第2話『谷川:米穀注意報ところによりナイキ』


「新潟県民はアルダインの民や生き物を、決して外界には出さない。すべては米穀の神にささげる大事な命だからだ。俺はシャーリーを救いに行く。止めてくれるな」


 剣十郎は同級生にそう言い残すと、魔境へ赴くために上越新幹線に乗り、転移予報日前に新発田市まで到達しようと目論んでいた。

 以前の転移ではアルダインの者が無碍に殺されたという報告はなかった。しかし、鎖国政策をとっている新潟からの出国は認められず、未だ多くのアルダイン人が囚われたまま、米穀の手先として働いていると聞く。

 それもまた自治領としての法的権利だが、そうなってしまえばシャーリーは米穀新潟の所有物として心身の自由を著しく制限され、板橋区民の剣十郎との未来など到底果たせるものではなくなってしまう。

 それは、彼として断じて認められるものではなかった。

 退学覚悟で休学届を出し、いち浪人として国に迷惑をかけぬと血判をしたため、己が腰に愛刀を引っ提げて東京駅へ向かった。

 そこに待ち受けていたのは、果たして一度は彼を止めた同級生数人と、身分を隠したよく知るJ隊の面々であった。


「武運を」


 そう言う同級生が差し出す糧食を無言で受け取り深く目礼。


「新幹線は出島である谷川まで。そこから先は、片道飛脚。浪人ゆえ手助けはできんが、武運を祈る」


 J隊員の装備であろうか。ポーチに収められたそれを腰に、再び頷く剣十郎。


「行ってまいります」


 決意とともに乗り込んだ新幹線は、瞬く間に谷川に到着する。

 出島とはいえ深く新潟に斬り込んだ線路から見える風景は、現生の山野そのものだった。外部からの侵攻を鑑み米穀神が造物した魔境の一部である。この先、新潟の民のみが生活を許された水田が広がっているのは明白であった。そこはもはや聖域。立ち入ればたちどころに誅罰の対象となるだろう。命はない。文句も言えない。他国なのだ、もはや。

 駅を出、共同管理地区を脱出。

 その後は北に魚沼を抜け、長岡を抜け、一気に新発田へと向かう。

 その計画に変わりはなかった。


「その歳で浪人か。目的はなんだ」


 事務的な審査官に荷物を預け、愛刀を腰に「就職活動だ」と簡潔に答える。


「外国人は管理区からは出られん。仕事がほしければ入信するか、この地区で人足をやるしかないぞ」


 そう冷たく言われ、荷物は素直に返された。

 米穀神の加護をいったん受け入れてしまえば、剣十郎は身も心も新潟県民になってしまうだろう。しかし、そうしてしまえばシャーリーとの未来が潰える。米穀の徒として暮らすという選択肢もあるだろうが、それはなにかが許されなかった。

 それに、転移予報は新潟も受けているだろう。あれは全国全世界的な共有の情報だ。だからこそ、ここしばらくは新潟も警戒をするだろう。逃がさぬために。邪魔が入らぬために。厳戒態勢と言ってもよいだろう。これを抜けて、剣十郎はシャーリーをこの手にし、なんとしても戻らねばならぬのだ。


「新発田の北、荒川を遡上するように東へ米沢に抜ければJ隊の助けが受けられる。それにかけるしかあるまい」


 そう考えていた。米沢方面はJ隊の基地があるせいか、新潟の警戒網も激しく、侵入は困難だろうと谷川方面を選んだが、抜けるのは比較的たやすいとの情報が東京駅でもたらされた。J隊の面々には頭が下がる想いだった。

 谷川岳と石垣に囲まれた共同管理区の包囲を抜けると、むわっとするような湿気が彼を取り巻いた。途方もない広さの水田から流れてくる稲の呼気が溜まっているのだろう。刀に悪い。


「米穀神の息吹か。――や」


 剣十郎が中腹のけもの道をかき分けていくと、突然その眼前に海苔巻が投擲される。間一髪! 空裂音に気が付かなければ頭蓋を海苔巻に穿たれていたであろう。新潟の米は食用だけではないのだ。見よ、そして聞け、剣十郎の躱したそれは赤松の幹に深々と突き立ち、重く湿った周囲の空気をコォンとつんざく乾いた音を立てているではないか。

 刺客だ!


「下郎推参、この米泥棒め。その命、米穀神に捧げてくれよう。田畑でんぱたの肥やしにしてくれるわ」


 現れたのはひとりの山伏風の男であった。一本下駄ではなく、その足元はしっかりとしたトレッキングブーツであり、米穀神の神官戦士であることが伺える。長柄を扱う難敵である。

 神官戦士はそのトレードマークともいえる長柄、ポールウェポンの鞘をブンとばかりに振り飛ばすと、びしりと剣十郎の眼前十メートル前で中段に構える。


薙刀なぎなたか! ……貴様、それはナイキの薙刀! 鎖国の新潟県民がなぜアメリカのメーカーの薙刀を使う!」

「異なことを。いやァー!」


 裂帛の気合。

 神官戦士の薙ぎ払いでいとも簡単に周囲の大木が幹を両断され、曇天を掃くように倒れていくではないか。

 その切れ味を見せた薙刀の刃は、アメリカの武具メーカー、ナイキのロゴマークと同じ形である。鈍色の刃に朱色の柄。正規輸入品とみて間違いない。自社のロゴにするほどの自信作である。当然値も張れば、威力も保証つきである。


「そりャー!」


 立て続けの薙ぎ払いを右に左に躱しつつ、位置をずらして北へと急ぐ。


「逃がさぬぞ」


 追い立てる神官戦士の土地慣れした動きに、これは煙に巻けぬと覚悟を決める。

 足元の悪いけもの道。こちらの斬撃は国内メーカーであるミズノの逸品タダクニMk-2である。切れ味には定評があるが、長柄の威力に及ぶかどうかは各々の技量次第。


「お相手仕る」

「しゃらくさいわ痩せ浪人! ちょァー!」


 土地に慣れた神官戦士は、浪人に分が無しと踏んでいた。

 しかし剣十郎は板橋区民、樹海の足場、倒木撒き散らかる戦いの場など日常茶飯事であった。


「ええい!」


 隙が見えやすい大振りの薙ぎ払いを前に、一気に踏み込んだ剣十郎の拝み打ちが長柄を滑るように叩き落とし神官戦士の鎖骨に深々と叩き込まれた。


「げうっ!」


 お見事!

 神官戦士の脳内に素直な賞賛が走る。滑り来る足さばきに侮った自分の不徳を呪ったのは、その次であった。嗚呼、サムライ……!

 すでに戦意は喪失している。


「先ほど、ナイキの薙刀を使うことがさも当然のように言ったな。何故だ」


 剣十郎の問いに「異なこと」と、もう一度言うと、「我らが仕えるのは米穀神だからよ」と、にやりと笑い、そのまま意識を失った。

 そんな神官戦士に止血を施しながら、剣十郎はハっとする。


「アメリカのナイキ。アメリカ……米穀神……米国……」


 まさか。

 彼の背筋に、得体のしれない悪寒が走る。

 事態は彼が思うよりも深刻な事情を抱えているやもしれない。


「シャーリー」


 恋人の名を呟くと、彼は一路北にひた走るのであった――。


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