禁止薬物:茶

鯛あたる

禁止薬物:茶

『――当該車両は21区西側へ逃走中。繰り返す。当該車両は』

 脳内に、若い男の声が聞こえた。あのヘボ医者め。電脳改造クラックだけでいいって言ったのに、無線傍受機能までつけやがって。


『追跡を継続せよ』

 別の声が入ってきた。今度は結構年を食ってるな。二人の男が無線越しに会話しているようだ。


 うるさい。わずらわしい。不愉快だ。


『課長。どうやらホシは域外へと向かっています』

『問題ない。廃棄区画とはいえ、法の下にある。任務を遂行する』


 まったく。ホシだの、法の下にある、だの恰好だけいっちょ前だな。一体何の話をしているんだ、こいつらは。まぁいい。今日は疲れた。さっさと家に帰りたい。

 俺は意識を両手に集中させる。今はまだ自動運転モードだが、域外に出ればこのハンドルを自分で操作しなきゃならない。


 アラートが鳴る。

 フロントガラスに警告文が投影される。


 ”道路交通法405条2項により、本車両は都市区域外での走行に関して一切の責任を負いません。又、自動運転機能は停止されます”


 毎度毎度。面倒なものを。フロントガラスを思い切り割ってやりたい衝動がふつふつと沸き上がってくる。だが、しない。強化ガラスの硬さは、俺の拳が覚えている。


『当該車両、区域外へ出ました』

『了解』


 域外の景色は自然に飲み込まれようとしている。廃棄されて千年、人類が電脳化と引き換えに失った自然が、再び主導権を握り人類の遺産を飲み込もうとしているのだ。

 ハンドルからフィードバックが入ってくる。俺は思い切りアクセルを踏み込む。メーターが跳ね、景色が加速する。


 すぐに家が見えてきた。

 車を止め、中に入る。


「あら、アキオさん。お帰りなさい」

 ミカが家の前に立って、俺を出迎えていた。切れ長の瞳、意志の強さの滲む鼻と口元。だが、笑う顔は猫を思わせる。気が強く芯があるのに、男に媚びる色っぽさを兼ね備えた女。絵に描いたような俺の理想通りの女だ。本当に、俺の頭の中から出てきたんじゃないか、というくらいの。


「ただいま。手に入ったぞ、あれ」

「よかった。じゃぁそれをどうしましょうか」

「そうだな、何か簡単になものにしてくれ」

 俺たちは家の中に入る。

 ミカが台所へと歩いていく。


『ホシが廃墟へ入りました』

『小型監視カメラを使え』

『――ホシ、独り言を何やら話しています。――器を取り出しました。何かを作っているようです』

『了解。薬物取締法に基づき、銃の使用を許可する。――気を付けてくれ。カフェインを摂取した電脳は暴走するぞ』


 俺は、ミカの背中を見つめる。愛おしさがこみあげてくる。よかった、本当に。茶が手に入って。

「お茶漬けでいい?」

「ああ」


『ホシ、茶を取り出しました。再び何か独り言を――』

『独り言はカフェイン摂取による幻覚効果によるものだろう。なんて言っている』

『お、ちゃ、づ、け――と。』

『おちゃづけ……? ――聞いたことがないな、いや、待て、どこかで……』


「できたわ」

 ミカが小さな器に盛られたお茶漬けを運んできた。湯気が立ち、白米の甘い匂いと茶の匂いが混ざって食欲を掻き立てる。いい匂いだ。

 最近の末端価格の値上がりは異常だが、この逢瀬のためにも、茶をやめることはできない。ミカに会うには、こうするしかないのだ。


『突入します!』

『待て! ……中止だ!』

『何故ですッ』

『思い出した。お茶漬け。でんぷんの分解で発生する酵素はカフェインの吸収を助ける。すぐにその場から離れろ。ホシの電脳が吹き飛ぶぞ』


 俺は器を左で持ち、箸を右手に、勢いよく茶と白米を書き込む。最高だ。最高にうまい。


『了解ッ』


 目の前でミカが微笑んでいる。天女のような笑みだ。だが、羅刹女のようにどこか妖艶でもあって。俺は下衆な欲望が下半身に沸き上がってくるのを感じる。これを食べ終わったら、余すところなく彼女の体を堪能しよう。この、俺の想像から生まれたような女の肌を撫で、舐め、揉みしだいてやろう。その男を誘う瞳に、俺の欲望を刻み込んでやる。


「どうしたの、あなた。いやらしい目をしているわ」

「いいじゃないか、今日くらいは」

 ああ、なんて幸せなんd――。

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禁止薬物:茶 鯛あたる @tai_ataru

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