第3話 思い出②

 何かを期待して過ごす時間はこんなにも短かったのだなと、いつの間にか学校が終わっていたことに気づいて思う。


ここ最近は何かと楽しくないことばかりで、ただただ退屈な外部からの騒音と心の中でうごめく不安との戦いに閉口してしまう日々であったから、たとえ「父の死」というものをふと思わせる僕らの連絡も、愛おしく感じられた。


 父からの連絡があるのは基本夜中、それも二時間くらいしか父はいないのだから、実際に僕らに与えられるのは一時間と少し。そう考えると、やはり照れくさいような父との時間は、そんな思春期のくだらないプライドが立ち入る隙などないのであった。


少しでも、ほんの少しでも、思い出を作らなければならない。父との大切な、別れのために。これからの僕の、人生のために。


 疲れているでしょと、母の家事を出来るだけ手伝い、彼女を早めに寝かせる。そして全然身の入らない勉強にいそしみながら、まだかまだかとその時を待つ。


 ブブッ、携帯のバイブ音がなるや否や掴み取り、通知をチェックする。


「今から30分後、河川敷に集合」


 父との連絡を見てすぐに部屋着のスウェットのまま部屋を飛び出す、ところだったが、母を起こさないように忍び足で、そろりと家を出る。一度寝るとあまり起きにくい母であったが、念には念を、だ。


自転車に跨り、力一杯に踏みしめる。まだまだ冷え込む春の夜風を切り裂きながら、ぐんぐんと進んでいく。最近になって鳴き始めた虫の音は、まだ少し寂しい。


 無人の坂を猛スピードで下っていく。顔面に吹き付ける風に息が苦しい。ずんずんと近づいていく坂の麓の交差点に、少しの恐怖を感じながらブレーキをかけていく。


こんな夜中に車など通らないであろうが信号で一応止まると、じんわりと体が火照ってきているのを感じた。胸いっぱいに空気を吸い込むと、冷気が鼻腔を駆け巡り、そのまま脳を包み込んで頭の芯から冷えていく気がした。


 河川敷には、まだ父の姿は見えなかった。街頭に照らされる河川敷の桜にも、たくさんのつぼみがあるのを見つけた。


「祐、お待たせ」


 聞き慣れた友人の声に振り返ると、そこには背中に長い棒をいくつか携えた父が立っていた。


「今日は釣りだ。ほら、行くぞ」


 そう言ってヘッドライトを僕に渡すと、早速歩き出す父の背中を追いかけ、川上に上って行く。


釣りというものを生まれてこのかたしたことがない僕からしたら、こんな適当な川でやったて釣れないのではないか、というのが正直な感想ではあったが、親子での釣りなどといういかにもありそうな思い出作りに、ワクワクとしているのも事実であった。


 しかし、釣りというものはなかなかに地味なもので、父に案内された少し穴場っぽい川べりにて糸を垂らすも、眠ってしまっているのか、川の生き物たちはうんともすんとも答えてくれなかった。横で餌の赤虫を針先にくくりつける父に思わず


「なかなか釣れないもんなんだね」


 とこぼすと、ははは、と少し申し訳なさそうな笑顔を向けられてしまった。


 自分の父を思いやらない軽率な言葉に罪悪感を抱きながら、竿を軽く上下に揺すっていると、ビクン、と竿が動いた。


「父さん父さん!かかった!」


 慌ててそう叫ぶと、父が駆け寄る。落ち着いて頑張れ、一旦泳がせて、そう、そこだ!いや待て、落ち着いて。などと僕の横でまくし立てる父に愉快な気分になりながら、せっかくのチャンスを逃さないよう必死で竿を握る。


だんだんと水しぶきが近づいて来るのを見て、網を取ってきた父が川に入って行く。ザブン、と網が水を潜るとビチビチと水をしぶきあげながら、僕の、いや僕らの釣り上げた魚が姿を表す。


川辺に用意しておいたバケツに入れ、ライトで照らしながら二人で覗き込む。名前もわからない、十センチにも満たないであろう小さな魚だったが、腹の底から喜びが湧き出てくるのを感じた。父も満面の笑みを浮かべ、よしとガッツポーズを見せていた。


「こうして遊んでると、父さん本当に高田みたいだ」


 とガッツポーズをしている父に言うと、慌てて腕を下げ恥ずかしそうに笑っていた。


「じゃあ、気をつけて」


 結局一匹しか釣れなかった魚を逃し、僕らも別れを告げると、帰り道にふと気づく、父は、これで成仏できるのか?もし明日、もう会えないのだとしたら、そう思うと焦りと不安が心を一瞬で染め上げた。


 次の日は休日だった。どうせ休みだし寝なくていいやと、帰宅してそのまま読書に逃げ込んだ僕は、一冊を読み上げた達成感からか、そのまま眠りこけてしまっていた。


体にまとわりつく汗の不快感から目を覚ますと、すでに夕暮れであった。慌てて飛び起きて一階に駆け下りる。リビングのドアを開けると、母がソファに寝転がりながらドラマを見ていた。


「あら、おはよう。よく寝たわね」


 振り返ってこんな呑気なことを言い放つと、彼女はまたテレビに目を向けた。なんで起こしてくれなかったんだと、問いかけようとするも、起こしたわよと返されるのが目に見えていたため、ぐっと飲み込んでまた自室に上がる。


 父さんは?携帯を見るも電源がつかない。充電切れである。急いでコードにつないでベッドに座り込む。


苛立ちからくる貧乏ゆすりに、ベッドがギシギシと軋む。カラカラに喉が渇いているも、まだ下になど降りられない。さっきリビングに行った時に飲んでおけばよかった。


 ブーと起動したことを伝えるバイブ音がなる。画面にはいくつもの通知が来ていた。まだ夜六時ごろであるのだから、父からの連絡は入っていないはずだが、あるかもしれないと、あってほしいという思いで、通知欄をスクロールする。色々なアプリからの煩わしい宣伝の中に、高田という名前を見つける。


午前三時のものと、つい一時間ほど前のものだ。一時間前の、本物の高田からであろう連絡は、宿題の範囲を教えてくれというものであった。ささっとそれを返信し、午前三時の、おそらく父からのであろうものを見る。


「次は、星を見に行こう」


 きっと、父はまだ成仏していない。本来なら喜ばないでいるべきなのかもしれない推測に、嬉々としてしまっているのを感じる。


昔読んだ漫画で、成仏できずに化けて出てくる兄を、妹が庇おうとする話を読んだのだが、その気持ちが痛いほどよくわかった。家族と居たいと思って、何が悪いというのだ。


 今晩に向けて、いつ最後に読んだか分からない天体図感を本棚から引っ張り出すと、一文字一文字噛みしめるように、これまでにないほど熱心に読み進めた。

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