な門前仲町を形成し、一路月岡の地へと続いている。剣十郎が向かうのはまさにそこだった。
新潟県新発田市聖地、月岡。
かつて刀匠、
しかし、彼ら新発田の豪傑たちは、アルダインの者が顕現するや、二人一組でこれを抑え、純米酒を静脈に投与し自白を迫っている。薬用純米酒には自白剤以上の効果があると言われているが、果たして今もなお消滅の大地で生き残っていたドワーフの豪傑ですら一瞬で酩酊、自白、そののちに入信するという有様である。
「シャーリーは女、巫女だというが……ううむ。予報ではそんなに女はいないはず。探せ! なんとしても探し出すのだ!」
これに新潟の者たちは一斉に頷き、しかもあろうことか今し方素性を自白させられたドワーフの戦士までもがこれに加わっているではないか。
恐るべき酒の力であった。
「あれを打たれたらシャーリーが新潟県民になってしまう」
それは避けねばならなかった。
予報では。ああ、そうだ。この予報では、今回顕現する多くのアルダインの友人たちは、シャーリーを始め、月岡カリオンパークへと現われるのだ。そう、かの霊峰、聳え立つザンザード山脈の一部が見える、あの地に! 約束した、あの山の麓に!
剣十郎は脛を飛ばした。
どうやら融合するアルダインの大地はザンザード山脈の外れを含め、五つ。思いのほか、多い。融合する大地は融合しうる場所に現われる。次元を越え摺り合わされ、滑らかに馴染む。
街角の篝火は盛大に焚かれ、シャーリーの確保からすぐにでも新発田市新田神殿神官により、
「市長に報告だ! 指示を仰ごう」
一斉に駆け出す市の
「すまん。すまん」
今はシャーリーを助けねばならない。
月岡の地に到達する頃には、周囲の風景は温泉と水田に囲まれた、土俵と新田神殿の参道へと様変わりしている。
新発田城下町まつりだ!
いや、もはや浄化街とさえ言えよう。あふれ出る米の息吹! 空気中に滞留している清酒と硫黄の臭いが、鬼神米穀神を顕現せんとする新潟県民の祈りを糧に、魔素と化して空気を変容させていることは容易に想像ができる。コミケと同様の異界化である。
ついにアルダインが霊峰、ザンザードが月岡は本田山へと融合を果たしていた! 北には聖地カリオンパーク!
「きゃー!」
絹を引き裂く女の悲鳴! シャーリーだ! 剣十郎は抜刀し、参道を駆け抜ける。周囲の力士も忍者も侍も、なんだなんだと気色ばむも、空気に酔ったままの頭では剣十郎をはっきりとした敵とは認識できない。すぐに没頭するかのように、おにぎりを頬張りながら一升瓶に入った玄米を木の棒で脱穀する祈りの儀式を再開し始める。
カリオンパーク、そのカリオンタワーには、むかし恋人同士が恋愛成就のために列を成したといわれる恋の鐘が据えられている。しかしその祈りの場所には、水干姿の芸者が今まさに愛しのシャーリーに純度の高い純米酒を注入しようと一升瓶を片手にしている姿が!
周囲を囲む数百の月岡住民たち、数十の職員の多くは、みな狂ったように玄米を衝いているのみで、三人に気を回す様子はない。もはや神降臨のためのトランスに入っているものと思われた。
「剣十郎!」
恋人の叫びで意を取り戻すのと、眼前に襲い来る握り寿司に気がつくのが同時だった。
超一流の職人が鍛え上げた舎利の上に、魚介の霊魂である切り身を添えて使役する武芸用古神道の米料理である。
間一髪! 受け流した刀身に寿司の載った皿が滑り流れなければ、皿のエッジで首を断たれて即死していたであろう。新潟の米は食用だけではないのだ。見よ、そして聞け、剣十郎の躱した寿司ネタの焼きサーモンは桜の木に湿った音を立て潰れ、ブーメランのように翻った皿は幸せの鐘を高らかに打ち鳴らしたではないか。
刺客だ!
「下郎推参、この米泥棒め。その命、米穀神に捧げてくれよう。田畑の肥やしにしてくれるわ」
「貴様、その姿は!」
剣十郎が水干姿の武芸者を見上げると、うめき声を上げる。
エルフだった。
「アルダインの地より流れ着き、清酒と異文明に溺れた落ち武者よ!」
シャーリーの叫びに、剣十郎は臓腑が震え上がる。
「落ち武者!」
「そのとおり! 齢三百の若輩なれど、忍術コトダマ、そしてアルダイン魔術の数々を修め、 寿司ネタの霊魂をシャリに封じ込める寿司の妙技を会得。実に十五皿のネタをさばききれるかな? 貴様を殺し、このものを巫女とし米穀神を降臨させ、この地をカリフォルニア米で埋め尽くす! すごいぞアメリカの穀力は! 日本など敵ではない! アルダインの! いや、我らの新しい世界はアメリカと共にある! 米穀万歳!」
「米穀神の復活はさせん。シャーリーを取り戻し、貴様らの野望を打ち砕く!」
「やってみるがいい! せやァー!」
剣十郎はカンピョウで縛られたシャーリーが倒れ込むのを横目で確認しながらサンマの一撃をなんとか躱す。ネギの目潰し効果がショウガの揮発を得て強烈に視界を奪いにかかるが、涙を堪えず流しながら青眼に構える。守りの構えであった。
「とりゃァー!」
穴子の一本握りは幅広の一撃! 躱す動作も大きく取らねばならぬし、あの付け塗られたたれを身に受けては命に関わるだろう。
踏込む!
「せやせやせやせやせやァー!」
立て続けにイカタコエンガワ! 三皿同時の淡泊な連携。されどそれ故に味わい深い連携に、思いかけず番茶のぶっかけが飛ぶ!
一瞬の見切り! お茶、そしてガリの口直しあってこその古神道回転寿司の結界! この範囲はまさに鉄壁である。
米の魔力が、妖術と化した落ち武芸者の技と術に力を与えていることは明白であった。
「おりゃおりゃおりゃおりゃおりャー!」
季節前のホタテは毒! カッパ巻きは捲き菱にもなりうる。隠されて飛ぶ清酒の皿は漆塗りの数万の皿、高級品だ! いろいろな意味で、中るとまずい。
ずん! ずん! ずん! ずずん!
ずん! ずん! ずん! ずずん!
玄米を衝くリズムに、剣十郎の呼吸も苦しさを増す。
このままではいけない。
受け流す愛刀、ミズノタダクニMk-2が限界に近くなる。
「せやあ!」
踏込む! 待ってましたとばかりの捨て身の攻撃に、落ち武芸者の水干が舞い上がる。
十数の皿が、剣十郎に迫る。
斬られる前に、こちらの一撃で倒す!
意地を乗せた一刀! 八相から繰り出された渾身の一撃が、鉄壁の如く集約した寿司にガキンとばかりにはじき返される。
ビシィ!
その瞬間、開いた峰から刀身が砕け、地金を巻き上げて刀が折れ飛ぶ! 落ち武者の狙いはまさにそれだったのだ!
「馬鹿め、痩せ浪人風情が粋な真似を。そこで恋人が新潟県民と成り果て我らが野望に加担するところを黙ってみているがいい」
蛇のように巻き付くかんぴょうから身を守る術を、剣十郎は持ってはいなかった。
「吸い取る命は多い方が良い。ふふふ、県知事はもはや傀儡。このまま一気に新潟を、そして北陸関東東北、一気に制圧してくれよう」
「剣十郎! いやあ!」
県民はすべてトランス状態に陥り、玄米を衝いている。
ずん! ずん! ずん! ずずん!
ずん! ずん! ずん! ずずん!
そのリズムはまるで、復活する米穀神のもののように聞こえてきた。
ずん! ずん! ずん! ずずん!
ずん! ずん! ずん! ずずん!
「さあ、巫女よ。恋人を殺されたくなくば、純米酒を一気飲みするのだ。ラッパ飲みでな。ぁ風の巫女の、ちょっと良いとこ見てみたい――」
そう、注射では駄目だ。
純度の高い酒を、胃の腑から染みこませなければ巫女としての傀儡にはできない。かつてこの水干姿のエルフも、そのように巫女へと成り果てたのだろう。野望があったかどうかは定かではないが、清酒のラッパ飲みはそれほどまでに米を、日本の米を、米穀を愚弄する落ちた飲み方である。
「邪悪! 米穀神が怒り狂うぞ!」
叫び、それこそが狙いであると悟る。
狂った神は純粋な力となり、風に従ってしまうだろう。
実るほどに頭を垂れてしまう弱さをも持ってしまうのが米穀神である。そこを突くつもりだ!
「うう、剣十郎――」
シャーリーの慟哭。彼女の涙が呼んだか、ぽつりと、霊峰に巻き上げられた低気圧が影響し、剣十郎の頬をぬらす雨が、しとしとと――しとしとと――。
カリオンパークを囲む水田にも波紋が広がる。
積乱雲はまるで入道、いや、米穀神の降臨する巨大な姿にも見えてくる。怒りだ。怒りが渦巻いている。
……そのときだ。
「田に、雨。さて、どうなると思う」
どこからともなく響くその声に、剣十郎はハっとした。シャーリーもエルフの落ち武芸者も耳を動かす。
「誰じゃ!」
新潟県民はみな玄米を衝いているはずである。都市機能も休止し、新発田浄化街まつりのために、一心不乱に、ずん! ずん! ずん! ずずん! ずん! ずん! ずん! ずずん! と衝いていなければならない。だとすると――。
「受理は昨日。辞表を提出し今は浪人の身よ。――いやァー!」
轟音! 閃光!
「ぬううう!」
轟く雷鳴! 宙を飛ぶ一刀からコトダマ忍法により巻き起こった雷の一撃がエルフを襲うも、寿司の守りがこれをはじき返す。
刹那!
ナイキの薙刀の刃が飛び、剣十郎のカンピョウを両断する。自由!
「待ったは掛けぬ、これを使え痩せ浪人!」
カリオンパークの仏舎利から力士が露われ、その手に持った奇妙な刀を剣十郎に向かい投げつける。
おお見よ、そして聞け!
かつて人間国宝天田昭次が鍛えし神剣、一本一本がそれぞれ六道を遍く両断する刃を持つ直剣、その名も
その茎をしっかりと掴む剣十郎の肉体に力が漲る。
作刀――皇紀二千六百二二十六年七月吉祥日、銘は明日香宮大前、二尺二寸五分、反りはなし、地鉄は板目肌やや肌立ちごころとなる、焼刃は匂がちの直刃で匂口締まり、帽子は直に焼き詰められ、中心は鑢目筋違、先栗尻、孔ひとつ――。
新潟無双の神剣。かつて天田昭次刀匠が新潟の米穀神に捧げた宝剣だ。
「馬鹿な、そんなものを扱えるものなど!」
狼狽える墜ち武者に、一挙同で間合いを詰めた剣十郎の見事なまでの真っ向唐竹割りが奔る。
寿司の守りは悉く両断され、ネタは天へと還り、シャリは輝きに満ちて霧散した。
お見事!
墜ち武芸者の脳内に素直な賞賛が走る。魔力におごり侮った自分の不徳を呪ったのは、その次であった。嗚呼、
神剣に眉間を打たれた瞬間、戦意は喪失している。
不思議と骨盤まで存分に斬割された体に傷はない。神剣の奇跡である。エルフは立ち上がる。それを見上げる剣十郎の姿は、いや、双方の姿は、神気に満ちあふれている。
「見事なり。日本の剣士」
エルフはカンピョウの魔力を解き、シャーリーを自由の身にする。
「神剣を」
シャーリーは心得たかのように頷き、そして剣十郎は素直に彼女へ七支刀を手渡す。
今、日本は新潟の神剣は、アルダインの風の巫女の願いと共に光り輝き、米穀神の怒りと呪いを解くために大きく強く輝き出す。降りしきる雨は浄化の雨となり、遍く玄米を巻き上げて新潟中に飛散する。
米がすべての呪いを解くだろう。
天田昭次刀匠の練り鍛えた神気がこれを助けるだろう。
「いい一番だった」雷電は塩を撒きながら頷いている。
「俺にできるはここまでよ」雷蔵も笑って雷おこしを頬張る。
「ふん」ナイキの刃を投げた男は、背を向けて去り始めていた。またどこかで会うだろうか。
「感謝する」
借りを返したまでだと笑ったのはどっちだろうか。
「さあ、行きなさい。鐘は私が鳴らしましょう。このライスシャワーの中を、新潟から外に。長居してはいけません。すぐに作戦失敗を知ったアメリカが手を打ってきます」
七支刀を預け替えされたエルフに促され、剣十郎とシャーリーは手に手を取り、駆け出す。自分たちの世界へと。
高らかに恋人の鐘が鳴らされる。
霊峰ザンザードを横手に、東へ。東へ。恋人同士が駆け抜けていく。
「剣十郎!」
「シャーリー!」
互いの名を呼ぶ二人。彼らを見送る四人。
これは、日帰り幻想が日常と化したこの日本における、ありふれた――ほんとうにありふれた非日常のひとこまである。
彼らがその後、浪人問題をどうクリアし、同じ学び舎に通い、幸せな人生を送ったのかは、また別の話となる。
そして。
『おーい、アルダインさんや、まずはこれで一区切りかいな?』
『そやね~。さんきゅ~な~地球さん』
『あのぅ、ものは相談なんですが――』
『え、どちらさん?』
『むかしお世話になっていた、アトランティスって浮遊大陸なんですが、移転先がトラブっちゃって、出戻ってもいいかなあ~というお伺いをですね……』
『ええよ~』
などという会話が世界同士でされたかは定かではない。
だが、誰しも思い知るだろう。
人も世界も、ひとりではないということを。
――――――――おわらない。
恋愛転移予報 西紀貫之 @nishikino_t
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