第4話『長岡:花火大会張り手決行』
夕刻の長岡に入った剣十郎は周囲に溶け込むために変装をしていた。
さすがに長岡市内に入ると人も多く、一般行政を司る侍や忍者、浪人、公務員ではない
鎖国の新潟だが、ここ長岡は米の流通と神事を司る聖地だけあり、一面の水田風景とは一線を画した街並みとなっている。所々にある土俵は神官戦士たちの精鋭、肉体のみで戦う力士たちの聖域だろう。数の多さは信仰の表れとみて間違いはない。
急ぎたい。
さりとて、公共の交通機関に乗るには発行されているIC割符が必要となるが、これの偽造には間に合わなかった。車などを拝借するのは敵国とはいえ心苦しい。なるべく目立たぬように北に抜けるしかない。そうすれば、また閑散とした水田だ。駆け抜ければ事足りる。忍者の授業はいつも高得点だったのが功を奏している。
「祭りの準備。出店か」
気がつくと、長岡市役所――ウェブサイトが非常に見づらいと評判の長岡市シティホールプラザアオーレ長岡に誂えられた土俵脇、そこを北上する大手通。そこかしこには板橋とも余り変わらぬ出店の数々が軒を連ねているではないか。
「そうか、花火大会があるのか。――おっと失礼」
ふとポスターに目を留めた隙に、目の前の通りがかりに人とぶつかりそうになる。不覚。激突こそしなかったものの、容易に間合いに踏込まれていた。
「――む!」
己が不注意に内心舌を打つのと、眼前に投擲された
正三角形の重ね厚き手裏剣の如き毒灰汁で固めた米料理である。
間一髪! 間合いを離したときに頭を下げなければその毒刃に傷つけられ即死していたであろう。新潟の米は食用だけではないのだ。見よ、そして聞け、剣十郎の躱したそれはドネルケバブの肉柱に湿った音を立て、店員の南米人が甲高い悲鳴を上げているではないか。
刺客だ!
「下郎推参、この米泥棒め。その命、米穀神に捧げてくれよう。田畑の肥やしにしてくれるわ」
現われたのは農協の職員、即ち忍者であった。しかも上忍も上忍、今度は行司姿のところを見ると、司祭の位をも持つものであることが伺える。
周囲は人だかり、みな忍者や侍。絶体絶命! よもや自分の命がここで了やもしれぬ。その焦りが一瞬生まれるが、ふ……と剣十郎は脱力。諦めたのではない。全方位からの攻撃に備え、意を研ぎ澄ませたのだ。
「待った」
そのとき声がかかった。
その堂に入った「待った」の声に、殺気を漲らせた新潟県民出店役、実に五十四名と、毒刃灰汁笹巻きを放った行司が一方を振り向く。
「おぬし、雷おこしの雷蔵を倒した男だな」
「力士か」
相撲取りだった。神事を司る最高位の侍の役職のひとつである。
「名は雷電。雷蔵とは乳飲み子からの親友よ。行司、こやつは土俵で殺す。人柱にしてくれる」
「ゲエ!」
呻いたのは行司だった。
力士が土俵で戦うことは、神の一戦。すべてをこの一戦で決めるという一騎打ちの誘いであった。
「死ねばそれまで、俺に土を着ければ見逃してやろう」
「雷電! それはあまりにも出過ぎた真似ぞ。こやつは浪人、間者、ここで締め上げ背後を吐かせねば――」
「こやつの前に、行司、貴様と取り組んでも良いのだぞ?」
かわいがり!
上級職の行司すら逆らえぬ力士のかわいがりを、剣十郎は見た!
だが、生き残るにはこれしかない。
土俵は神聖。剣十郎とて装備を解き、マワシひとつでこの巨漢雷電と相撲を取らねばならぬのだ。
「お相手仕る」
剣十郎は誘われるままに長岡市シティホールプラザアオーレ長岡特設土俵へと寄る。ことの成り行きを見守る観衆たち、実に二百と数十人は、みな雷電の名誉と神事の威厳に口を出さない。異国の凶徒である剣十郎にも、相撲を取るものへの配慮と敬意を以てこれに接してくる。
武士の情け!
剣十郎は服を脱ぎ、下着姿となったところで、その上からマワシを締めることを許される。直マワシと髷を結うのは力士に許されたステータスだからであることは彼も知っていた。
「なかなかいっぱしの佇まい。ただの痩せ浪人と思うたが、なかなかどうして」
「遠慮は無用。力士雷電、この一番。結城剣十郎、胸と命を借りる」
「大きく出たな」
固められた土俵に上がり、東西に分かれて塩を撒く。
「東、結城剣十郎! 西、雷電!」
行司のかしこまった呼び上げ。堂に入る。
土俵の礼法は知識のみ。だが、それを指摘するものはいない。みな、この一番に固唾をのむしかないのだ。
「はっけよい」
立ち上がりの前の仕切り。
互いに両の拳を突き、腰をやや浮かせる。
「のこった!」
瞬間のブチカマシ! 猪首に支えられた雷電の頭突きが剣十郎の胸板を突き上げる。その一撃で心の臓を破砕するが如き衝撃だったが、剣十郎も並の侍ではない。おお、術理! 彼は正中面の粘りでこれをがっしりと受け止めると、浮いた腰をマワシごと掴まれはしたものの、血反吐を堪えながらもがっぷり四つに組むことに成功した。
どよめき。
会場が沸く。
「神事、いつからこんな下らぬものになってしもうたのか喃」
雷電の述懐が、呟きが、小さく漏れる。息もつけぬ体移動の妙技に剣十郎は答える余裕もない。
「米穀神の復活、下らぬ。神はそこにおわして見守るもの。顕現させ使役するなど不敬の極みよ」
「雷電、お前――くぅ!」
寄り切り寸前! 徳俵がなければ負けだ。四肢に力を入れる。いや、脱力! その力み無き全力に雷電が唸る。この少年は達者だ!
上手投げ! 間合いが離れる。その隙間、実に数十センチ。
この攻防ですべてが決まる。
全身全霊の張り手! 剣十郎の首を削ぎ飛ばす勢いのそれを、彼は右足を大きく下げて回避。土俵際でビシリと腰を落とし、その張り手が戻る前にその右腋下へ己が左腕をずいとばかりに差し入れ、右のまわしを取り、雷電の右肩から左腰までの正中対角線を一本の剣に見立て、左足を右前方に大きく踏込みつつ振り切る。
堪えきれぬ対全体の乗った柔じみたねじり込み! いや、剣術の袈裟斬り!
「ええい!」
お見事!
雷電の脳内に素直な賞賛が走る。見事に土俵において繰り出された体術! 膂力において侮った自分の不徳を呪ったのは、その次であった。嗚呼、
背を土にした瞬間、戦意は喪失している。
座布団舞う大歓声の中、力士雷電は立ち上がる。それを見上げる剣十郎の姿は、いや、双方の姿は、この暫時の立合いでもうすでに汗だくであった。魂の激突は数秒でもおおいな疲弊をもたらすのだ。
「行司、何をしている。勝ちを宣言せぬか」
「ぐぬう!」
剣十郎の勝利を挙げなければならぬ行司だが、『誤審切腹』のための脇差しを抜き放ち、あろうことか剣十郎に斬りかかってくるではないか。
「ぬあァー!」
「外道!」
しかしその行司は容赦の無い雷電の二丁投げであっけなく宙を舞い土俵から遠くへと叩きつけられる。もはや動けぬだろう。
「この雷電の、この土俵の名誉のため、長岡を出るまでは手出しはさせぬ。名は忘れたが、勇敢な者よ。貴様、目的は異界の巫女だろう。必ず救え。アメリカの好きにはさせてはならぬ。米穀はコシヒカリで良い」
そう言うと、雷電はにっかりと剣十郎のマワシを叩く。
「感謝する。……」
思惑。
神事、米穀神への信仰。新潟も一枚岩ではないらしい。
派閥は知らぬ。
着替えた剣十郎は、剣を腰に雷電へひとつ頷く。
「ケバブの南米人は間者よ。行く先々気をつけよ。往くなら、このまま8号路を北にゆけ」
良いのか、とは剣十郎も問わなかった。
良いのだ。
「見よ花火が上がる」
ドォオオオオン!
長岡花火大会の開催だ。
みな、剣十郎から視線を外す。この時間、天を見上げるのは長岡市民なら当然のことだ。誰も剣十郎に注視しなくとも、不覚悟にはあたらぬ。
見れば行司を叩きつけられた南米人が屋台の中で伸びている。
――手加減したな? いや、考えまい。
ドオオオオオオン! ドオオオオオオオオン! ドンドン!
しかし見事な花火だった。見るならば、彼女と見上げたいものだった。
「シャーリー」
剣十郎は呟き、見上げる新潟は長岡の民に一礼しつつ、北へと走るのであった。
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