第4話 落し物①

 数メートル感覚で白く輝く街灯が、自転車を漕ぐ僕の視界を流れていく。まるで地上を走る流れ星のように見えた。ただ、珍しさのない人工的な流れ星に、価値などないかもしれないけれど。


 あの後父からは午前二時に裏山の展望台に集合しようという連絡が来ていた。星をわざわざ見にいくなんてことは、小学生の頃に家族三人で長野の方に旅行に行った時以来だからだいたい十年ぶりくらいになる。さっき図鑑を眺めていると、なんだかあの頃の情景も思い出されてきた。

 原っぱの少し鼻にくる緑の匂い。初めて見た本物の流れ星には思わずお願いを忘れちゃって、やっともう一つ流れたと思ったら、お願いを悩んでいるうちに消えてしまっていた。お父さんはお願いできたと自慢げに僕に言っていたけれど、何を願ったかなんて覚えていたりするんだろうか。後で聞いてみよう。

 

 展望台に着いたときは、まだ約束の時間まで十分ほど余裕があった。そもそもこの展望台にこんな遅くにくることもなかったので、ほとんど初めて見るであろう自分の住む街の夜景を、先に味わってみることにした。展望台の柵にもたれかかり、遠く見渡す。こんな時間でも、働いている人がいるのか。ビル群の中に未だ残る明かりを見て、改めて社会への不安を感じる。僕はもうすぐ大学に入って、社会に出て、あそこに行くのか。


 そんなことを思っていると、後ろの方から人の声に似た物音が聞こえる。慌てて振り返るが、そこには誰もいない。音のする方に忍び足で近づく。ベンチの裏に人影が一つ。影は僕に気づいて顔を上げると、左手を右肩に下げるトートバッグに突っ込み、こちらに近づいて来た。街灯に当てられ露わになった影は、ただの高田であった。


「なんだ、もう父さんも来てたのか」

「ああ、うん。じゃあ、早速みようか」


 父はさっき確かに何か持っていて、それを読み上げていたように感じる。ほんの少しだけ、ごめん、と聞こえた気がして、僕の不安は募っていった。

 父の持って来たレジャーシートを広げ、その上にテント用のマットをそれぞれ敷いて寝転がる。二人で寝転がっていると、ただ高田が僕の横に寝ているだけで、あまりにも父のようには思えない。なんだか可笑しくて笑ってしまうと、父にどうかした?と尋ねられてしまった。別にと素っ気なく返してみると、父も素っ気なくふうんと返す。

「曇らなくてよかったね」

「そうだな、月も出てないし。父さんもこんなに見えたの初めてかもしれないよ」

 二人で見つめる夜空には、本当にたくさんの星が輝いていた。


「あ、流れ星」

「え!どこ、どこ」

 僕が慌てて父さんの向く方に目を向けるも、もう流れてしまっていた。

「こんなこと、昔もあったよな。あんな一瞬で三回もお願いできないって怒ってたっけ」

 父もしっかり覚えてくれていたことに、素直に嬉しくなる。忙しい仕事の合間を縫って遊びに出かけた昔に、今の姿が重ねられた。ほんの少し前じゃ考えられないような、この楽しくも儚い生活を思うと、胸が苦しくなって、少し涙が出て来そうになる。高校生にもなって父の前で泣くのは恥ずかしくて、欠伸をして誤魔化す。

「そういやお父さんは何をお願いしたのあのとき」


 父は少し黙って考えると、とってつけたように

「祐とお母さんがずうっと幸せでいますように、かな」

 と笑って見せた。

 自分を入れないところが、少し父さんらしい気がした。

 

 またしばらく星を見ていると、キラリ、と流れ星が見えた。

「あ!」

 と横を見ると、父はなぜか泣いていた。はっきりと涙を見たわけではないが、目元がこちらもキラリと、光っていた。声をかけるのをやめて夜空を見上げる。僕は、父が消えませんようにと、お願いしていた。




「なあ祐、ごめん」

 二回目の流れ星から十分ほど後、震えた声で父が言いだした。やはり、ごめんと聞こえていたのは気のせいではなかったのだ。

「お父さんさ、消えちゃうんだ」

 なんとなく、そう感じさせられていた僕は、父がまたいなくなると言う事実に、今度こそ消えてしまうと言う事実に、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。でも、向き合わなければならなかった。

「本当にごめんな、何にもしてやれなくて。こんなことなら、もっと有給使っとくべきだったよ。バカな父さんでごめん。母さんのこと守ってくれよな」

 もうやめてくれ、わかったから。わかってるから。それ以上、言わないでくれ。

 父の嗚咽に、僕も涙が止まらなくなっていく。一度頬を流れると、そのまま二粒目が、三粒目が、流星群のように、落ちていく。


「父さん。僕、最後になっちゃうのかもしれないけど、こうして父さんと思い出を作ることができて、本当に良かった。今まで、たくさん迷惑をかけてきたし、いっぱい怒らせちゃったし、駄目な息子だったと思うけど、ここまで育ててくれて、愛してくれて、本当にありがとう。僕は、僕は絶対、これから何があったとしても、父さんの息子だから。父さんの息子だから。それを誇りに、生きていくから」


 僕の言葉が僕の言葉として、頭で考えていることを言えているのかなんてわからなかったし、何を今伝えればいいのかなんてわからなかったけれど、高田に父さんが乗り移ったあの日から、僕の思う言葉を、そのままぶつけたいと思っていた。後悔をしている父のために、後悔をしている自分のために。

 

 僕の言葉を聞いている父は、さっきよりも顔をくしゃくしゃにして泣いていた。きっと僕も、ひどい顔をしているんだろう。でももう、恥ずかしさなんてなかった。


 父が急に立ち上がった。その弾みで、トートバッグから中身が飛び出る。

「あっ」

 父はそう叫ぶと、僕らは時間が止まったように固まった。

 

 雪崩のように崩れ落ちて来たのは何十枚ものコピー用紙で、大量の印字された文字と、いくつものペンで書き殴られたメモで埋め尽くされていた。暗闇でよく見えなかったので、興味本位で携帯の明かりをつける。そこには、僕の今までの人生の思い出がピックアップされて、事細かに説明されていた。同じような紙をめくっていくと、最後の十枚ほどに「思い出、完成版」と言うタイトルで、ここ数日の流れが記されていた。大体のセリフまで決められた原稿を見て、僕は何が何だかわからなくて父を見つめる。どんな顔をすればいいのかもわからなくて、ただただ、ぼうっと彼の目を覗き込んだ。

 

 相変わらず固まったまま動かない父は、ライトに照らされてか、顔が死人のように青く染まっていた。

「ねえ、父さん。いや...高田」

 資料の最後にある父から高田に宛てられた言葉が、僕にはどう言う意味か本当に分からなかった。どうか祐のことをよろしく頼みます、とは、どういう意味なのか。わかりたくもなかった。


「祐、ごめん。親父さんに、頼まれてたんだ。自分が死んだ後、一週間だけでいい。息子の面倒を見てくれないかって。お前に信用してもらえるよう二人の思い出もいっぱい教えてもらって、計画を一緒に練って。俺も、悪いとは思っていたけれど、それを引き受けちまったんだ。親父さんのフリをしてたんだ。本当に、ごめん」

 

「親父さんは言ってた。お前に何もしてやれなかったって、なんの思い出もあげられなかったって。ただ狂ったように仕事ばかりで、いつの間にか死にそうになってて、本当に、バカみたいで、どうにかしてやりたかったって。一緒に何かしたかったって」

 高田の言葉は、すでにショートしかけている僕の脳を、さらに熱く壊していった。

「もう死んでしまう自分にはもうできないけれど、祐、お前にだけでも味合わせてやりたかったんだって。本当に、騙しててごめん」

 高田が僕に頭を思い切り下げた途端、僕の中で何かが爆発した。何が何だか、何もかもがわからなくなって、ただ、走って逃げ出した。自転車も置いて、ただ力任せに飛び出した。


 自分ばかりが、自分だけが幸せに、誰の苦労も知らずにのうのうと生きていた事実が、許せなかった。辛い思いは、悲しい努力は、自分も一緒に背負わせてもらいたかった。

 頬を伝う涙など、拭うものか、枯れ果てるまで泣き叫んでやる。この思いを、拭うことなど出来やしないのだ。

「くそっ!くそっ,,,くそっ!」

 地面を蹴る足に力を込める。坂道をを利用して、どこまでもスピードを上げていく。

「ぐあっ」

 アスファルトのかけらに引っかかり、バランスを崩す。慌てて着いた右手に、嫌な衝撃が走る。それがなんなのか理解する暇もなく、無様に僕の体は転がり落ちていく。道路にぶつかるたび体が少し宙に浮かぶ。数メートルほど転がりながら、少しずつ僕の体は止まってくれた。体がうまく動かない。動かす気も無くなっていった。

 だんだんと、世界が闇に染まっていった。

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