第3話『魚沼:晴れのち異世界雨混じりの忍者』
魚沼は米所である。
バールログが異世界アルダインから融合し顕現したのがこの魚沼であり、当時収穫期という新潟で一番の神事中と言うこともあり、世を滅ぼすとさえ言われた魔界の大魔神は、衛星軌道上から発射された神の米俵、じつに67万8600トンもの大質量の直撃を受け、あっけなく消滅させられたのは記憶に新しい。
深夜。果てしなく続く水田の海原を碁盤の目のように縫うあぜ道を北に疾駆する剣十郎は、この収穫期を避けられたことに感謝していた。そうでなければ周囲に身を隠す場所もなく、あたりには高性能トラクターや屯田兵がひしめいていたことだろう。
収穫後の薄く水を抜いた田んぼは、休ませの時期に入っていたのだ。
この時期は決して新潟県民は仕事を、田んぼ仕事を働かない。
収穫祭に向けた作業に没頭する今だからこそ、こうして単身駆け抜けることができるのだ。
「予報では明け方までは晴れと思っていたんだがな」
傾いた月が曇り始めていた。その月が、二重に重なって見えるところを見ると、異世界転移直撃までの余波として、にわか転移が始まっている様子だった。
「これだからアプリはあてにならないんだ」
それでも、アプリケーション業者への情報提供元は気象庁である。精度の誤差は、愛嬌と割り切るしかない。
そんなことを考えた直後、水田に残った水面に、ポ――と波紋が走る。
「雨か……」
頬を打ち始めるそれに内心舌を打つのと、眼前に投擲されたおにぎりに気がつくのが同時だった。
巨漢の拳ほどもありそうな、かやく満載の爆弾おにぎりである。
間一髪! 雨交じりに夜空を見上げなければその爆発に巻き込まれ即死していたであろう。新潟の米は食用だけではないのだ。見よ、そして聞け、剣十郎の躱したそれは水田の合間を縫うあぜ道を吹き飛ばし、重く湿った周囲の土をドォンとつんざく轟音を立てて爆発しているではないか。
刺客だ!
「下郎推参、この米泥棒め。その命、米穀神に捧げてくれよう。田畑の肥やしにしてくれるわ」
現われたのは農協の職員、即ち忍者であった。しかも上忍。監査部所属の管理官クラスの難敵であった。給料も高そうだ。
「崩れそうな天気に田んぼの様子を見にきてみれば、祭りの前に子ネズミが一匹。ふふふ、命知らずの痩せ浪人か」
「お相手仕る」
互いに抜刀するや、忍者は深く腰を落とし、左右に体を開きあぜ道いっぱいに通せんぼをするように刀を水平に――左右一本ずつ、二刀流だ。
対する剣十郎は両手で構えた刀を顔の右横に垂直に立てる。左の拳を右頬に当てるほどの、やや高い構え。八相である。
彼我の距離は二十メートルほど。刀の間合いでも、海苔巻きの間合いでもない。ましてや手巻き寿司などの小型の爆弾を投擲するほどの隙を剣十郎が与えるとは忍者も思ってはいないだろう。
間合いを詰めるか。
剣十郎のその逡巡の瞬間、忍者は叫ぶ。
「かかったな小童!」
忍者が両の刀を天に放り投げる。
高く高く。
そしてピタリと止まる。宙にだ!
「忍法か!」
その通り。
忍者のしたり顔に目を留めつつ、剣十郎は頭上を摂られたその二刀をも注視しなければならなかった。
「ははは、アルダインとのにわか転移で融合した低気圧! 雨じゃ! 雨じゃ! 雨が降るぞ!」
叫ぶ忍者。
雨が降ると……どうなる!?
そんな剣十郎の疑問が聞こえたか聞こえなかったか、忍者は両手を組み合わせ印を組む。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前! ――ふふふ、田んぼに雨が降ると、どうなると思う」
「――コトダマ!?」
「もう遅いわ!」
それに気がついたとき、猛烈な轟音! 先ほどの爆弾おにぎりとは比べものにならないほどの轟音と閃光! 左へ横っ飛びにあぜの十字に飛び込まなければ即死だったに違いない。
――雷だった。
続いてもう一発。右へ飛んだ。
あの二刀が雷を引き寄せ、落としているのだ。
忍法である。
「勘のいい奴め!」
「雨に田、雷か――。忍法だな」
「アルダイン魔術とコトダマのリミックス。その身、米穀神の力である雷霆とぉぉおおおおおおくと味わわせてやる! いやァー!」
剣十郎はあぜ道の十字を動けない。頭上の刀もそうだが、田に逃げれば水田を打ち奔る雷霆を避けきることはできない。水を走り抜けたとしてもその電撃の威力は剣十郎の命を燃やし尽くすだろう。
絶体絶命! 逃げ場は比較的自由なあぜの十字のみ!
「そりゃァー!」
ズドオオオオオン!
「それェー!」
ズドオオオオオン!
二連発! さしもの剣十郎も為す術がない。
このままではやられる。
そう覚悟し、決死の斬込みをと思った瞬間だった。
忍者が懐から都度細かい何かを口に含んでいるのを見た。
「……ちょァー!」
ズッッドオオオオオン!
見た!
あれは乾燥させた米を使い、水飴などで固め切り落とした、この術の触媒であった!
「とりゃァー!」
「見えたぞ、コトダマ忍法『雷おこし』!」
懐に手を入れた瞬間を見逃さなかった。雷の数を数え、頭上の二刀をあえて無視し、その瞬間に一気に間合いを詰めた。
「ええい!」
不意の接近に忍者が出遅れる。防ごうとしたその手に武器はなかった。忍者は剣十郎の跳ね上げたミズノタダクニMk-2の切っ先に大きく胸板を斬り裂かれた。大胸筋を深く斬り裂かれ血しぶきが舞う。
お見事!
忍者の脳内に素直な賞賛が走る。忍法を破れぬと侮った自分の不徳を呪ったのは、その次であった。嗚呼、
すでに戦意は喪失している。
鎖帷子のせいで即死は免れたが、忍者は深く仰向けに倒れる。それを見下ろす剣十郎の数歩背後に、彼の二刀が音を立てて落ちる。
「祭りと言ったな。収穫祭か」
「新発田――『城下町新発田まつり』に我が米穀神が降臨なさる。くくく、異界の巫女が転移してくる。かの魔女、旋風のシャーリーが。かかか、米穀がこの世を支配する日も近い。ふふふ、すでにアメリカにも我らが同胞が――」
そこで忍者は意識を失った。
彼に血止めを施しながら、剣十郎は思う。
よもや、シャーリーを巫女として、米穀神を降ろし、復活をもくろむ企みがあるのやもしれぬ。
もはや一刻の猶予もない。
「シャーリー」
ここももうすぐ追っ手が掛け寄せるだろう。
恋人の名を胸に、剣十郎は雨脚の強まる魚沼を更に北へと走り抜けていくのであった。
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