第18話 太陽

「ぜぇ……ぜぇ……」

「ふぅ……」

「ぜひーぜひー」

 巨大な豚の化け物から命からがら逃げてきた私達は呼吸を整えながらゆっくりと階段を登っていた。

 杖をつきながらも、なんとか登る。現実よりも少ないとはいえ、疲労という概念を味わうはめになるとは思わなかった。

「セピアちゃん。大丈夫?」

「大……丈夫です……でも、なにもここまでリアルに……作らなくても……ぜひー」

「仕方ないわね。 現実と身体の感覚が離れないようにするために、あえてリアルに作ってあるらしいから」

 クラルテさんの顔を見るに、まだ余裕があるみたいだ。さすが本職の警官だ。

「止まってはいられないわ。死んだ二人のためにも、私達は生き残らなくては」

「死んでないっす」

 クラルテさんへのミズナさんのツッコミを聞きながら、私はさっき起こった出来事を思い出す。


『アースクエイク!』

 魔法を唱えながら、豚が巨大な足で地面を思いっきり踏みつけると、一瞬で周りの足場が完膚なきまでに破壊された。

「ギャアアアアアアアッ!」

 勇猛果敢にも攻めたフウ君とライ君が、その技に巻き込まれ、まったく同じ叫び声をあげながら奈落の底に落ちていった。

 一方、豚の化け物はというと、豚の化け物が作ったであろう魔法の床によってフウ君とライ君が落ちた穴の上に立っていた。

 ぎろりとこちらを見つめる、金色に輝く眼。

 それを見た私達は、逃げるが勝ちと言わんばかりに一目散に逃げてきたのだ。

「まだ大丈夫なはずよ。私のトラップアイテムによって足止めが出来ているはずだから」

 逃げてる途中でクラルテさんがトラップのようなものを仕掛けていたのを思い出す。

「そういえばクラルテさんの職業てなんなんすか」

「シーフ。盗賊よ。服装は似合ってないけどね」

 そう言ってミズナさんを笑顔で見つめると。

「でも、懐にナイフを仕込むにはちょうどいいわ」

 と、プログラム改造の犯人候補に向かって言うと、ニッコリと笑った。

 いや笑うところ間違ってますよ、と思ったがミズナさんはその笑顔に顔を赤くしていた。

 なんでだよ! と心の中でツッコミを入れる。そして、二人の会話を聞きながら、私は考えていた。

 次に、あの化け物が追ってきた時のことを。

 あの巨体が追ってきたら、今度こそ戦わなければならない。

 もしかしたらもう一度逃げられるかもしれないけど、前衛が欠けているこのメンバーで果たしてそれが叶うかどうかもわからなかった。

 そして、あれやこれやと考えても何も浮かばなかった。

 別にやられても死にはしないことはわかってるけど、それでも出来れば攻撃を喰らわずに済みたい。攻撃が目の前に迫って来た時の、あの怖さはいまだに慣れていなかった。

 空洞に三人分の人間の足音が響く。それ以外の音は聞こえてこない。でも、あの巨体が私達の後ろにいることは確実だ。

 言いようのない不安が、私の胸に押し寄せる。

 こんな時、誰かが助けに来てくれたらな、と思ってしまう。けど、その想いは頭を振って振り払う。

 だめだ。自分の力だけで、ここを切り抜けるように頑張らないと。

 そう私は思うと、小学生の時にもそう思ったことがあったな、と思った。

 

 あの時、私はこのゲーム、ソルテカランテを作ったヒーロークリエイティブ社が主催を務めたイベントに来ていた。お目当ては、日曜日の朝に放送されていた魔法少女アニメのショーだ。

「いいかい真菜。絶対に、はぐれちゃいけないよ」

「うん! 大丈夫! 真菜、はぐれたりしないよ!」

 はぐれた。

 これでもかというくらい早い段階ではぐれてしまった私はどうしていいかわからず、まったく動けずにいた。

 先にショーの場所に行ってもよかったが、お父さんが探しているかと思うとそこに居続けるしかなかった。別に迷子になったくらいで泣く歳じゃなかった私は、黙って通り過ぎ行く人々を見ていた。

 もっとちゃんと手を繋いでおけば良かった。そうしたら、お父さんに迷惑を掛けることもなく、もうすぐ始まるショーの時間にも間に合ったのに。

 そう後悔していると、いつの間にか目の前に一人の男の子がいた。

 誰から見ても、誰かと待ち合わせをしているようにしか見えないであろう私に、その男の子が言った。

「あっちで女の子捜してるお父さんいたぜ。見た目聞いてみたら栗色の短い髪に白色のシャツ、黒いスカートだってさ。君のことだろ?」

 私はこくりと頷いた。

「よし。じゃ、ほらよ」

 男の子が手を差し出して、握るように促す。

 自分と歳が近いであろう男の子と手を繋ぐのは、これが初めてだった。

 ちらりと男の子の顔を見る。男の子は私の顔を見ずに、顔を赤くして明後日の方向に視線をずらしていた。

 相手も私と同じ気持ちだと分かり、そっとその手を握った。

 私の手を握った男の子はすぐさま、人の波の中に入り込んでかき分けていった。

 今度こそ私は手を離さないように強く握り締めながら、彼についていった。

 そしてあっという間にお父さんがいるところまで着いてしまった。

「じゃ、俺はこれで」

 そう言うと男の子はまたあっという間に人の波の中に消えてしまった。

 すぐにお父さんに謝ると、お父さんももっとちゃんと握っておけば良かった、申し訳なさそうにしていた。

「でも、あの男の子が来て本当に助かったよ」

「え? お父さんのところにも来たの?」

「ああ。どうかしましたか? て、あの男の子がさ。だから女の子を捜してるんだ、って言ってら特徴を聞いてきて教えたら、その子ならあっちにいましたよ。連れて来ますか? って言うから思わずお願いしちゃったんだ」

「あ、そっか。だから私の服の色とか、分かってたんだよね……」

「いやぁ、あんな子、なかなかいないよ。見ず知らずの大人に声を掛けて、困ってるから助けてあげるって言ってくれる子は」

「そうだよね……」

 彼が消えていったところを、私はずっと見ていた。手を握った手が、まだ暖かいような気がした。

「真菜のお婿さんかもな。なんちて」

 お父さんがそう言って笑い飛ばしている。

 その言葉にドキッとしながらも、私はこう思うのだった。

 あんな子はなかなかいない。その言葉の通り、助けて欲しい時に誰かが助けてくれることなんてなかなかない。

 あの時の、あの子のように。

 あの子。

 あの子の前には、あの男の子のような人は現れなかった。

 でも、現れても、結果は変わらなかったに違いない。

 だって、相手はあの「ファンタスマ」だったのだから。

 

「疲労回復魔法でもあればいいのになぁ」

 ミズナさんが冗談交じりに笑い掛けてくる。

 そのおかげで、私は暗い過去から逃げることができた。

「しっかしながい階段だよな。いつ着くんだこれ?」

「そこにもうすぐって書いてあるわ」

 洞窟のごつごつした壁に適当に取り付けられた看板に汚い文字でそう書いてあった。

「もうすぐってなんだよ……セピア、大丈夫か?」

 そう言って、ミズナさんが手を差し出す。

「あ……」

 その手が、あの時の男の子の手と被って見えた。思わずミズナさんの申し出を断ってしまった。

「だ、大丈夫です……」

「そうか。もうすぐらしいからな。頑張ろうぜ」

 ミズナさんはそう言うと、前を向いて歩き出す。今度は、その背中があの男の子と被って見えた。

 目をごしごしすると、そこには水色の髪を束ねて作ったポニーテールを揺らして歩く女の人がいた。

 きっと、不安を感じてる私の脳が、ミズナさんが元は男だという情報を元に、あの時助けてくれた男の子だと錯覚させているのだろう。

 でも、と私は思った。

 ミズナさんが仮にその男の子だったとしても、この状況を変えることは出来ないだろう。

 今ここでいくらか私を元気付けてくれたとしても、あの化け物が来たらそんな元気なんて奪い去られてしまうだろう。

 それでも。それでも、少しの間のだけでも。

「ミズナさん」

「ん?」

「やっぱり、手を握っていいですか?」

 もしミズナさんが、その男の子だとしたら。

「ああ、いいぜ」

 またあの、助けられた時の、胸の辺りがフッと軽くなって暖かくなる感覚を味わえると思った。

 足元から、突き上げるような感覚を味わったのは、お互いの手が届きそうになった時だった。視界がめまぐるしく変わる。足が地面についていない。変わる視界の中に、時折あの豚の化け物が映る。

 そうか、あいつ、階段を突き抜けて来たんだ。

 そう理解したところで、ゆっくりと回転する身体の落下は止まらない。

 どんな風に落ちても痛みはないのはわかっている。怪我もしなければ死にもしない。ただひたすらに、怖かった。

「セピア!」

 ミズナさんの声が聞こえた途端、身体の回転が緩まった。やがて回転が止まると、自分が半透明の水色の球の中にいることに気づいた。ミズナさんの杖の先が赤く光っている。

 身体が地面すれすれまでゆっくりと近づくと、シャボン玉のような球体はパチンと割れて私を静かに地面に降ろした。少し離れたところに二人がいた。

 うつ伏せの私に二人が呼び掛ける。けれどその声が届く前に、豚の化け物の攻撃が始まった。

『ハウリング!』

 魔法を唱えた直後、化け物が塔を揺るがす程の叫び声をあげた。

「うおっ……」

「きゃ……」

 耳を塞いで下げていた顔を上げると、目の前にいた二人は私の手の届かないところまで吹っ飛ばされていた。

「くっそ……クラルテさん!」

 ミズナさんの呼び掛けにクラルテさんは応えない。どうやら吹っ飛ばされたダメージで気絶状態になったようだ。

「立て! セピア! 逃げるぞ!」

 立ち上がろうとした私に、次の攻撃が迫る。

『バインド』

 先程とは対照的な、静かな声で魔法が唱えられる。

 すると、両足に違和感を感じた。

 立ち上がろうとしても、立ち上がれない。それどころか、まったく足が動かなかった。

 足を見ると、紫色に光る鎖が両足を束ねるように巻きついていた。

『フレイムウォールッ!』

 見上げると、豚の左腕につけているリングが赤く光り始めていた所だった。どんどん赤くなるリングはその輝きをあっという間に最高潮に達すると一瞬、閃光のように光った。

 そして、突き出された左手の手の平から炎が発せられた。それは手の平を中心に垂直に広がった。まるでそれは、壁のようだった。

 壁が、前進を始めた。

 ゆっくりと、ゆっくりと。一瞬で燃やし尽くせる距離のはずなのに、わざとらしく。

「セピア!」

 でも、私は逃げることができなかった。

 なら、やることは一つだけだ。

「ミズナさん! クラルテさんを連れて逃げてください!」

「でも……」

「いいから!」

 そう言って、私は顔を伏せる。もうこれ以上話すことは無いとでも言うように。

 足元まで炎の壁が近づいているのを、音で感じていた。唸りを上げる、炎の音。

 でも大丈夫だ。これはゲームなんだから。死んだりなんかしないのだ。

 けれどなんだろう。この胸の奥から湧き上がってくるものは。

 私の直感が、これは危険なものだと告げていた。

 あの壁が少しづつ近づいてくる度に、湧き上がってくる感情、どす黒いそれが大きくなっていく。

 やがて、それが人の顔になって、口が耳まで裂けて、笑った。

 自分のことはいいから、なんて嘘だ。

 本当は助けて欲しかった。すぐに自分の元に駆け寄ってきて抱きかかえて逃げて欲しかった。

 手が震えている。

 心の中では助けて欲しいと叫ぶ自分が、情けなかった。

 走馬灯のように、あの記憶が頭に浮かんでくる。

 男の子が私の手を握った時の記憶。

 その手の、暖かさを。

 そして、「ファンタスマ」に会った、あの時のことを。

 ぎゅっと目をつむる。

 炎の唸る音が、すぐそこまで近づいていた。

 けれど、その炎は私の所まで来なかった。いくらなんでも、遅すぎる気がした。

 気がついたら炎の音にも変化があった。ごうごうと上げていた音が、どうもはっきりしない。もしかして、と私は思う。

 逃げ、られる?

 勇気を出して、私は顔を上げた。そして、その光景が、私の目に映った。

 その光景を、私は忘れることはなかった。

 一本の水色の光線が、炎の壁を押し返していた。炎の壁に当たった光線は水となって地面に落ちている。

 その光線を目で追うと、杖を壁に向けて光線を放つミズナさんがいた。

「確かにこりゃあゲームなんだけどよ」

 杖を構えながら、隙を見てはポケットから何かを取り出しては何かを口に含んでいた。おそらく魔力回復用のアイテム、「魔法の木の実」だ。それをなん粒も食べながら一歩一歩進んでいく。

「くっ……やっぱ消費きっついぜこれ。ああ、でもよ」

 実をかなりのペースで口に含んでいく。巨大な炎の壁を一人で押し返すとなれば凄まじい魔力を使い続けなくてはならないはずだった。アイテムも、無限にあるはずがなかった。いつか底を尽きて、炎の壁が私達を飲み込むだろう。

「目の前でよ、苦しそうな声でよ……」

 それでも、ミズナさんは強力な青い光線を放つ杖を制御しながら、一歩一歩近づいてくる。

「逃げて、なんて叫ぶやつがいるのを放っておいたらなぁ……」

 胸の奥から、違うものが湧き上がる。どす黒い何かがやってきた方向から、それは近づいてくる。それは黒い何かよりももっと大きくて、綺麗で、キラキラと輝いていた。

 やがてそれは、黒い何かを切り払い、私の目の前に現れた。

「男がすたるってんだよッ!」

 ミズナさんが私の所まで来て、手を差し伸べる。私は迷わず、その手を握った。 

 握ったそれは、太陽の光のように暖かった。

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もしもお兄ちゃんがゲームの世界で爆乳お姉ちゃんになっても つけもの @wind-131

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