恋愛転移予報

西紀貫之

第1話『逢瀬と離別と次回の予報』


『地球さん、地球さん。あかん、わしはもうだめっぽい。表面に生き残った土地と生き物だけでもそっちの世界に移っていいかいな?』

『日本やアメリカとかがオッケーって言ってるで~。どうする?』

『いきなり全部は世界からだに悪いし、徐々に転移するわ~』

『おっしゃ、扉開けとくから好きに来なはれや~。都度一報くれたら助かるわ~』

『助かるわ~。んじゃ折見ていくわ~』




 ――などという会話がこの地球と異世界アルダインの間で取り交わされたかどうかは分からない。別の宇宙に最後に残った星がその命を終えようとしているなか、最後の力を振り絞り、この宇宙の地球に助けを求めたのは確かだと、昭和中期の天文学者、俵屋蒼月は言っている。

 高校三年生である結城剣十郎は日本人なら義務教育で必ず教えられる「日本とアルダイン、その融合と交流の歴史」を思い出しながら、その奇縁、その現象に深く感謝するようになっていた。

 確かに、国民はみな忍者か侍である日本や、みなガンマンや騎兵隊というアメリカならば、異世界の魔物の流入に対しても問題はないだろう。――事実、問題はなかった。


「シャーリー、ここにいたのか」

「剣十郎、今日は上手く会えたわね」


 東京都板橋区は昭和二十年以降、広大な樹海である。その外れに住む剣十郎はスマートフォンの液晶を消しながら、ケヤキの木々の間からニリンソウを掻き分けて現われた女魔術師のシャーリーに駆け寄ると、ゆっくりと手を取り合い視線を交わす。

 栗色の髪の、やや耳のとがった人間型の種族で、長い長い種の交わりの果てに生まれたエルフの……その力をほとんど失った末裔とのことだった。


「転移予報通りだな。シャーリー、一週間ぶり」

「会いたかったわ剣十郎。でも、深夜というのは少し健全なお付き合いにはいささか。いかんともしがたいわね」

「仕方がないさ、こればかりは」


 苦笑交じりに見上げると、東京大仏の側に聳え立つザンザード山脈の一部に視線を移す。日本の季節は秋口だが、アルダインの霊峰の一部を見上げると、月明かりを照らすような青白い色。雪のようだった。


「ローブの下はいつもの革鎧なのかい? こっちはまだ暑いだろうに」

「ごめんなさい。でも、このあたりもまだまだ生き残った魔物も多くて」

「生き残るのに必死なのさ。こっちに転移完了した人々や魔族のみんなのように、対話でなんとかできる相手じゃないからね」

「私の順番は、いつになるのかしら。ねえ剣十郎、わたしもこの日本であなたと暮らしたいわ」

「大丈夫。転移予報はいつもチェックしてるし、転移予定者の名簿も登録してるから、シャーリーの番が来たら必ず、万難を排して迎えに行くよ」


 剣十郎は腰に差した愛刀、シャープムラマサの革巻きの柄をポンと叩いてにこりと笑う。シャーリーはこの剣十郎に助けられた日のことを思い出す。そう、あれはアルダインの崩壊が、いよいよ決定的となり、世界があらゆる生き物の待避を行い始めて数年目のこと、今から日本の時間で四年前のことだった。

 シャーリーは崩壊し地表が縮小していく大陸、その中央に追い詰められるように逃げる避難民の内の一人だった。そのときはすでに知性ある種族はみな生き残りをかけて争いを止め、ひとつの群体として、生き物として協力し合っていた。

 剣十郎とは、四年前の、そのさなかに出会った。

 彼を始め日本男児は、異世界アルダインの人々が生き残るために、頼もしくも恐ろしい剣術と忍法でこれを助けきったのだ。

 死と隣り合わせの緊張と融和、交流と恋が生まれ、育まれるのに時間はかからなかった。

 ただひとつ問題はあった。


『約束の逢瀬ごと、いちどに地球へと転移できる人数は限られている』


 世界からの通達によってみな納得はするものの、その順番、その法則はあまりにもイキモノたちには不可解だった。家族や恋人同士であっても、バラバラに転移してしまうのだ。

 具体的には、一度に二千から三千人。それでも昭和の初期から融合を始めたのは、土地、そして獣の類いからだったことを考えれば、ヒトというイキモノが転移できるようになったのは人々に希望をもたらした。

 地球から融合を告げられた日本人たちは、まず日本にとって危険な動植物、多くは魔物の排除に全力を尽くすことにした。魔獣魔物の類いとは言え、アルダインが育み逃したいと考えた命であるが、対話と融和ができねば危険な外来種である。政府や住民は寛容と冷徹さを以て、これに当たった。しかし問題がひとつあった。


「世界が重なり合う『場所』と『時間』が、けっこうまちまちなんだよな」

「こっちは余り変わらないのだけれど。ここは? 樹海と言うことは板橋区なのよね?」

「大和町の南辺りだな。ずいぶん北上したよ」


 そう、アルダイン側の土地は少なくなったが、地球と異世界が近づき合う『逢瀬の時間』や、どことどこが重なり合うかという『約束の土地』の場所は、かなりまちまち――バラバラなのだ。


「約束の時間の内には触れ合えるが、それを過ぎてしまうと幻のように離れて行ってしまう。切ないわ。会える距離に現われるとも限らないし」

「時間と場所は、転移予報――政府のスマートフォンアプリで見られるからね。とりあえず週間予報だと……ほら、転移予報はOK! 来週デートしよう」

「そのアプリ信用できないから」

「でもほら、横浜辺りらしいから、またあの霊峰を目印に駆けつけるさ。……ナビは無くさないでね」

「わかってる」


 それさえあれば、彼女を見つけ出せる。

 これさえあれば、彼に見つけて貰える。


「便利な世の中になったよなあ」

「わたしもそういうの使うようになるのかなあ。魔法とは違うのよね? 使えるかしら」

「大丈夫だよ。世界の計らいでみな言葉も読み書きもできるようになったし、こっちの常識だってある程度は組み込まれているんだろう?」

「それはそうだけど。まあね、それが済んだ人から転移していくのも分かるけど――」

「寂しいかい?」


 剣十郎は岩場に腰掛けながらシャーリーを促す。

 彼女もそれに並び腰を掛けるが、表情は暗いままだ。

 そんな女性をそのままにさせる日本男児は少ない。戦前ならいざ知らず、好きな女の子には笑顔を。それが彼のモットーだった。


「お土産。そっちへの救援物資にはないと思うから、この隙にこっそり食べて。――はい、ヒゲオヤジのシュークリーム。バニラ入ってるやつ」


 黄色い手持ちの紙箱を開けると、なかには四つのシュークリームが。

 一瞬顔を輝かせるシャーリーだが、その生菓子の誘惑にはまった自分が恥ずかしくなり、ムっと頬を膨らませる。


「ちょっと、安い女だと思ってない?」

「え、保温して持ってきたカプチーノも要らない?」

「……要る」

「しょうがないなあ」


 笑いながら差し出される紙袋。大きいサイズのカプチーノがふたつ入っている。それを取り出し、シャーリーは飲み口をぺきりと折って、「いただきます」と口を付ける。ほんのりと、苦かった。甘さもちょうど良い。混ぜてきてくれたのだろう。長い付き合いだけのことはあるなあと、シャーリーはぽりぽりと恥ずかしそうに頬を掻く。


「そういえば、飢えた大型獣が暴れてたって聞いたけど」


 照れ隠しにそう言いつつ、シャーリーはシュークリームを手に取る。白いパウダーシュガーを落とさぬように紙の包みを持ち上げる。


「環七を下ったヌエなら練馬から来たジェイ隊に倒されたってさ。俺もついさっき一体を斃したし。あんなのが暴れてたら危ないよな。忍法か剣術をやってなければ太刀打ちできないよ」


 そう。日本人はみな忍法や剣術の達者だった。

 だからこそ、異世界人たちを受け入れられた。異世界と真っ向から立合い、受け止められたのだ。少なからずの犠牲も出たが、割り切った処に助けられている。アルダインの人から見れば、非情とも取れるような切り捨てぶりだったが、彼らはその犠牲を絶対に無駄にはしない。かつてあったに、そのような心を鍛え上げたと聞く。


「ん、美味し」

「そいつぁ重畳」


 シュークリームを頬張るシャーリーににっこりしながら、剣十郎は腰の刀をベルトから外して鞄の上に寝かせる。

 この時間に向こう側に手渡したモノは、向こうに残る。

 しかし、こちらに手渡されても決して残らない。

 シュークリームは食べて貰える。人同士も触れ合える。しかし、向こうのモノは、転移が済まなければ決して地球には、日本には来れない。日本のモノも、イキモノは決してアルダインには残れない。


「ねえ、今日は何時までいられるの?」

「あと三十分くらいかな……」


 短い時間。

 いつなんどき、どのくらいの時間重なり合うのかもまた、まちまちであった。


「それが終わったら、こちら側に来た人の護衛と案内の手伝い。シャーリー、それまでは一緒にいよう」

「そうね。今に始まったことでもないし」


 無理して笑うシャーリー。

 決して短いとは言わないが、名残は惜しいとひしひしと感じる。


「二年くらい前までは、助けて貰っていたときのように、召喚術で呼べたのになあ」

「アルダインには、もう魔術師が魔術を行使するに足る魔法要素が枯渇してるんだろう? もう、そっちの世界は――」

「滅亡、か」

「それは違う」


 剣十郎は「こっちと一緒になるんだ」と肩を上げて戯けてみせる。シュークリームのひとつに齧り付き、残りを箱ごと彼女の手の中に。


「日本の領海に『島』も増えてきたらしいし、折り合いつけてこっちに、こっちと一緒になっていってるよ。専門家は、あと二年以内に移転完了とか言ってたなあ」

「二年も待てないわ!」


 シャーリーは思わず立ち上がっていた。しっかりシュークリームは確保しつつだが、剣十郎に詰め寄るように顔を寄せて――「あぅ」と言いよどみまたとなりへと腰掛ける。


「だって来年受験でしょう!? 大学に行ったらいっぱい女の子も増えるし、行きたがってた大学は多種族受け入れてる学び舎だって聞いたし、オトコ誘惑する魔族だっているし、一見幼いけど中身は熟練のやり手ババアな淫乱精霊だってごまんといるのよ!?」

「そりゃいるけど、そこじゃないとシャーリーと一緒に通えないじゃないか。ゆっくり馴染むために用意された学び舎なんだし、それにそこの推薦取るのだってたいへんだったんだし、なあ、うん……」


 女の心配をしてるのよとは言い出しにくく、この天真爛漫な剣鬼は女魔術師の心情を理解しようとはしてくれるモものの、察するまでには至らない。


「このまま通い妻で二年もなんて。青春は一度しかないのよ」

「なにブツブツ言ってるんだ?」

「なんでもない。なくもない」


 それでも、別れまでの三十分弱は楽しかった。

 いろいろ話した。

 良いことも、悪いことも。喜怒哀楽のすべてを。


「じゃあね、剣十郎。また――」

「ああ、また――転移予報によれば、また来週の……日曜だな。たぶん横浜、たぶん夕方」


 いつだって予報は予報だった。


「また」

「うん、またね」


 消えゆく逢瀬、消えゆく崩壊する大地。

 シャーリーは救援物資の分配と巡回で忙しいだろう。あちらは、なんだかんだと言っても、滅びの世なのだ。

 可住地域が狭くなってきている上に、危険な魔物も随分と増えてきたという。加え、アルダインの生き残りを守ることができる人々も、次々に転移を終えてしまうだろう。守り手も少なくなるなか、次回会えるとは限らないのだ。


「シャーリー」


 剣十郎は腰に刀を差し、ひとつ息をつく。

 あちらに行けぬ我が身の至らなさに歯がみを隠しきれず、それでもこちらに来た人々を守り送るために、彼は樹海を巡る街道を南下する。

 J隊の迎えトラックが巡回を開始する時間までに戻らねばならない。


「シャーリー」


 彼はもう一度、小さく呟くのであった。





 しかしその翌日、剣十郎は朝の異世界転移予報番組、『きょうのてんい』を見て呻きを上げる。

 翌週の転移予報、アルダインが現われるのは、しかも『城下町新発田しばたまつり』に沸き立つ八月中旬から下旬にかけてのものであったからだ。


「新潟特区! しかも、あの新発田市……」


 さもありなん。

 アルダインが以前新潟に現われたとき、異世界の炎熱の大魔神であるバールログが現われたが、その瞬間に67万8600トンもの大質量を誇る米俵によってあっけなく潰されたという、神の民が住む土地だからである。米の神を崇める蛮族が住まう地、新潟。しかも新発田市はその者たちを束ねる剣豪が集う地域であり、現在鎖国中。行っては帰れぬ新潟片道飛脚といわれる修羅の国であったからだ。

 決意を固める剣十郎。

 しかし本当の驚愕はその日の午後に発表された、次回移住者リストに載った恋人の名前であった。

 次の逢瀬は、命がけのものとなる。

 その予感に身を震わせ、彼は下校の準備を整えるのであった……。 


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