第三話 友引忌
父の世代は職を求めて地元を離れる人が多かったようだが、祖父の世代は農家の働き手が求められていたせいか、長男でなくとも実家の手伝いをしながら農閑期に出稼ぎしたり臨時の仕事をする人が多かったという。
だから、村には本家を継げない次男以下が家を構えた分家というものが沢山あった。
本家で冠婚葬祭があれば、分家の者は頼まれなくとも駆けつけて手伝うのが不文律のようなもの。昨今では結婚式も葬式もそれなりの会場を借りてやるのが一般的だが、自宅で行っていた時代は大変だったらしい。
村では葬式だけは自宅から出したいという家が、実は今でも少なくない。
父の実家のある集落には大きな農家が数軒あり、それらのお宅もそういう考え方の古い家であった。
その年の春、ある農家の世帯主が亡くなった。
70代ではあったが現役バリバリで田んぼに出て働いていた人だった。家族は自宅で葬儀を行うことを決めた。亡くなってから全てが終わるまで一週間かかるほどの旧式の葬儀だった。
そんなに仕事を休めないと渋る身内もいたため、日程的にどうしても友引に当たってしまうことになったが、あくまで昔ながらの立派な葬儀にこだわったようで、日取りは二の次にされたらしい。
通夜や告別式はちゃんと寺からお坊さんを呼んで執り行ったのだが、村には全てを済ませた夜、集落や分家の人達が再び集まって「お念仏」という儀式をやる風習があった。
故人と同世代の者が先導役となり、祭壇の前で念仏を唱える。他の者はその後ろで先導役に続いて念仏を唱和するというだけの単純な儀式である。
先導役を務めるのは、故人が本家長男なら他家の本家長男、分家の者なら他家の分家筋の者というふうに、個人と同格の人間が選ばれる。必ず他人であり、親類が務めることはなかった。
その家も大きな農家で、亡くなったのは本家長男だったので、近所の農家の世帯主で70代のAさんが先導役を務めた。
それから一カ月後、Aさんは急病で亡くなった。
「幼なじみで仲良かったから寂しくなって一緒に逝ったんだべ」
近所ではそう噂された。
同じように昔ながらの葬儀が営まれ、お念仏の先導役はBさんが務めた。
その一ヶ月後、Bさんが亡くなった。
もともとあった持病が悪化したためと聞いたが、奇妙な偶然に集落の人々は「友引がまずかったんだろか?」と言いはじめた。
Bさんの時のお念仏は、誰もやりたがらなかったので、仕方なく最初に亡くなった人の弟であるCさんが務めることになった。本家長男ではないが、友引に葬式を出したことに責任を感じていたらしい。
Cさんはお念仏の翌日、亡くなった。
「分家だったから仏さんが怒ったのかもしれない」
集落の人々はさすがに恐ろしくなって、Cさんのお念仏はどうするのかと騒ぎになった。
「父の葬式は斎場でやります。お念仏もしません」
Cさんの息子さんはきっぱり言って近所の手伝いも断り、密葬という形でひっそりと葬儀を済ませた。
何かあるのではないかと、しばらく集落内は落ち着かない雰囲気だったようだが、結局それっきり何も起こらなかったという。
「お念仏が悪いわけじゃない。あれは友引だったから」
そういうことになり、今でもお年寄りが亡くなった時など、昔ながらのお念仏を行っている。
もうあまり若い人は参加しないらしいが、風習として続いて欲しい気もしないではない。そう思ってしまう私自身、やはりあの村の血を引いているのだなと思う。
ここまで披露してきた田舎の怖いお話、まだまだネタはあるのだが、ひとまずこれにてお開きにしようと思う。それでは、またいつか。
山村異聞 奈古七映 @kuroya-niya
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