最終話 落し物②

 気づくと僕は病院のベッドにいた。ふわりとした春風が、病室に桜の花びらを運んでいた。ピンク色の小川の横の小さな机に、一つの便箋が置いてあった。ベッドに立てかけられていた松葉杖を使い、ぐっと立ち上がる。

「うっ」

 腰のあたりに激痛が走る。昨日...だとは思うが、転んだ時にぶつけたのだろう。右腕は三角巾で吊られていた。慣れない松葉杖に戸惑いながらも、便箋の元までたどり着く。母からであった。


 祐へ 

 まず、誕生日おめでとう。今日で十八歳ですね。そんなおめでたい日だって言うのに、あなたが急に病院に運ばれたって高田くんから連絡があって、びっくりしました。ひどい怪我は右腕の骨折くらいで済んだのはラッキーだったって。本当に気をつけてください。天国のお父さんも心配していますよ。

 それから高田くんにありがとうと言っておきなさい、救急車呼んでくれたの高田くんなんだから。

 お母さんは仕事があるのでいないけれど、ゆっくり休んでね。

 あ!あと、探していたアルバムが見つかったので、ベッドの横に置いておきました

 

 ベッドの横の机には、確かに見覚えのあるアルバムが置いてあった。ベッドまで戻り腰をかけると、それを手に取る。ページをめくると、一枚目には「我が息子、誕生!」と、とりあげたばかりの赤ん坊の写真が映されていた。十八年前の今日の、写真なんだ。

 次にめくると、どれも同じような、ただ赤ん坊が寝てるだけの写真がずらりと並んでいた。ただ二、三日開きながらだが、少しずつ変わっているのがわかった。

 ページをめくっていくと、急に赤ん坊は幼稚園生になっていた。入園式と、お遊戯会、そして卒園式。三年間はあっという間に終わってしまっていた。小学校の入学式の次は、運動会の写真と、星を見に行った長野での写真が収められている。次のページには、何もない。その次のページも、そのまた次も。

 

 改めて見ると、確かに母の言う通り、少ししか写真は残っていなかった。

 なんだか悲しくなってバタンとアルバムを閉じると、一番最後の方に少しだけ、飛び出している紙が見えた。そこのページには、僕のとびきりの笑顔の写真と、不自然に空いているスペースがあった。何かここには、写真があったはずなのだろう。


 改めて思うと、高田と父の作戦は、バッチリ僕を騙していた。確かにあのまま騙されて終われたなら、僕は胸を張って、父との思い出を噛み締められただろう。

 でも秘密を知った今、本当の思い出をたった一つだけでも多く作れていればと、後悔が止まらなかった。


 高田にありがとう、とメッセージを送ろうとは思ったが、ありがとうと言う五文字を打つ指は、どうしても途中で止まってしまっていた。重すぎて消化できない出来事に、体が言うことを聞いてくれない、自分の体じゃないようにも感じた。父を失ったんだと、より切に感じられるようになってしまった。

 彼のしたことは許せないし、彼のことまで嫌いになりそうだった。頭の中では、彼が、僕の親友の彼が、僕のことを、僕らのことを思って恐ろしい思いをしながら僕を騙していたこともわかっている。それでも、彼に次会うとき、笑顔で接することができるかなんてことに、自信はなかった。

 

 その日の夕方、母が病院に来ると僕は、父の墓参りに行きたいと言い出した。入院と言っても怪我はそこまで重いものではないし、手当はもちろん念のためにした他の検査も無事終わっていたので、大事をとってもう数日入院する予定ではあったが、先生も退院の許可を与えてくれた。


 車に少し揺られると、あたりを森に囲まれた墓地についた。駐車場から母の後について父の眠る家へ向かう。

「あ、高田くん...」

 母がそうこぼすのを聞いて、母の目線の先の、僕の父が眠る墓に一人の先客が頭を下げているのを見つけた。彼は僕らに気づいて頭を上げ、こちらを振り返る。

「祐...怪我は、大丈夫なのか...?」

 僕は愛想なく頷いてみせた。

「そっか、よかった...じゃあ俺、先に失礼します」

 そう言って母に頭をさげると、彼は僕の横を歩き去っていった。彼の目は赤く腫れ、涙に濡れていた。

「高田くん、今晩、うちにご飯食べに来てくれないかしら。せっかくの誕生日なのに、この子と二人きりじゃ少し寂しくてね」

 僕も高田も急な発言に唖然とし、止めようとした時にはすでに、母が高田の親にも連絡をつけてしまっていた。

「じゃあ七時に来てちょうだいね」

 そう言うと母は水を汲みに歩いていってしまった。

 僕らの間に沈黙が流れる。

「ごめん、じゃあ...」

 高田はそういって帰っていった。

 

 父の墓参りは無事に終わり、家に帰る。別に家にいなかった時間はほんの半日ほどなのだが、すごく懐かしく感じられた。母に言われ晩御飯の準備を手伝わされる。

 炊くお米の量を久々に増やす。ここ最近は二人分だけしか炊いていなかったので、加減に少し戸惑ってしまった。これからずっと、二人分だけなのだ。大人になって帰省したとしても、二人分。いつかは一人分になって、また二人分になるかもしれないし、もっと増えるかもしれない。


「お邪魔します」

 いつになく遠慮気味に入って来た高田は、お土産にバウムクーヘンを持って来てくれていた。よくあるおばさんらしい感じの母のあら、ありがとうに高田がへこへこしていた。

 テレビの明るい音によってなんとか保っているが、三人で囲む食卓はやはり気まずく、いつもよりも豪勢な夕飯は、食べ物の味がしなかった。元からあまりない食欲を満たすために、口に食物を機械的に入れていく。早く終わって欲しいとすら思ってしまっていた。

 

「二人とも、見て欲しいものがあるの」

 母はおもむろに席を立ち、一枚のDVDをテレビに入れた。映し出されたのは、父の顔だった。

「祐、お誕生日おめでとう!俺はもういないかもしれなかったから、高田くんに後は任せていたけど、念には念を入れて、こうしてビデオレターを作ることにしました。最後まで見るんだぞ」

 その言葉の後、画面はだんだんとズームバックしていき、たくさんの写真でできた、おめでとうと言う文字が表示される。

「この写真、高田くんにもらったのよ」

 驚いて高田の顔を見る。恥ずかしさと申し訳なさが入り混じったような顔でうつむいていた。


 シーンが変わって、謎の病院が映し出された。ここは祐が生まれた病院です。覚えていますか?と父のナレーションが入る。そのまま幼稚園、小学校、中学校、高校。馴染みのある場所が映し出されていく。

「たくさんの人が、場所が、支えてくれました」

 また父のナレーションが入る。

 今度は見覚えのある、原っぱが映った。

「家族できちんと旅行したのは、ここくらいだったかもしれません。祐とお母さんと、もっとたくさん遊びたかったなあ」

 席の向かい側で母が泣いている。

 今度は小さい子供二人と、父が遊ぶ姿が映し出された。

「高田くん、いつも祐とおじさんと遊んでくれて、ありがとね。もしかしたら、おじさんのせいで君たちにひどい迷惑がかかってしまったかもしれない。そうなる可能性があっても、祐とおじさんのためにこんな嫌な役をやらせてしまって、本当に、感謝してもしきれません。ごめんなさい。どうもありがとう」

 高田も、僕の後ろで泣いていた。

「祐、お父さんはあなたにとって、ちゃんとしたお父さんになれたでしょうか。お誕生日を祝うことすら、まともにできなかった父を、どうか許してください。生まれてくれて、愛させてくれて、お父さんの息子になってくれて、どうもありがとう。愛しています。これからもずうっと、見守っているからね」

 最後には、僕も父も、母も高田も、みんなが泣いていた。

 涙の音が、響いていた。



 「祐!遅れちゃうわよ!」


 一階から母が自分の名前を呼んだ。


 父のおさがりのスーツに、少し背筋がしゃんとする。いつの間にか来た卒業式に、驚きと、寂しさと嬉しさが、ぐうっと込み上げてくる。

 「今行くよ!」

 階段を駆け下りながら母に言うと、机の上のロールパンを掴んで玄関に向かう。

「先に乗ってるから」

 そういって外に出ると、一年ぶりの春の日差しに、思わず笑顔になった。背伸びをしながら思い切り空気を吸う。未だ少し冷える空気が、去年のことを思い出させてきた。

 お父さん、いってきます。


「おい、祐!こっちこっち」

 学校に着くとすぐに聞こえた高田の声に

「今行く!」

 と返すと、母の方を向いた。


「母さん。今まで、ありがと」


 少し照れくさいけれど、一つ大人への階段を登る今日、どうしても母に伝えたかった。すっかり涙腺の弱くなった母は早くも涙目になりながら

「もう、早くいきなさい」

 と笑って返してきた。


 高田と二人で教室へ向かう。最後の登校だ。大学では初めて、高田と違うところに行く。僕は東京へ。高田は九州へ。もう、二度とない歩みに、足取りが重くなる。

「おい、祐、置いてくぞ」

 感慨深さのかけらもない顔で、高田は僕を急かしてくる。全くこいつってやつは。


「あれ、なんか落としたぞ」

 僕のスーツからひらりと落ちた紙切れを高田が拾う。何もスーツには入れてなかったはずなのだが。

「ほら、こんな落し物二度とすんじゃねえぞ」

 少しムッとしてそれを僕に渡してきた。


 僕と母と父と、三人みんなが、とびきりの笑顔で映る。

 一枚の大切な、父の落し物だった。


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落し物 横谷 タクミ @TK_yo_ko_

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