第2話 思い出①
「おう、祐。俺だ。父さんだ」
正直なところ、状況が飲み込めなかった。こんな不謹慎で悪質な悪戯を、高田がするとも思えなかったし、でも、父なわけがないだろうと、僕を今まで作ってきた社会常識が言っていた。
「そんなわけがないだろうと思うだろうが、父さんだ。信じられないようなら、そうだな。俺ぐらいしか知らないはずの秘密を言おう」
秘密...?
「祐は、小学三年生までおねしょをしていた」
え?
「祐の初恋は、近所のお姉さんの恵ちゃんだ。彼女が結婚した時は本当にいじけてしまって大変だった」
わ、わ、わ。
「わかったから!やめてくれ!」
「いやー、僕のお嫁さんになるんじゃなかったの!と泣きわめくものだから、恵ちゃんもすっかり困ってしまっていたよ(笑)」
くそ、最悪だ。確かにこれを知っているのは父くらいだ。恵姉さんの結婚式の日、母はお祝いの準備があったから、先に出かけていた。つまり、このことを知っているのは当時一緒にいた父だけのはずなのだ。
「まだ、言ったほうがいいか?」
「もういいよ」
いいとは言ったが、正直父だとまだ信じきれていない。死んだはずの父が、友人に乗り移ったなんて、ありえない。
「父さんは死んだ後な、真っ暗闇にいた。そこで祈り続けたんだ。まだ死に切れない、助けてくれってな。すると、ふと気づいたら高田くんになっていた。」
「父さん自身もよく状況が飲み込めていない。でも、もう時間がない。意識が朦朧としてきたんだ。このまま消えてしまうかもしれない。いいか、祐。誰にでも優しくするんだぞ。助け合わなくちゃ、人は生きていけないんだから。母さんと仲良くするんだぞ」
「それじゃあ。また」
最後の言葉を送られた途端、目頭が熱くなってきているのを感じた。馬鹿げた話だ。こんなこと起こるはずがないのに。父さんのはずがないのに。でも僕は、父なのか、そうでないのかも関係なく、ただ、またねと返信した。
次の日、学校に行く途中高田に会った。
「おっはよ」
いつも通りの高田の明るい挨拶で、今日一日が明るくなるような気がした。
ふと、気づく。自称父からのメッセージは、高田の携帯に残っているのか。残っているのだとしたら?
「ちょっと借りるぞ」
慌てて高田の携帯を奪い取り、彼の誕生日を入力してロックを解除する。メッセージアプリを開き、自分とのトーク画面を確認。そこには、一昨日の夜にしたお笑いの話が残っているだけだった。
「なんだよ」
と高田が携帯の画面を覗き込んでくる。
「別に」
と高田に携帯を返すと、彼は不思議そうな顔をして、すぐに学校の方に歩き出した。
ありがたいことだがなぜ、高田の携帯にはあの会話が残っていなかったんだろう。自分のも確認する。『高田』と書かれたトークルームには、昨日自称父とした会話が残っている。実際にあったはずなんだ。この会話は。父が消える寸前に消してくれたのだろうか。
そうだといいなと思いながら、小走りで高田に追いつくと、呑気な春の空気に揺られながら、学校に向かった。
学校に着くと、一限は数学の小テストだった。昨日はあのまま寝てしまっていたし、テスト勉強などしていない。しくじったなあと思いながら、再テストを覚悟していると、斜め前の方で高田が頭を抱えているのが見えた。これは仲良く再テストだなと、解ける問題がほぼないと確認すると、眠りについた。
そのまま寝たり起きてぼうっとしたりで学校はあっという間に終わり、なんのために高校行ってるのかなあとふと疑問に思いながら、本屋に向かった。
特別何か欲しい本があるわけでもないのだが、適当な本を見つけ、椅子に座ってだらりと読むのが、店にとっては嫌なものであろうが、好きなのだ。
小一時間ほど経った頃、店員さんに睨まれたので仕方なくその本を買い店を出ると、あたりは夕暮れであった。僕が一番美しいと思う時間帯だ。黄色からオレンジ色へと穏やかなグラデーションが輝き、白っぽい境界線を挟んで濃い青の世界が広がっている。少し笑顔で、帰路についた。
家に帰ると、母はもう通夜の準備を済ませていた。僕も服装を整え準備を済ませると、会場へ向かった。
お通夜の会場は、なんだか怖いくらい静かで、寒気がした。続々と集まる親戚、父の友人たちに、挨拶をして回る。久々に会う面々も多く、多少強張ってしまっていた顔も懐かしさで自然と笑顔になっていった。
「お疲れ、お腹空いてない?」
参列者のほとんどが帰り、親族たちの食事会が始まった頃、母が声をかけてきた。お互いげっそりと疲れた顔をしていることだろう。母はここ数日で一気に老けた気がする。
「別に大丈夫だよ」
棺に入った父の顔は、冷たく穏やかで、優しかった。
翌日は葬式のため、学校は休んだ。母の負担を減らさねばと朝からできるだけ準備を手伝うようにした。
葬式は滞りなく無事に終わった。皆の前で泣くわけにはいかないと我慢していたのだが、少しだけ、本当に少しだけ、泣いてしまった。
「母さん、アルバムってどこにあるの?」
家に帰った僕は、なんだか懐かしくなって、昔を想いたくて、アルバムを探した。このあいだは自称父に驚いて、アルバムのことを母に尋ねるのを忘れてしまっていたのだ。
「どこにあるのかしらね、でもあんまり写真とかないわよ。父さんいつも忙しくて、あんまり遊べなかったから」
そういえば、そうだった。いつも父さんは仕事が忙しく、夏休みなのに出張ばかりで、全然遊んでもらえなかったのだ。でも、その分一つ一つの思い出が、鮮明に残っているような気がした。
「見つからないなら、いいや。あったら教えてね」
そうして、僕は眠りについた。
次の日は、春にしては暑すぎるくらい良い天気だった。学校に着く頃にはもう制服のシャツは汗でビショビショで、エアコンの素晴らしさを痛感した。空を楽しそうに燕が飛んでいた。
その日の夜中、高田からメッセージが届いた。
「おう、祐。俺だ。父さんだ」
父が、(本当に父ならば)まだこの世に残ってしまっていることに対し、なんともいえない悲しみも、まだこうして話すことができるという喜びも、少しの気恥ずかしさも何もかもを押し倒して
「なぜ」
なぜまだこの世に残ってしまっているのか。それが一番に出てきてしまった。
「そうだな。少し、出かけないか」
軽い沈黙の後、父は僕を外出に誘った。近くの河川敷にある公園に、30分後に集合だという。少し不安もあったが、行かねばどうにもならないのだと分かっていた。
寝てる母にバレないようこっそりと家を抜け出し、僕が公園に着くと、父、であるらしい高田が、サッカーボールを転がしていた。僕に気づくと彼は走り寄って来た。
「ごめんな、こんな時間に」
姿形も、声も、全く高田そのものである父に、戸惑いを隠せない。それを見て一瞬父は口ごもるが、話を続けた。
「今日はな、なんでこうなったのか。そもそもどうなっているのか。父さんなりに考えてみた結果を話したいと思う」
少し改まった声で始まったプレゼンは、実際に憑依した時の体験談などを交えながら、ゆうに三十分を超えて行われた。
内容としては、一日に二時間ほど、高田に父は憑依すること。その時間は選べないが、大体夜遅いこと。消えそうな時はだんだん意識が朦朧として来るので、それに合わせて履歴を消しているから安心しろということ。などであった。
「で、どうしたら成仏できるのか、それだけは分からなかった。だから、生前やりたかったことを片っ端からやっていこうと思う」
父は最後に、お願いだと言ってこのやりたいことに付き合えと言ってきた。一人では何かと不便であるらしい。父が成仏するのを手伝うのは少しためらいがあるのだが、父が未練を持ってこの世を彷徨うのも見ていられない。
「ありがとう、今日は多分もう時間がなくなってきているから、解散しよう。また、明日、になるかは分からないけれど、よろしく」
明日になって、いつの間にか、勝手に成仏しないように祈りながら、また会って、自分の手で成仏させるのだと心に決めながら、僕は家に帰った。
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